精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

聖徳太子  下

2011年09月23日 | 聖徳太子
本来国境をつくることが間違っているのです。
そのような高い垣根を取り払いなさい。
そのような高い塀を取ってしまいなさい。
そのようなことを今、神々はみんな言葉を変え、いろいろな個性を変えながら、あなた方に伝えているのです。
あり得る進化を、発展していった者たちだけが、宇宙文明の仲間入りをしていくことができる。
そのような発展と進化の過程を経て、今は高い文明を誇っている星々があるのです。
そのような過程の中で、宇宙改革の歴史の中において、この地球をそのような統一された神の星に変えていくがために、
いかんがために、我々は長いときをかけながら、
この日本から、この最終的ユートピアの達成のために、この使命を果たさんがために、
わたくしはこの日本という国を預かって参ったのでございます。

人間だけではありません。
人間だけが神の子なのではありません。
自然界における動植物すべていっさい、鉱物にいたるまですべてが神の子なのです。
その中に、神の愛の法則というのが脈々と生き続けているのです。
それをお互いにいとおしみ、お互いに尊重し合い、愛し合い、感謝し合い、一緒にともに自然界と共存していく。
そうすれば、自分たちの自我我欲だけで川を汚し、空を汚し、
地球をさまざまなものの中で汚染していくような方向に産業などは発展しないのです。
環境は維持されていくのです。
ゴミを不用意に出すこともなくなるのです。
他者とも手をつなげるのです。
ほかの国と戦争することなど、当然なくなっていくのです。
互いに赦し合い、生かし合い、手を取り合い、大調和の中で、愛の大調和の法則の中で、
人びとがこの地球単位という星の惑星の中で、ひとつに手をつないで大きな輪をつくっていったとき、
この地球というものは大いなる星という中で、神の国、愛の星になることが実現されていくのです。
その最終的な大詰めのときであるということ。
その大詰めであるからこそ難しいのです。

高橋信次が、エル・ランティ高橋信次が命をかけ、生涯をもって説かれた基本的なこと。
それは八正道の教え、反省行とともに、己心の魔に対する警告でもありました。
己心の魔がいかに危険なものであり、今の地上に神の計画を実行してゆく者として、
いかにあなた方が学んでいなければいけないかという、いちばん最重要なことを、
高橋信次、エル・ランティは、あなた方に法として教え残されていかれたのです。
魔というのは外から来るのではない。
波長同通という理論の中で、自らの中に欲を引き込んだときにこそ同通し、自らが魔にやられて堕ちていくのであるということ。
最初から清まって、一〇〇%純粋な者など誰もいないのです。
そのときに魔の誘いに、欲に負けるかどうか、それだけが分かれ道なのです。
だからこそ、仲間がいるのです。
何度も何度もこの者が繰り返し言っているように、だからこそ仲間というのが必要なのだということです。
どんな無理難題がきたとしても、トラブルがきたとしても、いかなるときにも自分たちが謙虚なる気持ちにおいて、
己心の魔に気をつけて、みんなで心をオープンにして、
「みんなで乗り越えていこうね」という、前向きな姿勢があるのならば、どんな問題でもクリアしていく。
どんな問題でも乗り越えていける。
それが神の使徒であるあなたたちの実力であるのです。

和というのは、本来が安易な意味で人びとと妥協し、調和するというような、そんな安易なものではないのです。
和という、本来は神の摂理そのものを言います。
愛の中においてすべてが和合し、大団円の中において愛のもとにまとまっていく。
それがあってこそ、神の摂理というものが宇宙に広がり、宇宙というものを構成しているのです。
和というものがなくては、神の愛というものは巡っていきません。
循環していかないのです。
神の愛というものが循環し、血液のように流れていったとき、そこには大調和という、和というものが実現されていく。
自分の中に正直に、自己に正直に生きるということ。
不平、不満があるのならば、正直にぶつけ合うということ。
その中で、お互いに歩み寄り、理解し合っていくことが大切であるということを。
けっして欺瞞の中には和はないのです。
お互いに正直にぶつけ合っていった中で、ほんとうに自ら神の子であるという、
本来の使命に戻っていったのならば、理解できたのなら、最後に出てくるのは「和」しかないのです。
神の愛のもとに、一途にお役に立ちたいということで、お互いに尊敬し合い、尊重し合い、
共に手を取り合って、この計画のために少しでもできることをやっていきたい。

