異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑳  在日朝鮮人(1)

2015-05-28 17:41:04 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために
 

在日朝鮮人(1)


1945年8月15日は日本にとっては敗戦の日ですが、朝鮮の人々にとっては36年にも及ぶ植民地支配から解放された記念日【注1】です。その時点で、日本には朝鮮の総人口のおよそ1割にものぼる人々が生活していました。この人々は日本の敗戦を知ると、もちろん歓喜の声をあげました。ようやく祖国に帰ることができる、新しい歴史の歩みを築いていくことができると、希望に胸をふくらませたのです。帰国を望む人は8割を超えました。

...

しかし、日本政府はこの人々が朝鮮に帰国するための便宜をはかろうとしませんでした(ある人々は命がけで、自力で玄界灘を越えていこうとしました)。加えて、変えるべき祖国がどのような状況にあるのかもしだいに伝わってきました。日本の支配からときはなたれたのもつかの間、朝鮮の人々にはあらたな苦難の歴史が待ち受けていたのです。

 

敗戦により日本は朝鮮の統治権を手放しますが、このときすでにアメリカとソビエト連邦とは朝鮮半島を北緯38度線をもって分割統治することを決めていたのです。38度線の南側ではアメリカが軍政をしき、北側もソ連軍によって占領されました。そして南と北のそれぞれが、アメリカとソ連の支配のもとに単独国家の樹立へと向かっていきます【注2】。戦後の冷戦の枠組みの中で、自由な国家をつくるという願いはまたも押しつぶされてしまったのです。そして朝鮮の人々は、愛する祖国を分断されてしまうこととなったのです。

 

日本にいた人々の多くは南朝鮮の出身でしたが、南朝鮮はすでにアメリカの軍事占領下に置かれていました。インフレ、住宅難、食糧難、自然災害といった暗い知らせも入ってきました。さらに、日本政府は彼らの財産の持ち帰りを厳しく制限しました。

そのような事情によって、祖国に帰ったところでそこに生活の基盤を据えることはむずかしいという現実が重くのしかかってきたのです。今も日本で生活している在日朝鮮人の人々は、そうしてやむなく異国に残ることとなった人々と、その子孫たちです。

 

【注1】「光復節」と呼ばれます。

【注2】1948年8月に資本主義国の大韓民国が、翌月には社会主義国の朝鮮民主主義人民共和国が成立します。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。