Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

『俺にとってたった一人の大事な友達でも』

2020年06月08日 20時43分37秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

冒頭に慣例なんでコメントを。

本日、当ブログ「Konemyのベル」

開設から1350日です、ありがとうございます。

今後ともよろしくお願い致します、といったところです。

さて、本題ですが。

数年前の今日について少しお話ししようかと。

数年前と言われて、何をお思い浮かべますか。

一般的に「数年前」とは

2〜3年、または5〜6年前を指します。

最長でも9年前までです。

以前は十数年前だったり、数十年前だったり。

なので、私は「間違った日本語」を使いました。

が、ここでちゃんと明言したので悪しからず。

実際に過ぎた年の長さではなく、感覚的長さとして言葉にしたので

私の中では……なんて屁理屈を。

さぁさぁ、本題に入りましょう。

19年前の今日。

大阪教育大学附属池田小学校で児童8人死亡、15人がケガを負う事件が発生しました。

正直、私は覚えていません。

リアルタイムで認識したわけではなく

後にテレビや新聞等で学んだだけなので

この件に関しては紹介に留めます。

12年前の今日。

東京、秋葉原で7人が死亡、10人が重軽傷を負った通り魔事件が発生しました。

こちらはよく覚えています。

加藤智大死刑囚が警察に捕らえられる映像がテレビで流され

事件直後の現場の写真なども目にしました。

率直な感想は

あぁ、理性の箍が外れたんだな、でした。

加藤死刑囚の言葉・手記の一部を目にしました。

理解出来るものばかりです。

共感すら出来る。

おっしゃっていた事を私は肯定します。

似ているという言葉は使いたくありませんので避けます。

変わらないんです。

認めなくないものですが

我々は善にも悪にもなります。

なれます。

私の背後には常に善良と認識される私に刃を向ける

邪悪と認識される私が立っています。

いつ突き刺され入れ替わるのか、分かったものではありません。

まぁ、入れ替わる事なんて

まず、あり得ない事であると断言しておきますが。

それでも、度し難い事件を起こした人の言葉に

理解・共感・肯定なんて

度し難い。

一つ、私が最も共感した言葉を。

『俺にとってたった一人の大事な友達でも、
相手にとっては100番目のどうでもいい友達なんだろうね。
その意識のズレは不幸な結末になるだけ。』

なんて現実を言い当てた言葉なんだって思いましたよ、不覚ながら。

              それでは bye! Konemy