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教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために㉒ ハンセン病とキリスト教(1)

2015-07-07 20:47:51 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために
 

ハンセン病とキリスト教(1)


ハンセン病は1873年に発見された、らい菌という細菌による病気です。神経が麻痺(まひ)したり、顔や手足の皮膚がただれたり、症状が進むと外見を大きく損なう病気であったため、患者たちは差別や偏見に苦しめられました。しばしば「天刑病」と呼ばれ、前世で悪いことをした、けがれた者がかかるとの宗教的偏見にもさらされました。

...

この病気を病む人々の歴史は、日本の国でも大きな苦難とたたかいの歴史でした。日本政府は90年もの間、らい予防法【注1】という法律によって、患者たちに対して強制隔離政策をとり続けました。これは病気の感染を防ぐという名目のもとになされていたことでしたが、実はこの病気の感染率はきわめて低く、感染例はほとんどありませんでした。にもかかわらず政府はハンセン病を伝染病として、患者たちを人里離れた村や離れ島の療養所に送ったのです。

この政策によって患者たちは家族や愛する者とのきずなを無理やり引き裂かれ、社会から締め出され、職場を追われ、言葉に尽くしがたい誤解や差別や偏見のもとに置かれることとなったのです。

日本でもいわゆる「救らい」事業がなされました。確かにこれはハンセン病の人々に手をさし伸べるということではあったのですが、そこにあった根本的な考え方は「日本民族浄化」のために患者を日本社会から排除するということであったと言わなければなりません。救らい事業はハンセン病の人々と共に生きるということではなく、この人々に憐れみをほどこすという発想のもとになされ、つまり患者たちからすれば一段高いところに立つ思想のもとになされ、患者たちを祖国の浄化のために尊い犠牲をはらう「聖なる」人々と呼びながら、実際には政府による強制隔離政策に追随(ついずい)していったのです。

1996年にらい予防法はようやく廃止されます。そして2001年には熊本地方裁判所で、らい予防法の誤りと国の責任を認める判決がはじめて出され、国は控訴(こうそ)【注2】を断念しました。しかし国による謝罪や患者と家族への賠償、真相の究明、差別や偏見を取り除くことなど、多くの課題がのこされています。

 

【注1】1907年に制定され、1953年にあらためられました

【注2】裁判所の判決を不服として、上級の裁判所に新しい判決を求めること。

 

 


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