異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために㉑  在日朝鮮人(2)

2015-05-28 17:41:30 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために

在日朝鮮人(2)


1945年の敗戦のおり、在日朝鮮人は「朝鮮戸籍」をもつ「日本人」でした。しかし、この年早くも在日朝鮮人の参政権は奪われます(今も奪われたままです)。1947年の外国人登録令によって在日朝鮮人は外国人と見なされ、その年発布された日本国憲法では日本国籍をもつ人々には認められた基本的人権は在日の人々には保障されず、1951年のサンフランシスコ講和条約締結のさいに朝鮮人、台湾人の「日本国籍」は一方的に奪われてしまいます。指紋押捺制度もこのときから始まります。

そうした経緯により、在日朝鮮人は税金を納めているにもかかわらず、さまざまな社会福祉制度からも除外されることになります。

...

在日朝鮮人たちは日本社会にあって、さまざまな差別や偏見に苦しみ、今にいたるまで厳しく、過酷な生活を強いられてきました。とくに在日一世の人々の労苦は想像を絶するものでした。かつて日本の手によって土地を奪われ、生活を断たれ、あるいは強制連行によって連れて来られた在日一世たちの多くは、戦争中は労働力として酷使され、戦後は帰国の望みも失い、何の補償もないまま日本に残され、排除と切り捨ての対象とされました。

在日朝鮮人に対する日本社会の差別と偏見は今なお存在しています。日本国籍をもたないゆえに仕事や住まいを得られない貧困と苦境に加え、朝鮮名を名乗っただけで冷たい視線にさらされ、人権をおびやかされるといった状況が今もあるのです。

 

そこで生じるのが「帰化」、すなわち日本国籍取得の問題です。差別の壁に苦しめられた在日の親が、子供には同じ苦しみを味わわせたくないとの思いから日本国籍を得るということも起こり得ます。そうすることで日本社会に暮らしやすくなるということはあるかもしれません。

しかし、そこにも大変な苦しみがともないます。多くの苦しみや困難の中で在日の人々を支え続けたのは、朝鮮民族としての誇りでした。彼らは異教の地日本で、かつて植民地支配の時代に同化政策により根こそぎにされた「民族」を大切に守り抜いたのです。懸命になって子孫たちに朝鮮の歴史や言葉を教えたのです。

帰化をするというのは、その意味で朝鮮人であることの根本を揺るがす選択なのです。朝鮮籍を保持し続けることには、当然さまざまな困難やたたかいがともないます。一方帰化の道を選ぶ人々も、自分は朝鮮人でも日本人でもないとの意識に苦しめられることになるのです。

 

この国にあって、故国喪失と自己分裂の苦しみに耐え続けた人々があります。この人々と共に生きること。この人々の隣人となること。この国の人々が平和に生きるために、不可欠の課題です。

 

 


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