※木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。
木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)
ハンセン病とキリスト教(2)
ハンセン病者たちの歴史は厳しいたたかいの歴史ですが、その中にはキリストと出会い、キリストを信じる信仰に生き抜いた人々が少なくありません。さらに、文学表現―小説や短歌や詩等によってキリストの命の恵みを証しして生きた人々もあります。ハンセン病キリスト者たちの文学が日本の国、日本の社会に確かな光をかかげ、人々に生きる力と慰めを与えてきたのです。
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その中のひとりに、桜井哲夫【注1】という詩人があります。視力を奪われたうえに両手両足の指もほとんど奪われ、皮膚の感覚もごくわずかしか残されていないという重度の患者でした。若いときに喉を切ったことがあって、声も失っていました。
けれどもこの人の詩には、ひたすら前を向いて生きる姿勢と、明るさとユーモアと、世界をも見とおす視野のひろさがあります。他者に向かって開かれたみずみずしい感性と、他者の幸せを心から望むやさしさがあります。
たとえばこういう作品があります。
夏空を震わせて
白樺の幹に鳴く蝉に
おじぎ草がおじぎする
指を奪った「らい」に
指のない手を合わせ
おじぎ草のようにおじぎした(「おじぎ草」部分)
ここでは詩人はおじぎ草に姿をかえて、自分を苦しめた「らい」を今は深く受け入れて、「らい」に向かっておじぎをするのです。らいに感謝し、らいにお礼をするのです。
なぜでしょうか。らいにならなければキリストを知ることはなかったであろうからです。罪の赦しと永遠の命の恵みを知ることはなかったであろうからです。
キリストを信じる信仰は、この人の目を世界に向かって開きました。生涯療養所を出ることのなかった人とは思えないほど、彼のまなざしは大きく開かれています。同じ病の仲間のみならず、若者たちや阪神大震災、イスラエルや朝鮮等も、彼の詩には登場します。
彼は日本の近代の歴史を学んで、日本が朝鮮を侵略していたことを知り、自分は侵略者であったと語り、晩年に韓国への旅―ひとりの日本人としての謝罪の旅に出たのです。帰国後すぐに大きな手術を受けなければならないほどの体調であったにもかかわらず、そのような旅に出たのです。
ここに、キリストにあって新しくされた人の姿を見ることができるでしょう。ハンセン病キリスト者たちは、キリストの大いなる恵みの証人たちなのです。
【注1】1924~2011。