精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

覚醒

2008年12月30日 | Weblog
覚醒


  地球上で暮らす我々人類は、今、その永い永い準備期間の終焉の時を迎え、ついに成人へと脱皮を開始し始めました。
水の中で暮らしていたトンボの幼虫がその殻を脱ぎトンボとなって飛翔するように、長い時を地中で過ごしたセミの幼虫がやがてその時を迎え、自ら脱皮して成虫となって羽化するように、葉上をはいまわっていたあまり美しいとはいえない芋虫が、美しい蝶へと変身して羽ばたくように。
人はついに幼年期の終わりの時を迎え、成人となって宇宙へと羽ばたきます。

 幼人として着々と築き上げてきた自我という観念の殻を、自ら打ち破るときがきました。
観念の檻からの脱皮です。
想念の縛りからの解脱です。
それが覚醒です。
本来の自分に目覚めるという事です。
宇宙人への回帰です。

 正しさや正義という道徳観念、宗教的信条などの固いねばならないとか、こうあるべきだといった「考え方」という自我の鎧を、自分の力で脱ぎ去らねばならないようです。
従って、あれは間違い、これは正しい、という分離思考の人にとっては、いたたまれない世界となるようです。

 あなたの心の内なる世界で、善悪とか、正邪といった、もろもろの葛藤が完全に消滅したときに、二極制の葛藤の世界から人々は目覚めます。
この時人々は、全体が自分であり、自分は全体の一部であるという、全体と部分の両方の意識感覚を身につけているでしょう。

 今、あなたの成すべき、人類への、そして地球への最大の貢献が、覚醒することであると伝えられました。
本来の自分に立ち返るということです。
自分が誰であったかを取り戻すということです。
限定された三次元世界の夢から覚めるということです。
覚醒とはあなたの本質(宇宙意識)に立ち返ること、それは今のあなたが自ら作り上げた、あなたの諸々の信念体系からの解脱によってなされます。

 あなたの肉体には、時間と空間が必要です。
そのためあなたは時間と空間という認識の檻を潜在意識の下へ埋め込みました。
ちょうど大きな風船の端っこをくるりとひねり、その端を縛った状態があなたの自我です。
あなたが自ら縛っているその紐を解きさえすれば、いとも簡単にあなたはその全体である宇宙意識と出会うことができます。

 自我とは記憶のことであると伝えられました。
あなたが、これが自分だと思っている考え方や、あなたの大切にしている正しさや、あなたが目指している理想も含めて、全てが単なる情報であり、心情的記憶にすぎません。

 あなたは、あなたが体験を通して蓄え続けてきた、あなたのあらゆる記憶を単に手放すことによって、あなたの自我から解き放たれます。
そのことに時間をかける必要はありません。
単に自分の記憶を手放すだけなのですから・・・。それを明日に延ばす必要はありません。
今やって下さい。
これは単に選択の問題です。
あなたが自分を手放したいか手放したくないか、ただそれだけです。
あなたはそのどちらも選択できます。

 でも、「自分を手放すなんて、とても恐くてそんな恐ろしいことは出来ない」という思いが意識の表面に上がってくる人もいるかもしれません。
どうしても恐くてそんな選択は出来そうもないという人は、それはそれで構いません。
それはたんにあなたがまだそういう時期に到っていないということでしかなく、やがて、なんら恐れることなく自らを手放す時期がやってくるものなのです。

 その時がやって来るまで、あなたはただあなたの感ずるままに、今、目の前に与えられている環境を、夢中で体験し、起きてくることに意味をつけずに、ゆったり委ねて楽しんでいると、やがてあなたはそこへ最短距離で導かれて行くことでしょう。

「自分では手放したつもりなのだが、どうも今一つ現実が」という、そんな思いでいる方もまだ大勢いらっしゃるようですが、そんな方は、発見すべき自分の自我にまだ気付いていないということでしかありません。
あなたの自我が、あなたの意識の襞深く潜めているあなた自身の囚われに気付く必要があるようです。

そのために五感があり、感情が与えられています。
あなたの不快感の陰には必ず隠された、まだ未発見のあなたの想念が潜んでいます。
意識の襞の奥深くに沈めてあるあなたの自我に気付くこと、それが覚醒です。

