異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

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はためく「わが九条」の幟!/不戦の誓い 至高で最大の防御 若者よ 権力を疑え  

2015-05-05 19:12:35 | 憲法

デザイン画 byレオ 伊藤

                                      画像by京子 斉藤さんFBより(猿田彦さん撮影)

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015050502000140.html

不戦の誓い 至高で最大の防御 若者よ 権力を疑え 浜矩子さん(62)

憲法9条への思いを話す浜矩子さん=東京都中央区で(五十嵐文人撮影)

写真

 青いドレスに黄色のスカート、頭には赤い大きなリボン。白雪姫に扮(ふん)したのは、紫色の髪をした経済学者・浜矩子さん(62)だった。

 今年三月、都内で開かれた教育関係者の集会での演劇「白雪姫-絶望の壁を乗り越えて」。意地悪な王妃に負けず、白雪姫が幸福をつかむ。そんな童話が、学者仲間の書いたシナリオでは、人々の権利を抑え込む「壁」を打ち倒す内容になっていた。

 演技は不慣れで、観客からは苦笑も漏れた。だが、「壁を倒すのに必要なのは、耳と声」との、呼び掛けは本気だった。浜さんが倒したかったのは、憲法の理想を阻む壁だった。

 この劇をきっかけに、浜さんは「ある王子と鏡の対話」の題で、地方紙にコラムをつづった。そこにこうあった。

 「鏡よ鏡、この世で一番大切なものは何であるか」「それは平和憲法でございます」

 ◇ 

 憲法への思いは、八十五歳になる母の京子(たかこ)さんから受け継いだ。京子さんは東京の女学校に通い、福岡・門司(もじ)に疎開した。戦争が終わり、東京の実家に帰る途中、原爆で焼け野原になった広島を目の当たりにした。「聖戦だ」「負けるはずはない」。戦時中に伝えられた情報を「うそ」と実感した瞬間だった。

 そして京子さんは、平和憲法に新しい時代の希望を抱き、地域ボランティア、国際人権活動へと進んでいった。

 四十年前、若かった浜さんは京子さんと沖縄・ひめゆりの塔を訪ねた。「沖縄は遊び気分でなく、巡礼で行く所」と語る京子さん。負傷者の看護にあたった同世代の女学生たちが命を落とした場所で、心に「戦争の時代に二度と戻してはいけない」という京子さんの思いが響いた。

 浜さんは「憲法には、断固たる戦争との決別の思いが託されている。不戦の誓いこそ至高にして、最大の防御」と信じている。

 ◇ 

 しかし、大学の講義などで日ごろ接する学生の多くは、改憲の動きにあまり関心を持っていない。「権力を疑ってかかるという知的姿勢が足りない」。浜さんは、こう厳しい目を向けつつ、若者に期待もしている。

 権力に立ち向かい、社会を変えるのは若者。そんな現実を浜さんは八歳以降、二回にわたり計十三年暮らした英国ロンドンで目にした。

 浜さんが通った現地の小学校では、子どもたちが政治への意見を述べ、選挙に合わせて模擬投票をした。若者はデビューしたばかりのビートルズに熱狂。カラフルな服装で町を歩き、保守的で格差の大きい社会への怒りを発散させていた。大人たちも若者の動向を気にせざるを得なくなった。

 だから浜さんは「怒ることを覚えてほしい」と若者に願う。壁を打ち破るには、自分の思いを萎縮せず表現し、みんなで声を上げること。「物語をハッピーエンドに導くのは子どもたちなんです」。演じた白雪姫の創作劇に重ね、希望を託す。 (土門哲雄)

 はま・のりこ 同志社大学大学院ビジネス研究科教授。経済学者。都立戸山高校、一橋大学経済学部卒業。三菱総合研究所ロンドン駐在員事務所長(1990~98年)を経て、2002年から現職。専門はマクロ経済分析、国際経済。著書に「国民なき経済成長」「新・国富論」など。

 

 


教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑧ 同化政策

2015-05-05 17:07:04 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

 

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑧
 
同化政策


日本による朝鮮植民地支配のもうひとつの面は同化政策です。三・一独立運動の直後、天皇は詔書を出しますが、その中に「一視同仁」という言葉が見られます。朝鮮と日本とをかたよりなく、同じように見るという意味です。表向きは平等思想をうたっているように見えますが、実はこの言葉の中身は朝鮮の人々を無理やり日本人にしてしまうというものでした。同化政策とは朝鮮の人々から民族としての誇りを奪い、歴史や文化や言葉を奪い、皇国【注1】の民に仕立て上げるというものです。そのようにして朝鮮の人々の魂を抜き取り、朝鮮民族の存在そのものを消し去ることをねらいとしていたのです。

...

