Coccoの2014年のアルバム『プランC』(ビクターエンタテインメント)
昨日26日の会見で、またしても菅義偉官房長官が沖縄に“脅し”をかけた。辺野古への基地建設工事の中止を求める翁長雄志・沖縄県知事に対し、それに応じるつもりがないとし、「辺野古移設を断念することは普天間飛行場の固定化を容認することにほかならない」と述べたのだ。
沖縄が選挙というかたちで出した答えは「基地の県外移設」である。にもかかわらず、いまだ政府は辺野古か普天間の二択を沖縄に迫りつづける。こうしたなか、沖縄出身のミュージシャン・Coccoがこんなコメントを発表した。
「ギロチンか、電気イスか。苦渋の選択を迫られたとしてそれはいずれも“死”だ。辺野古か普天間を問われるから沖縄は揺れ続ける」
Coccoのこのメッセージは、現在、ポレポレ東中野で先行上映が行われているドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み』(いくさばぬとぅどぅみ)に送られたもの。Coccoは同作品のナレーションを担当しているのだが、コメントは以下のようにつづく。
「口をつぐんでしまった友、デモに参加する友、自衛隊に勤める友、みんな心から沖縄を愛する私の大切な友です。ギロチンか電気イスかではなく根底からの『NO』を誰もが胸に抱いてる。人として当たり前に与えられていいはずの正しいやさしい選択肢が欲しいと私は、そう想うのです」
正しい、やさしい選択肢が欲しい──。この切実な訴えの、ほんとうのところを、そのじつ「内地」に住む人びとはよくわかっていない。ボーリング調査のための重機が辺野古沖に沈んでゆく映像をニュースでちらっと観ても、そのことが孕む問題がわからない。オスプレイが旋回する空が映し出されても、その音は消されている。ネット上では「基地建設に反対しているのは住民ではなく県外の左翼ばかりだ」と書き込まれ、政府は「沖縄は国防の要だ」と言う。そして「だったら、沖縄にあればいいんじゃない?」と安易に答えを出す……。
わたしたちはいま、沖縄で何が起こっているのか、“ほんとうの沖縄”を知らない。だが、映画『戦場ぬ止み』は、Coccoの言う「人として当たり前に与えられていいはずの正しくやさしい選択肢」の意味を教えてくれる。
たとえば、辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前には基地移設に反対する多くの辺野古住民たちや、名護市以外からも県民が集まり、日々、工事車両を阻止しようと行動している。そのなかに、ひとりのおばあがいる。85歳のおばあは杖をつき、ときには沖縄県の警備機動隊たちにもみくちゃにされながら、反対の声をあげている。おだやかな顔をしたおばあは言う。「ダイナマイト腰にでも巻いて、政府の前に行ったほうがいいんじゃないの(と思う)」。
おばあは沖縄で繰り広げられた地上戦のとき、目の不自由な母親と幼い弟と連れ立って糸満の壕に避難した経験がある。米軍は壕に手榴弾を投げこみ、さらには壕を火炎放射器で焼いた。大やけどを負って瀕死となった母は、助かる見込みが少ないからと野戦病院で毒殺されそうになるが、そこから母を連れて逃げ、若かったおばあが一家の大黒柱になって家族を守ってきた。あの地上戦を沖縄は忘れたのか──その苦しさ、悔しさが、おばあをゲート前に向かわせる。
ゲート前の反対運動のリーダーは、同じ沖縄県民である機動隊の隊員たちに、こう語りかける。
「我たちはきみたちを敵だと思っていない。きみたち若者を含めて、すべての若者を守りたい。二度と戦場に若者を送らないという想いであるから一生懸命なんだ。沖縄を二度と戦場にさせないという想いがあるから、見てごらん。70、80(歳)になっても、ここに立ち尽くしている」
じつはこのリーダーは、今年の2月に基地の敷地内であることを示す「黄色い線」を越えたといって、米軍に身柄拘束されている。そのことが報道されると、ネット上には「テロリストは拘束されて当然」「暴力団は取り締まれ」などと彼を罵る書き込みが溢れたが、いったい彼のどこがテロリストで暴力団なのか。まるで過激な闘争が行われているように情報操作したいのか、あるいはほんとうに反対運動が危険なものだと信じているのかもしれないが、実際の様子を見れば、そんなことは言えなくなるはずだ。
