▼「1億総活躍プラン」は選挙用パフォーマンス
▼「輝く女性」と言いながら女性を格下に見る安倍政権
伊勢志摩サミットで、安倍首相は「世界経済が危機に陥る大きなリスクに直面」などと述べた。参院選を念頭に“経済重視”をブチ上げたようだが、実は有権者が望むのは「社会保障の充実」。アベノミクスに期待が持てず、将来への不安が高まっているからだ。
「意味が分からないです」
ケアマネジャーで訪問看護師の資格も持つ50代の女性は「ニッポン1億総活躍プラン」について、安倍首相の説明にそう疑問を投げかける。
5月18日、首相官邸で「1億総活躍国民会議」が開かれ、2025年度までの政策プランをまとめた。これは、安保法制がヤマを越えた昨年秋、安倍首相が打ち出したもの。少子高齢化などで縮小する日本社会が活力を維持できるようにするとして、「GDP600兆円」「希望出生率1・8」「介護離職ゼロ」という3本柱を掲げたのだ。首相自ら「新三本の矢」と謳(うた)う。
その一つ、「介護離職ゼロ」─。介護離職とは、親の介護などで仕事を辞めざるを得ない人たちのことだ。10年後には認知症が10人に1人などという民間の予測もある中、介護を手厚くして離職者をゼロにしなければ、経済活動も衰退するという発想だ。今回、政策としてまとめられたのは、「介護職員の賃金を月平均1万円程度引き上げる」などというもの。介護従事者の給与はいま、全産業の平均給与より10万円も低い。そこで給与を上げることで、介護の仕事の希望者が増え、介護が充実するという三段論法だ。25年に“離職ゼロ”を目指すと言うが、冒頭のように現場の声は手厳しい。
「給与が1万円上がったからといって、介護従事者が急激に増えるというのは幻想です。私は看護師からの転身ですが、夜勤がなくなった分、体が少しは楽になるかと思っていたら逆にきついぐらい。対価として1万円はほとんどスズメの涙。もっと肝心なことは、介護保険制度の適用や枠組みが変わらなければダメです。厚労省は要介護1、2について、保険適用を見直してサービスを自己負担にする方針を打ち出した。来年の国会で成立させると聞いています。なのに、1億総活躍プランでは給与を上げるという話ばかり。これでは解決になりません」(前出のケアマネジャー)
1億総活躍プランの2本目の矢である「出生率を上げる」も同様だ。
女性が安心して子供を産み、働きながら育てられる保育施設の増設とともに、人手不足の保育士を増やすことを掲げた。そのために、保育士の給与を引き上げるとしている。このほか、保育所や介護施設の増設、子育てや介護に対して労働環境などの工夫をする企業への助成などもセットだ。
だが、介護や保育の従事者の給与を上げたり、施設を増やすということ自体、前出のケアマネジャーが言うように安倍政権が犯す政策的な“矛盾”があるのだ。
安倍政権は、実は社会保障政策について13年12月に「社会保障プログラム法」(以下、プログラム法)を成立させた。「公助」よりも「自助」を強めることが主軸だ。
医療や介護、年金、子育てなど社会保障分野は国の支出を減らして国民負担を増やすかたわら、自治体や各家庭にシフトする方針を決めている。すでに一部は実行され、高齢者の医療費自己負担が増えている。
プログラム法は存続しつつ、社会保障は拡充する─。これは“矛盾”だろう。加えて、肝心の財源も「税収増を循環させる」と言うばかりで不確定だ。
「プログラム法はそのままで、1億総活躍プランの財源もはっきりしない。要するに参院選への選挙対策でしかありません」(民進党政調担当幹部)
との指摘も出てきた。
参院選に勝つためには「何でもやる」(首相周辺)という姿勢の安倍官邸にとって、実は1億総活躍プランをこの時期にあえて出したのにはワケがある。
「アベノミクスは票にならない」
第2次安倍政権発足後のこの3年半、安倍首相は国政選挙で常に「経済」「景気」を前面にして戦い、有権者もそこに最大限の期待を寄せた。ところが、有権者の期待は安保法制以後、徐々に「社会保障」へと変化してきたことに「安倍首相や官邸が気づいた」(首相側近の一人)からだ。
富裕層以外の有権者にしてみれば、いくら待てどもアベノミクスの成果の果実は落ちてこない。実質賃金は上がらず、庶民の景況感も一向に上向かない。
そこで有権者が意識を向けたのは「社会保障」だ。経済に明るさが見えなければ、自らの暮らしのあり方、将来への不安に関心は高まるのは当然だろう。