「一視同仁」の実体は、戸籍【注2】制度の中にはっきりあらわれています。朝鮮人に与えられた戸籍は朝鮮戸籍と言い、内地【注3】の日本人の戸籍とは別のものでした。そして朝鮮戸籍をもつ者は大日本帝国憲法の適用の外に置かれました。つまり日本「臣民」としての権利は与えられていなかったのです。

 

反面、朝鮮人はこの朝鮮戸籍に縛られていたため、たとえば日本以外の国に移り住むといったことも認められていませんでした。要するに、一視同仁とは朝鮮の人々を総督府【注4】のきびしい監視のもとに置き、義務だけを強いて権利は認めず、朝鮮の民を奴隷のように見なし、よいように使役するというものであったのです。この後、日本政府はこの朝鮮戸籍制度を利用して、朝鮮人を侵略政策と戦争の遂行のために奉仕させることにもなっていきます。

 

そのように、日本の朝鮮支配は武断政治と同化政策とが一体となったしかたでなされ、朝鮮の人々に大きな苦しみと痛みを与えました。自分の国の領土や歴史や文化、自分の話している言葉、さらに命までも理由なしに、不当なしかたで奪われるという状況を想像してみてください。当時の朝鮮の人々は、まさにそうした境遇にあったのです。

 

【注1】天皇が統治する国

【注2】家ごとに家族の名前、年齢、性別、続柄等を記した文書。古い時代の日本に見られた制度ですが、明治維新のおりにふたたびもうけられました。

【注3】国の領土のうち植民地として新しく得た土地以外の地。

【注4】植民地を統治するためにもうけられた役所

 

 

 


教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑦  韓国併合、武力による支配

2015-05-05 17:01:43 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

 

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑦

 韓国併合


1910年8月、日本と韓国との間に韓国併合条約が結ばれます。これはかたちの上では大韓帝国の皇帝がその統治権を天皇にゆだねることをみずから望み、天皇がこれを受け入れるという体裁をとっています。天皇のほうでも韓国併合の詔書(しょうしょ)【注1】を出し、その中で韓国を日本の保護のもとに置くことによって朝鮮の人々の幸福を増進させると述べています。

...

けれどもこうした平和的な装いとは裏腹に、実際には韓国併合はまぎれもない日本による武力侵略であり、併合というよりは「併呑」(へいどん―のみこむこと)と言うべきものでした。ここに日帝36年と呼ばれる日本の朝鮮植民地支配の歴史が始まり、1945年の敗戦にいたるまで継続されることになります。

 

武力による支配

日本による朝鮮植民地支配の性格としては、ふたつの面があります。ひとつは軍事力を用いた徹底した弾圧【注2】です。韓国にせよ中国にせよ長い歴史をもち、豊かな民族の文化を生み出してきた国々です。植民地支配はそうした国の人々から歴史や文化や言葉を一方的なしかたで奪うものです。それが言葉に尽くしがたい苦しみをもたらし、同時に自由と独立をもとめる切なる願いを抱かせずにおかないことは言うまでもありません。

 

朝鮮の人々も日本の侵略に抵抗して立ち上がりました。こうした願いを軍事力によっておさえつけることなしには、日本は植民地支配をなし得なかったということでしょう。以後朝鮮半島では武断政治と呼ばれる容赦のない武力支配が行われ、抵抗を選ぶ人々は逮捕や投獄を覚悟しなければなりませんでした。民衆の生活もますます苦境においやられていきました。

 