昨年8月、辺野古の海上に工事のための海域囲い込みがはじまった日。反対派は4隻の小さな船と20艘のカヌーで抗議したが、それに対して、防衛局と海上保安庁は80隻以上の船を動員。なんと20ミリの機関砲を装備した大型の艦船まで出している。わざわざ政府は尖閣諸島の海域から巡視船を呼び寄せ、辺野古に結集させたらしい。もちろん、カヌー隊がこれに対抗できるはずもなく、あっけなく制圧されてしまう。この異常な風景には、反対運動が嫌いだという防衛局に雇われた船の漁師さえ、「かわいそうに」とこぼす。
なかでも住民たちの怒りが頂点に達するのは、翁長知事が当選した3日後から“粛々と”海上工事が再開されたときだ。しかも4日目の朝には、前述したおばあがゲート前で機動隊に引き倒され、救急車で運ばれるという事件が起こる。ゲート前は騒然となり、あまりにむごい機動隊のやり方に集まった人びとは厳しく詰め寄る。だが、そんなときでも、反対派のリーダーは機動隊にこう声をあげた。
「機動隊の隊長は辞表出せ! おまえくらいの体格があれば、我々行動隊の隊長にすぐ抜擢する! 辞表を出して、こっちにこい!」
この演説には笑い声と拍手が起こり、つづけて「我々の気概を見せよう!」と言ってはじまったのは、機動隊を威嚇したり責め立てる行動ではなく、余興のような空手ふうのパフォーマンスだった。機動隊に対して許せない怒りはある。でも、彼らも同じ沖縄県民だ。この憤りをわかってほしい、わかるはずだと、どこまでも訴えかけるのだ。
そう。映画に出てくる沖縄の人びとは、どこまでもおおらかでやさしい。反対運動が嫌いだと公言する漁師は、「ケンカばかりしてたらダメなんだよ」と言って、大晦日の夜、辺野古の浜に集まった反対派の人びとのためにおいしそうな刺身盛りをつくる。「これ食べて、来年から基地反対やめろや」と軽口を叩きながら、でも、みんなで一緒に酒を飲み交わし、歌を歌う。
また、辺野古の海にブロックが沈められる様を海上の船から涙を流しながら見つめる女性は、海保の男性に「お兄さんたち、止めて! みんなで肩もみするからよ」と声をかける。「おれは言えないよ」。その返事に、彼らの葛藤が浮かんでくるが、対して女性は、笑顔で「いつも気にかけてくれてありがとう」と礼を述べ、手を振った。──いがみ合ったりなんてしたくない。それが沖縄の願いであるはずだ。
映画は、美しくゆたかな辺野古の海を映し出す。海底には色とりどりの珊瑚が息づき、ジュゴンは波にゆられながら、碧い海をゆったりと泳ぐ。こうした自然が壊されていく風景を目の当たりにすることは、住民じゃなくても胸が締め付けられるような痛みを感じる。しかも、沖縄は「県外移設」「新基地建設反対」という民意を知事選によって政府に示しているのだ。沖縄で日本政府がやっていること、それを表現する言葉は「理不尽」という三文字以外、見つけられない。
本作の監督は、以前本サイトでも紹介したことがある『標的の村』の三上智恵氏。彼女は今回の映画について、こう綴っている。
〈辺野古のゲートや海上で彼らに襲いかかってくる権力は、警察、防衛局、海上保安庁にその姿を変え、素手の県民を押さえつけます。でも、いくら押さえつけられても、その口は歌を唄う。怒りの絶頂を瞬時に笑いに変え、気力を盛り返す。撮影しながら、私は確かに地鳴りを聞きました。「島ぐるみ闘争」の震動は、やがて激震となって本土に到達するでしょう〉
タイトルの「戦場ぬ止み」とは、「辺野古のゲート前に掲げられた琉歌の一説に由来している」という。《今年しむ月や 戦場ぬ止み 沖縄ぬ思い 世界に語ら》。──「今年11月の県知事選挙は、私たちのこの闘いに終止符を打つ時だ! その決意を日本中に、世界中に語ろうじゃないか」。そんな意味が込められている。
もうすでに沖縄の答えは出ている。いまは「内地」が、「人として当たり前に与えられていいはずの正しいやさしい選択肢」を国に訴えるときがきている。「ギロチンか、電気イスか」なんて選択を沖縄に押し付け、人びとのあいだを分断する、わたしたちはその当事者なのだから。
(水井多賀子)
『戦場ぬ止み』http://ikusaba.com/
6月5日(金)まで東京「ポレポレ東中野」で先行上映中
7月11日(土)より沖縄「桜坂劇場」、7月18日(土)より東京「ポレポレ東中野」、大阪「第七藝術劇場」で本上映開始。以降、全国で順次公開予定(詳しくはHPまで)