人は不完全さを体験したくて、肉体を持ちました。
欠落感のある限定された意識状態で体感する愛について学びたくて三次元空間を作り上げました。
もともと完全なる愛が、愛の欠落した状態を、舞台を作り上げ、少しずつ自らの内にある大いなる愛に目覚めていくという途方もなく遠大なゲームを開始しました。愛そのものである宇宙意識にとって、愛ならざるもの無くして、愛を実感することが出来なかったのです。
ちょうど我々が満ち溢れている空気の存在を実感できにくいように、空気が不足して初めて空気の有り難さが分かるように。
愛が、愛ならざる人という意識を産み出し、内に隠された愛の発見という感動のゲームを考案しました。

 こうして遠大な計画のもと、我々人類は着々と欠落した自我意識を構築し続けてきました。
人によっては数億年もかけて、営々と堅い堅い個体自我を作り上げてきました。
それもこれも、これから開始される愛の目覚めの感動を体験したいがためなのです。
土の中で7年を過ごしたセミの幼虫が、数週間の歓喜の時をセミとして体験するように、数10万年、営々と準備をしてきた幼かった人類が、これから約5000年をかけて源の大いなる愛に向けて、歓喜の飛翔を始めました。

 楽しみたくて作り上げてきたあなたの大切な自我です。
なにも慌てふためいて覚醒する必要もないでしょう。
先に覚醒して、人々に不安を与えないよう先導するという役割で数億年も前からその準備をしていた魂達が今、先を争って目覚めようとしています。

 そしてあなたにはあなたの目覚める「時」があります。
それがあなたにとってベストの「時」なのです。
あなた固有の覚醒をお楽しみ下さい。
覚醒は、あなたがあなたの隠された自我に気付く事によって成されます。
そしてそのために、あなたがあなたの自我に気付くよう、あなたのまわりに他人なる者があなたのために配材されています。
個性豊かに違いを携えた多くの他人なる者が・・・。

 元々光であるあなたは、他人という鏡なくして、自分を見ることは出来ません。光は反射する鏡があって初めて自分を認識できる性質のものなのですから。
他人とは、あなたにあなたの自我のあり様を伝えてくれる、大切な大切なメッセンジャーのことです。
あなたの目に映る総てに気付きのヒントが隠されています。
気付くもあなた次第、見落とすもあなた次第ということです。
どちらでも構いません。
あなたが主人公なのですから。
ただそうなっているだけなのですから。

 目覚めた時、あなたは自分が変容という地球ドラマを特等席で観戦している事に気付くでしょう。
これまで活躍していた超一流のドラマ脚本家が100人よっても書き下ろせそうもない、途方もなくスケールの大きな、大ロマン冒険SFスペクタクル活劇を、超リアルな三次元立体映像で、しかも臨場感あふれるスーパーシートで観劇している自分に気付きます。
とてつもなく面白いドラマです。

 その全てが幻であったことを体感します。
目にする物一つ一つが、物ではなく、そこにその物を形あらしめている多くの人々の思いが、悦びの中に見えてきます。
グラス一つに込められた人々の思い入れが、琥珀色の美しい香りの飲み物の原料を栽培している人々の汗が、ストローの袋に印刷されているデザインを描いている人の生き生きとした息づかいが、見えてきます。

町が一変します。
思いで溢れ、エネルギーが流れてきます。
人が、建物が、大地が、風が、その意味を変えてあなたを迎えます。


津留晃一のメッセージ


補い合いの循環   木華佐久耶姫  神示

2008年12月30日 | Weblog
「木華佐久耶姫(このはなさくやひめ)」の神示
696.kibanamano.netより

補い合いの循環

人は皆平等なり。
人間が修行し、努力し、補い合い助け合うため、いかなる者にも欠け与えられり。
なれば己に欠けありたりとて悲しむなかれ。苦しむなかれ。
己の欠け素直に認め、少しにてもその欠け埋めるべく向上せんと修行為すべし。
人の欠けには手を貸し、己の欠けは手を借りることも大切なり。
さなれば良き循環生まれ、和が生まるるなり。
己の欠けに気付くことは向上の第一歩。
気付かず、認めず、我を張り生きるも、嘆き悲しむばかりでもならず。
己の欠け認めて、己の全てを慈しみ大切にする心を持ち、さなる心を人への慈愛の心へと成長させることが肝心なり。
ゆめゆめ己自身にて己を貶めるなかれ。
欠けを補い合う和が生まれたれば、宇宙の良き気との共鳴生まれ、ミロクの世へと導かれゆかん。