この地球上において、あらゆる組織、文化、教育、経済、そして、天変地異も含めて、この地球の大浄化の、大変革のときがきます。
ひじょうに多くの者たちが亡くなることもあるでしょう。
そして、地獄界を通して、この地球にたくさん溜めてしまった悪想念というものが、
邪気というものが振り払われて、その浄化の過程の中で多くの不幸が起きてくるということもあるでしょう。
でも、それはひとつの事象の流れとして、起きるべきものが起きるのであるというふうに、
あなた方のすべての責任ではないということは、すでに数年前に霊言で申し上げているはずなのです。
この難局を乗り越えて、最終的な、最後に残されたチャンスの中で、この地球計画というものを達成していくために、
何としてでも、できる限りのことをしたいというのが今、天上界の指導霊たちみんなの悲願でございます。


「自然と共に、心ゆたかに・心穏やかに」をコンセプトに
循環型社会をつくるお手伝いをします。
【ゆかしき】


聖徳太子  中

2011年09月22日 | 聖徳太子
誰の、神のためでもない。
全人類のためでもない。
究極に言うならば、あなた方自身のために今の修行があると思いなさい。
あなた方は自分自身の人生を、魂を、今回与えられた場所において生き抜くことです。生き切ることです。
そこにおいてあらゆる、これからは名誉心、金銭、そのようなあらゆる執着というものを放たなければなりません。
それほどに高い境地にくるということです。
行い即実行、行い即イコール、悟りであります。
行いをもってしか、あなた方が真に悟ったということを証明できないということ。
天上界におり、清まったところにおいて、どのような美辞麗句を語っていたとしても、
そのようなものが、けっしてあなた方の悟りの高さを証明することにはならないのです。
なぜならば、悪意を持つ者など何もいないのだから。
そして、何も建設的なことをしたわけではないのだから。
この地上の、三次元を与えられた神のご慈悲は偉大です。
この天上界の、神のご意思というものをこの三次元に投影してこそ、神の国ユートピアの実現であり、
神が本来、愛の表現体であるという、その表現の、その実行者としての、光の天使の役割というのが果たせるからです。

あなた方が地上において何ができたか。
今の時を刻みながら確実に死へ向かっている旅路の中で、あなた方ひとりが何をなすことができたか。
そのことだけを思い煩いなさい。
それ以外のことはすべて捨てていきなさい。
ここから先は何を持っても、執着し、つかんでも危険になります。
どうしてもそれがつかんで離せないというのならば今、去りなさい。
自らの意志で去りなさい。そうでなければ危険なことになる。
この道についていくのならば、心を無にし、あらゆるつかんだものを離しながら、神の計画のために、ただただ無心についていきなさい。
己のプライドや欲や、そのような異性に対する関心などがもしあるのならば、そのようなものを一度投げ捨てなさい。
あなた方の今世の使命は大きいということです。

明治維新の志士たちがつけた道の上を、あなた方は今、歩んで生きているのです。
その彼らがつくった上に、あなた方が今、大いなる神の国を打ち立てることにより、
そのあとに生まれてくる子どもたちへ、そのあとの人類が、あなた方のつけた道の上を歩いて、
巨大な立派な神の国、神の愛の星を建国していくのです。
今、あなた方がやる力をもってなしにしては、愛の星にしていくこと、神の国、ユートピアにするということ、
そのようなことはあり得ないのです。
それぐらい大事な大事な位置に今、この日本、大和の国というのが位置しているということ。
あなた方が何を神のために、全人類のために、
そして、己自身のためにやっていけたかということをもって、次の時代をつくっていくのです。
それをもってこそ、神の子としての、神の使者としての使命を果たしていくのです。
そうでなければ、あなた方の命は無駄になる。
あなた方の転生も修行も無駄であったということ。
そのことがわからなくてはなりません。
仏教も入れなければいけない。
キリスト教も入れなければいけない。
あと、ほかの新興宗教、プラグマティズムというような、そういう光明思想も取り入れていかなければいけない。
そのような、いろいろな雑多なものがこの日本という土壌にある中において、
最終的な統合されていく世界宗教としての集大成の磁場として、
この日本という国がその使命を果たしていける、そのような磁場をつくるために、
わたくしはこのような多宗教を導入してくるという立場を持ちました。