代表的なのは、2月の「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログ問題で「女性の怒り」が広がったこと。自ら働いて家計を支えたくても「子育て」や「介護」の制度は不十分。こうした「女性」にかかわる政策が政治の中心テーマになり、現政権への批判にもつながってきた。
有権者の意識の変化は、はっきりとデータに表れる。
4月に自民党が辛勝した衆議院北海道5区補欠選挙の地元マスコミの世論調査で、重視する政策の第1位は「経済」ではなく、「年金・介護などの社会保障」が36%のトップ。「景気・雇用」は2位に後退した。
また、4月末に行われた共同通信の参院選へ向けての世論調査でも、「アベノミクス」で貧富の格差が広がっていると思うか、との問いに57%が「そう思う」と答え、安倍内閣を支持しない人の理由のうち「経済政策に期待が持てない」が急増して35・3%でトップになった。
民進党幹部が断言する。
「つまりアベノミクスは、政策的にも争点としても完全崩壊した。もはや大きな票にはならない」
さらに、前述した北海道5区補選の投票後の出口調査で、自民党候補に入れた理由の1位は「景気・経済」だったのに対し、野党統一候補に入れた1位は「社会保障」だった。前出の民進党幹部は、
「参院選の与野党の対決構図ができ上がった。『大企業を向く安倍政権』vs.『社会保障を第1に生活者を向く野党』だ。参院選の我々の公約は『社会保障』を優先する」
と話す。ここに、安倍政権が「1億総活躍プラン」で社会保障メニューを並べた狙いがある。これまでのアベノミクス一本やりのキャッチフレーズを変えなければ、選挙で有権者にソッポを向かれるということが分かっているのだ。
自民党政調幹部は、「同じ社会保障でも、こちらは政権側で実現性がある。野党よりウチのほうが上」と自信を見せるが、少なくとも介護などの現場では「根本の制度をいじらず、効果が疑問視されるようなバラマキばかり」(野党幹部)では、有権者は納得しない。
「野党は女性政策で攻めてくる」
1億総活躍プランを巡って、こんな「脇の甘さ」も見せてしまった。
安倍首相は5月16日の衆議院予算委員会で、保育士の給与アップの金額について、全産業の「女性労働者」の平均給与を基準にして算出したと説明した。その差が、月額4万円程度だとして処遇の改善を行っていく考えを示した。だが、その理論だてに民進党の山尾志桜里(しおり)政調会長がかみついた。
山尾氏「(保育士の給与について考える時に)女性の平均を基準にしているが、保育は女性の仕事ですか」
安倍首相「一気に全部やるというのは、そう簡単なことではない。私たちはまずはそこ(女性の平均)まで上げるということです」
山尾氏「それじゃあ、女性活躍政権どころか男尊女卑政権だと言われますよ」
安倍首相は、全産業の女性の給与についても、男性との格差を縮める政策を進めると答弁したが、「女性が輝く社会」などと言いながら「育児は女性」といった古い価値感のホンネが垣間見えたと批判されても仕方ないだろう。
この委員会でのやり取りについては、身内の自民党からこんな声が聞かれた。
「安易に女性給与と比較して説明したのでは、突っ込まれても仕方がない。1億総活躍プランは、“選挙用の一時的な看板”という甘い考えがプランを練ったスタッフ(官僚)にあったのではないか。民進党は山尾氏を政調会長にしたことで、参院選は女性政策などを争点にして攻めてくる。1億総活躍プランについてもっと理論武装して、各候補や応援弁士に徹底しなければ、逆効果になる」(閣僚経験のベテラン議員)
冒頭のケアマネジャーは言う。
「語るに落ちるとはこのこと。安倍さんは1万円上げたら従事者が増えて介護が充実し、それが介護離職ゼロになるなんて平気で言っていますが、現場が分かっていないことを自ら暴露しているようなもの。アルバイト程度に介護にかかわっている人なら1万円アップを喜ぶかもしれませんが、使命感を持って介護の仕事をやっている私たちが必要だと思うのは、制度を見直すこと以外にありません」
「1億総活躍プラン」は、単なる参院選用のパフォーマンスなのか─。選挙戦を通じてしっかりと見きわめる必要がある。
(サンデー毎日2016年6月12日号から)
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