鈴木宗男ランド ブログ by宗援会

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宗男日記から

2006年08月22日 | Weblog
ムネオ日記
2006年8月21日(月)
 8時20分、礼文町役場に行き、離島という厳しい環境の中で頑張っている職員の皆様を激励挨拶させて戴く。8時45分、稚内行きのフェリーに乗り込む。10時40分稚内港着。
 11時15分稚内空港発で千歳へ。13時、駒澤大学付属苫小牧高校に到着。日程的に甲子園に応援に行けないので、駒大苫小牧高校のイベントホールで市民の皆さん、学校関係の人達と一緒に応援する。大変な熱気だった。原教頭先生、森事務長さんにお世話になり、駒苫応援のTシャツを戴き、早速身につけて甲子園に届けとばかりに声援する。
 前半は押され気味だったが、中盤から徐々に流れが良くなり、9回には2点本塁打も出て、あと1点まで追いつめる。4番の本間選手に期待したが、今日も早実の斎藤投手に翻弄されてしまった。4対3で残念な結果ではあったが、昨日同様、手に汗握る好ゲームであり、堂々たる試合態度であった。駒苫野球部の頑張りに、心からの拍手を送りたい。
 私自身高校球児であり、40年前を想い出しながら(勿論レベルは比較にならないが)青春時代を懐かしんだ。2時間の熱闘に感激しながら、強いから勝ったのではない、弱いから負けたのではない、勝利の女神がたまたま早実に微笑んだのだ。逆転につぐ逆転で決勝まで進んだ駒大苫小牧高校の生徒も勝利者であると讃えたい。
 それにしてもしびれる様な駒大苫小牧の頑張りは、多くの人に勇気や希望を与えた事だろう。「あきらめない」「信念を持って生きる」私がいつも言っている事を駒大苫小牧校球児に教えられ、改めて「感動と勇気と誇りを有難う」と、感謝するものである。
 16時半丘珠空港発で中標津空港へ。19時から銃撃で亡くなった盛田光広さんのお通夜に出席。日本最北の礼文から日本最東端の根室まで移動したわけだが、国境に接して仕事をする厳しさ、大変さを、身をもって感じる。
 お通夜の席で「領土問題が進んでいればこんな事にならなかった」と多くの人から言われる。ロシア国境警備隊の今回の非人道的行為は、いかなる事にせよ許されない。丸腰の人に銃を使うとは何事か。同時に外務官僚ロシア担当、原田欧州局長、松田ロシア課長は何をしていたのか。平成10年2月に締結された日ロの安全操業も、外務官僚、ロシア担当者はこの5年間漁民の声に応えてきたのか。努力をしてきたのか。ロシア側に弱みを握られている西田外務審議官、原田欧州局長、松田ロシア課長は、亡くなった盛田さんにどんな説明をするのか。是非とも盛田さんは勿論、今抑留されている坂下組合長に、国民に、説明責任を果たして戴きたい。自己保身や栄達のみを考えないで、国民の思いに応えてほしいものである。
 藤原根室市長さんから「盛田さんのご遺体が海上保安庁の尽力でスムーズに搬送され、有難うございました」と電話があったが、藤原市長の人間味を感じながら、藤原市長が19日盛田さんのご遺体が戻った時「戦後61年、全く具体的進展をしない北方領土問題の中で、苦難と忍従を強いられてきた市民が無法な銃撃致死事件を決して許さないぞという怒りの行動だ。国は主権国家として、きっちりこの始末をつけて欲しい」とコメントした事を思い出し、領土返還運動の原点の地である根室市長の発言は重いと感じた。この点も外務官僚はしっかり応える責任がある。
 盛田さんのお通夜の席で、お坊さんが挨拶の中で「国は固有の領土と言いながら、どうしてこういう事が起きるのか。貝殻島コンブ漁でも入漁料を払って漁をしている。言っている事と実際やっている事が違うのではないか。国会議員もこの事をよく考えて欲しい」と、お通夜では珍しいお説教をされた。このお坊さんの声が根室の声だと思いながら、この5年間の日ロ関係を振り返る時、何の前進もなく、外務官僚ロシア担当者の不作為に腹立たしさを覚えたものである。
鈴 木 宗 男
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新党 大地 
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