そうした中、世界の歴史に刻まれる大規模な民衆運動が起こります。三・一独立運動です。1919年3月1日、ちょうど韓国皇帝の葬儀のために首都ソウルに集まっていた数千人の人々が独立宣言文を読み上げ、国旗をかざし、独立万歳を叫びながら市内をデモ行進したのです。独立運動はまたたく間に朝鮮全土にひろがり、参加者200万人、およそ3か月にわたる大運動となりました。祖国を奪われた朝鮮の人々が自由と独立をもとめてたたかった命がけのたたかいでした。日本政府はこれに容赦のない武力弾圧をくわえたため、犠牲者は膨大(ぼうだい)な数にのぼりました。

 

人々は日本の支配に正面から立ち向かいました。しかも深い思慮のもとに非暴力、無抵抗をつらぬきつつ、運動は展開されたのです。このような民族独立運動は世界にも類を見なかったと言ってよいでしょう。その後アジアの国々で行われることになる民族独立運動にも大きな影響を与え、励ましを与えることになります。なお、朝鮮の教会とクリスチャンたちはこの運動にあって大きな役割を担いました。

 

【注1】天皇の意志を述べる文書。

【注2】権力をもつ者が人々を強くおさえつけ、妨害すること。

 

 


安倍訪米の成果のなさを見事に認めた読売新聞の記事

2015-05-05 13:37:54 | 政治 選挙 

ほんと、成果はなしですね。TPPはアメリカ側の成果だし、集団的自衛権で自衛隊を駒のように使える話もアメリカ側の成果だし。何しに行ったんだろうね?歴史的快挙だと喜んでいる議会演説だが、韓国はすでに6回も演説している。演説の中身は何もないし。(S.T)

〔参考〕 安倍首相の米議会演説は愚劣でバカバカしい - 小林よしのり ...

 

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Shoichiro Ikenaga-FB九条の会より転載

安倍訪米の成果のなさを見事に認めた読売新聞の記事
2015年5月5日 

天木直人
天木 直人

 こんな事をいまごろ書いてどうする!

...

 安倍首相の応援団でなくても、そう叱り飛ばしたいような馬鹿な記事を、きょう5月5日の読売新聞に見つけた。

 しかも皆が注目する一面に持ってきて書いている。

 それが、オバマ大統領が、安倍・オバマ首脳会談直後の共同記者会見(4月28日)で、「尖閣領有権 米触れず」、「日本要請で中立封印」という見出しをつけて書いた記事である。

 どういう意味か。

 解説をしない限り、見出しを見るだけではまず誰もわからない記事である。

 その記事の中で読売新聞は次のように解説している。

 すなわちこれまで米国は尖閣の領有権については、尖閣は日本の施政権下にある、と言うだけで、領有権については決して日本にあるとは言わず、中立の立場を取ってきた

 しかし、日本政府は領有権が日本にある事を米国が確認してくれるように求めて来た。

 そして、今回の訪米では共同記者会見で、米国が中立的な立場であるような発言をしないようにと要請した。

 そうしたら、米国がこの要請に応じてくれた結果、記者会見でオバマ大統領は尖閣領有権については触れなかった。

 だから安倍外交が成果をおさめた、といわんばかりだ。

 読売新聞はよくもこんな馬鹿な記事を書くものだ。

 しかもそれは、外務官僚の言っていることの受け売りであることを記事の中で認めている。

 オバマが今度の訪米で「尖閣は日本のものだ」と明言してくれたのなら安倍外交の成果だ。

 しかし、そんなことをオバマが中国との関係で明言するはずがない。

 あまり日本が執拗に尖閣の事ばかり言うので、それではもう尖閣については触れないでおこうとなった、それだけの話しなのだ。

 こんなことをいまごろになってスクープのように書くのは、こんどの安倍訪米がいかに成果がなかったかを認めているようなものだ。

 それにしてもと思う。

 外務官僚の言う事をそのまま垂れ流してスクープの様に書く読売新聞は、もはや御用新聞ですらない。

 取材能力を失った、読むに値しない新聞社に成り下がったということである。

 読売新聞の愛読者はどこまでそのことに気づいているのだろうか(了)

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