今朝起きてTVをつけると、MATSUZAKAの会見だった。
質問は日本語のものと英語のものがあり、回答は日本語。そこに必要に応じて通訳が入り、日本のTVでは同時通訳の人も待機している、という状況だった。
「大リーグが夢だった?」「夢は見るもので実現するものでないから、夢という言葉は好きではない。目標だった」といったやりとりを、その場で違う言葉に置き換える通訳という仕事は本当に重要だと再認識させられた。
“夢”は"dream"、“目標”は"goal"と訳されていたが、言葉というものは1:1に対応しているということでもないのではないか。そこに異文化コミュニケーションの難しさがあるように思った。
ところで、アメリカの記者が日本語で質問し、会場の通訳の方が英訳しようとした時に「自分で訳します」と言ったこと、日本語の質問を会場で英訳した時にTVの同時通訳の人が日本語に訳そうとしたことなど、複雑に微笑ましいこともあった会見であった。
質問は日本語のものと英語のものがあり、回答は日本語。そこに必要に応じて通訳が入り、日本のTVでは同時通訳の人も待機している、という状況だった。
「大リーグが夢だった?」「夢は見るもので実現するものでないから、夢という言葉は好きではない。目標だった」といったやりとりを、その場で違う言葉に置き換える通訳という仕事は本当に重要だと再認識させられた。
“夢”は"dream"、“目標”は"goal"と訳されていたが、言葉というものは1:1に対応しているということでもないのではないか。そこに異文化コミュニケーションの難しさがあるように思った。
ところで、アメリカの記者が日本語で質問し、会場の通訳の方が英訳しようとした時に「自分で訳します」と言ったこと、日本語の質問を会場で英訳した時にTVの同時通訳の人が日本語に訳そうとしたことなど、複雑に微笑ましいこともあった会見であった。