環境だけのせいにしてはいただきたくないというふうに思うのであります。
どのような環境におかれましても、最終的にそれを生かすも殺すも個人の心がけ次第でございます。
必ずや本物である以上、人びとは必ず求めてやって来ます。
海外からもやって来ます。
本物であるということが、その前提条件なのです。
偽物は、いくら立派な入れ物に入れて、きれいな飾りを施してみたところで、誰も欲しがりはしないのです。
一時の話題はあるかもしれない。
でも、本物であるならば、遠くより求めてやって来る者がいるのです。
必ずや、いろいろなところにおき、霊的なことにおいて感知する者たちが、世界中にもうすでに埋められているのです。
どんなものであるにせよ、その言葉がわかる限り、その価値が光り続ける限り、
日本国内におよばず、海外からもその言葉を求めて、命の水を飲みにやって来る者たちがあとを断たぬことでしょう。
それを神は望んでおられます。
その、まず命の水を飲み、天上界の方針を、価値観を、しっかりと行き先を見極めたのならば、
人類はそのあとに、「さあ、あなた方は何をするか」ということを、神々により問われるときがくるのです。

でも、今何が起きたのか、何が神のご計画であるのか、今地球がどういう位置にあるのか、
ということをしっかりと、神理の神の価値観とともに理解しなくては、
そのあとに地球中の者たちに向かって、「さあ、あなた方は何を為していくのか」という問いかけが、神の側としてもできないのです。
今は国境というものによって、高い高い塀のようなもので人びとが住み分けられ、
違うものであると敵対し、憎み合い、利害関係だけで争っております。
本来、神の子というものは、地球に生きている地球人類としては、ひとつの民族なのです。
「地球人」なのです。


「自然と共に、心ゆたかに・心穏やかに」をコンセプトに
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【ゆかしき】


聖徳太子  上

2011年09月22日 | 聖徳太子
この難局を乗り越えて、最終的な、最後に残されたチャンスの中で、
この地球計画というものを達成していくために、
何としてでも、できる限りのことをしたいというのが今、天上界の指導霊たちみんなの悲願でございます。
今、多くの人類のために、神々の計画のために、やれるあなた方の人生であるということを喜んでいただきたい。
その使命の中で、最大燃焼をされていくということがあなた方の今世の最高の生きがいであり、
生きた価値、証しであったというふうに、胸を張って天上界に帰ってこられるということ。
有限な命の中で、我々の世界から見たら線香花火のような命の中で、
肉体を持って我々の世界から地上に出て行っているあなた方なのです。
いつまでもいられる人生ではないのです。
使命を果たすのは一時のこと。
それを精一杯果たしたのなら、心置きなく帰っていらっしゃい。
また次の者たちがその法灯を継ぐことでしょう。
本物さえ残していただければ、本物の光を求めて、また本物の光の神の子たちが、その法を継承するためにやって参ります。
そうやって法灯というのは継がれていくものなのです。
日々成長していきましょう。
成長し、進化、発展していき続けることが、神の法則でもあります。
常に常に、神ですら大いなる進化、発展を遂げておられるのです。
であるならば、我々も大いに自らの人生の中で、
新たなる学びと、新たなる教えの中におき、新たな実行というものを、行動というものを通して、
我々の魂というものを磨き成長させていきましょう。

やはり実際に、地上に映してみなければ、行動の中でやってみなくてはわからないことというのが多いのです。
実行部隊というのはそういうものなのです。
きれい事は通用しないのです。

