コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

奇麗だった姉

2021-06-14 16:20:44 | Weblog

義兄と姉の住まいは、

池袋のゴミゴミした所にある2階建てのアパートの2階部分でした。

 

姉と僕の年は11歳離れています。

高校1年生でしたから15才だとすると、姉は26才です。

 

当時の姉は奇麗でした、特に19才~22才位までの3年間は、特別でした。

小学2年生位の時から東京に行っていました。

3年生頃から月に1度から2度は行きました。

当時、姉が買い物に連れて行ってくれたのは、

大体銀座の三越・松屋・松坂屋のいずれかでした。

姉に手を引かれ歩くと、80%の男性は振り向き、

女性は60%位が振り向き、残り40%の内20%位は、

フンと云う感じで、残りの20%は素通りで、興味を持ちませんでした。

男性と女性の違いは、態度で出ました。

興味とライバル視でしょうか、

 

 

 

 


東京は、いつでも新鮮です!

2021-06-11 14:58:26 | Weblog

 義兄と初めてあったのは、高校1年の夏休みでした。

中学生になってから、中長期の休みには姉が毎回東京に呼んでくれました。

春休み・夏休み・冬休みの年3回で、

休みの状況に合わせて、4日~10日位泊まり込みました。

 宿題を持って行き、

勉強はしなければなりませんが、毎回楽しい休みを過ごしました。

3~4ヵ月事 に行くのですが、東京は風景が変わります。

 姉のアパートが変わるのと、街の工事が早いのが原因です。

函南・三島・沼津では、20年・30年でも殆んど代わり映えしません。

 東京は、いつ行ってもワクワクします。

日本で1番新しい事が起きているのを見ることが出来るからでしょう。

 食事は、姉が作ってくれましたし、外食にも連れて行ってくれました。

1年行かないと新しい建物が建っていて、以前の様子が思い出せません。


満身創痍の義兄ですが、

2021-06-10 14:39:39 | Weblog

10年位前に人工透析を始めると姉から聴かされました。

『透析を始めると、死ぬまでやらなければならないらしいから、

少しでも遅くから始める方が良いと聴いてる、もう少し伸ばせないの?』

と言いましたが、始めてしまいました、あ~~・・・

 

 透析は、毎週、月・水・金と病院に通っていたそうです。

病院から帰ると、体調の悪い姉をかばい、家の掃除をしていたそうです。

『梅宮辰夫は人工透析から帰ると、機嫌が悪くて家族にアタリ散らしていたと、

TVで娘が言っていたけど、大丈夫なの?』と言いましたら、

『何の運動もしないんだろ?俺は鍛えているから』と言っていました。

 甥と甥の友達の話では、

家で暇があると腹筋の運動をし、体を鍛えていたそうです。

『オジサンの運動は凄いよ、俺は全然真似出来ない!』と甥の友達は驚いたそうです。


今日は、焼かれました・・・

2021-06-08 15:45:58 | Weblog

今日は11時からの予定でしたが、

少し伸びて11時30分位から始まったようです。

 

30代後半からは、病気との闘いのようでした・・・

 30代後半~40代半ばに大手術を2回行い、

これ以降、これに関連する入退院を繰り返していました。

 

 60代になると、呼吸困難になり肺気腫と確認され、

肺に溜まった水を出すため入退院を繰り返すようになりました。

 中学生当時からのタバコの喫煙が原因だと自分で自覚し、禁煙に成功しました。

 

 

 

 

 


義兄が逝ってしまった・・・

2021-06-07 15:43:52 | Weblog

6月2日(水)朝8時30分、

義兄が逝ってしまったと甥から電話がありました。

 

この日の2~3日前に、

この日が来る事を知らされていましたが、

「あ~、そう」と云う風に聞き流していましたが、

現実になると、スッキリと受け入れる事が出来ません・・・

 

確か昭和5年の1月生まれでしたので、

もう年だと言われれば、そのとおりですが、、、

 

若い時から、色々な病気になっても、

何事も無く、元気な顔をしていた人なので余計です。