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法輪寺

2009年02月16日 | 奈良
藤ノ木古墳から再び法隆寺に戻り、東大門の前を通って、法輪寺にやってきました。



南門と三重塔



金堂 - 江戸時代に再建されたものです。

本来は本尊が安置される堂ですが、現在は講堂に移されているそうです。



三重塔

この塔は昭和の時代に再建されたものです。国宝の指定を受けていた以前の三重塔は、昭和19年に落雷で焼失してしまいました。当然、国宝の指定は解除されてしまいましたが、二代の住職の努力によって再建されました。

再建を手がけたのが斑鳩の宮大工の西岡常一棟梁です。西岡氏は薬師寺の金堂・西塔の再建も手がけています。

この辺りの事情が詳しく書かれている本があります。

「斑鳩の匠 宮大工三代」 西岡常一・青山茂 (平凡社ライブラリー)

非常に興味深い本です。



講堂 - 耐火耐震の鉄筋コンクリート製の収蔵庫です。

本尊の薬師如来坐像などの仏像は現在こちらに安置されています。

コンクリート製というのは味気ないですが、中の仏像の安全性が高くなるのは事実だと思います。近年に三重塔を焼失したということが、影響しているのかもしれません。
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藤ノ木古墳

2009年02月14日 | 奈良
法隆寺の南大門の前の道を西に向かうと藤ノ木古墳があります。



石室内に入ることはできません。



ごらんのような円墳です。

せっかく来たのに、丸い丘を眺める以外にすることがないので、早々に引き上げます。
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法隆寺 (4)

2009年02月11日 | 奈良


この時期の法隆寺の境内は静かです。



観光バスでやって来る団体は固まって行動し、さっと見て直ぐに立ち去りますので、それと鉢合わせをしないようにすればゆったり拝観できます。



西院伽藍の南西の端の入り口 - 見えているのは五重塔・中門



回廊越しに五重塔



三経院 <国宝:鎌倉時代>



西円堂 <国宝:鎌倉時代> - 八角円堂で、「峯の薬師」とも呼ばれます。



西円堂から眺めた金堂・五重塔

この写真ではよくわかりませんが、回廊の連子窓が印象的でした。

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法隆寺の項を終わるにあたって一冊の本を紹介しておきます。

「法隆寺の中の九州王朝」 古田武彦 (朝日文庫)

私は日本の歴史に関しては、奈良時代以前に特別興味があります。しかし、古代史の本を読んでいて、著名な学者の本であっても、「これは学問ではない」と思う時が少なくありません。そんな私が「なるほど」と非常に興味をもって読んだのが、古田氏の書いた何冊かの本です。古田氏の説は、学会では「完全に無視」されていますが、それこそが日本の古代史界の体質を表していると思っています。結果どう思うかは個人の勝手ですが、通説とは全く違う古代の日本の姿を説く説もあるということを知って欲しいと思っています。
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法隆寺 (3)

2009年02月09日 | 奈良
大宝蔵院で百済観音像などを観た後に、東院にやってきました。



南門 <重文:鎌倉時代> - 通常の拝観順路からは見えません。公道を東院の南側に進む必要があります。



礼堂 <重文> - 中門を改造したものだそうです。



夢殿 <国宝:奈良時代>

八角円堂で、有名な「救世観音像」<国宝:飛鳥時代> が安置されています。



夢殿 - 礼堂側正面の姿



絵殿・舎利殿 <重文:鎌倉時代>

今回は中宮寺には寄りませんでした。
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法隆寺 (2)

2009年02月06日 | 奈良


金堂 <国宝:飛鳥時代>

法隆寺の本尊が安置されています。釈迦三尊像 <国宝:飛鳥時代>、薬師如来座像 <国宝:飛鳥時代>、阿弥陀如来座像<重文:鎌倉時代> が安置されています。

他に日本最古の四天王像<国宝:飛鳥時代>、毘沙門天・吉祥天立像<国宝:平安時代>があり、天井に懸かる天蓋や壁画(現在のは再現されたもの)など全てが見る価値のあるものだと思います。

内部の撮影は当然できないのですが、この堂は外から眺めただけでは本当の素晴らしさはわからないと思います。



五重塔 <国宝:飛鳥時代>

最下層の内陣には、塔本四面具と呼ばれる塑造群<国宝:奈良時代>があり、これも見逃せません。塑像群は撮影禁止です。

撮影が許されるのは外観のみです。



金堂・五重塔



五重塔・金堂



大講堂 <国宝:平安時代>

薬師三尊像と四天王像が安置されています。



経蔵・大講堂



連子窓が印象的な回廊 - 西院伽藍を形造っています。

回廊は、平安時代以前は経蔵・鐘楼の手前で閉じられていて、大講堂・経蔵・鐘楼は回廊の外側に建っていたそうです。

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