であるならば、神のまことをもって命を張った明治維新の志士たちのように、
あなた方も神のまことをもって命をかけ、この最後の地球の難局に望んでいただきたいと、心よりお願い申し上げるのです。
わたくしは中央のほうからの、あなた方がおっしゃる中央のほうからの計画を、
やはり降ろすためのパイプ役として、日本神道との間に入り、この日本の地を見守ってきたのです。
この大和の地において、日本神道だけの流れではなく、わたくしのときにも仏教を伝来させることにより、
仏教の思想もここに根づかせたのです。

日本という場所は、和をもって旨とする。
本来が神道の中にも、「和をもって旨とする」というのがございましたけれども、
和をもって旨とし、人びとの人心というものをまとめ上げていきながら、
かつ、人びとの心の中に高い神を求める求道心というものを、人民の心の中に、人びとの心の中に根づかせるために、
日本神道だけではなく、仏教、そして、キリスト教というようなものを導入していくのを、段階的にわたくしは計画して参りました。
この日本の地というものが、この日本の地から神の国の灯台として、
世界宗教の発祥の地とならんがための準備をするに、今の時期というのは十分な期をもって熟した時期であると思うのです。
ほかの国では考えられないような水準の魂の方たちが局部的に集中して降りている。
そのような国であり、そのような今、時期にあるのがこの日本という国であるということ。
今の日本が、日本の本来の使命を果たさなければ、日本という国は使命を果たしたことにはなり得ません。
きれい事だけではない。いいことだけではない。
地上にいれば肉体的な誘惑、金銭、地位、物欲的なことの誘惑に、今まで多くの者たちが惑わされ、堕ちていったでしょう。

よろしいですか。
天上界で清まり、良き環境で善意の者たちに見守られ、法の、愛の神の、法の愛の中だけに包まれているときには、
このような修行はできないということ。
明治維新の者たちが、その志の高さというものを、その情熱の無私になるということをあなた方に教えていかれたと思います。
まさに、そのような気持ちがなければ、この難局を乗り越えられないでしょう。
無私なる思い、「己の命などいつでもくれてやる」という、その気概の中で、彼らは未来の日本を夢見て、その命を散らしたのです。
その意気込みというものがあなた方になければ、この難局における魔との戦いというのは、けっして勝てないでしょう。
それぐらい魔の力が強くなっているということも事実なのです。

よろしいですか。
天上界で清まり、良き環境で善意の者たちに見守られ、法の、愛の神の、法の愛の中だけに包まれているときには、
このような修行はできないということ。
地上に降りたればこそ、人の悪意、物欲、肉体的な誘惑というものに惑わされ、
でもそれを乗り越えて、この地上界に神の計画を降ろしてこそ、本来の修行があるということ。
酸いも甘いもかみ分け、そして、行動できたときにこそ、真に価値ある価値観が何であるか、
神のご意思が何であるかということを、法を真に納得してあなた方が悟ったということ。
そうでなければ、天上界でいくら偉そうなことを言っていても、何もわかっていなかったのと同じことなのです。
そのために人は転生していくのです。
天上界では善意ある人ばかりです。
人を裏切ったりするような者はひとりもいません。
お金なんて本来はないし、肉欲とか異性に対する欲も性欲もないのです。
そのようなところにおいて、「惑わされるな」と言ったって惑わすものがないのです。
そこにおいては、人はある程度の境地にいけば清まり、善意の中で感謝し合って生きていられるのです。
しかし、地上に降りたらば、あらゆる誘惑の中において、人びとはその危険の中にさらされます。
そこにおいても、その肉体的な本能、物欲的なものにおかれても、
なおかつ、「あなた方は神のご意思がわかっていたのか」、「神の思いがわかっていたのか」、
「神の使いとして、神の使者として、あなた方は何ほどのことがこの地上にできるのか」ということを今、
あなた方は実証しようとしているのです。


「自然と共に、心ゆたかに・心穏やかに」をコンセプトに
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【ゆかしき】