食の意味   木華佐久耶姫  神示

2008年12月30日 | Weblog
「木華佐久耶姫(このはなさくやひめ)」の神示
696.kibanamano.netより

食の意味

本来人には誰にでも宇宙の叡智、神の波動を感じ取る事ができる能力ありて、純粋なる慈愛の心持ち、まっすぐに生きる事を望むものなり。
なれど、負の気、邪気に支配されたれば、本来持ちたる慈愛の心、神の波動を感じ取る純粋な意識失いて、心と体も調和為せず病を呼ばん。
宇宙の良き波動受け止めるためには、食が大切なり。
宇宙の波動受け止めたる大地にて育つ食物は腹を満たすためだけの物ではなき。
宇宙の叡智、神の波動を受け止めるための有難きものなり。
なれど、大地穢れ、命ある食べ物消えゆき、さらに電磁波に穢されたる料理では、さなる良き波動得られるはずもなし。
さなれば、少しでも良き食材に目を向けるがよけれ。
本物を見抜く目を養うためにも日々の手料理は疎かにできぬなり。
昔ながらの調理法見直し、良き波動持つ食事、有難く頂くべし。

おじいさんの人形

2008年12月30日 | Weblog
ミクシィ内  「み****っさん」作

ある街の街角に少し古びたおもちゃ屋さんがありました。

お店の片隅には、とても可愛いフランス人形がありました。
人形はいつも同じ場所に座り、同じ景色を見つめていました。
それでも、人形はお店のおじいさんがいつも櫛で髪を綺麗にとかしてくれることを、とても幸せに感じていました。

それは寒い冬のことでした。
おじいさんは病気がちになり、お店を閉じなければと思っていました。
そんな雪の日に、小さな少女がお店に現れ、両手にいっぱいの小銭を抱えてやってきました。

「おじいさん、あのお人形ください。」

「おやおや、このお金はどうしたんだい?」
「あのお人形さんを買うために貯めたの」

おじいさんはしばらく考え、少女に人形を渡しました。

「ありがとう!!!」

少女は笑顔で人形を抱きしめ走り去っていきました。

おじいさんはその背中をいつまでも見ていました。


少女はその人形をとても大切にしました。
寝るときも、旅行に行くときも一緒でした。

「ねぇ、あなたはなんでそんなに悲しい目をしてるの??」

少女は時々人形に話しかけていました。
人形は、喋れないし、涙さえ出せないのに…

人形は、少女と暮らして幸せでした。
専用の椅子や洋服も買ってもらえて、沢山の景色をみることができました。
それでも、時々おじいさんをおもいだすことかありました。

優しい指で撫でてくれたおじいさん。
埃が被らないよう毎日掃除してくれたおじいさん。
いつも語りかけてくれてたおじいさん。

ある日少女は一人旅にでることにしました。
もう小銭を握り締める年ではなくなったのです。
その旅にはもちろん人形も一緒に…



その頃おじいさんは、すっかり片づいた店と病院の往復で、ほそぼそと暮らしていました。
子供のいないおじいさんにとって、店の前を走る子供たちをみるのが唯一の幸せでした。

この日は午後から豪雪のため、外に出ることができませんでした。
椅子に座り、煙草に火をつけ、ふと人形のことを考えていました。

おじいさんの妻は病弱で、子供を産むことができない体でした。
弱っていく妻をみて、おじいさんは少しでも和むならと人形を作ろうと思い立ちました。

「もうすぐできるからな。可愛い可愛い…」
「はい…あなた」

そして、出来上がった人形を見せると

「これが私たちの子供ね…」

と言い、やがておじいさんの妻は息を引き取りました。

コンコン

扉を叩く音で眠りから覚めたおじいさんは涙を拭いながら扉に向かい

「どちら様だい??」

―ただいま…

はて?と思いながらも扉を開けると
そこにはすっかり大人びたあの少女が立っていました。

もちろん人形を抱えて…

「なんかおじいさんに会いたくなったの」

と少女は言い、おじいさんは涙で顔をぬらしながら

「おかえり…」

と言いました。

――ただいま。お父さん。

その声は確かにおじいさんの心に聞こえました。