Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

真実とは 〜主観と主観の交点〜

2020年06月30日 15時18分27秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

趣味として

読書・執筆を挙げる私のフリータイムは

読書であることも多いです。

最近、読書時間が少なめになっている気もしますが。

さて、今日は先日読んだ本の話です。

その本の内容としては

第二次世界大戦末期。

集団疎開した感化院の少年たちが

疫病の流行する山村に閉じ込められるが

そんな監禁状況下において愛と連帯の自由の王国の建設を目指し

脆く挫折する話です。

文庫で222ページほどの作品を5行で説明すれば分かりにくくなります。

でも、どんな話かはこれから語る上であまり重要でないので

この程度で。

読み終わって感じたのは

真実とは、一体何なのか

と言う事です。

ねぇ

話の内容と全く関係がないでしょう。

これが(自称と若干他称)稀代の「話の飛ばし屋」でございます。

感じた、なんて言ってますが

もちろん私の中でずっと以前から

この疑問に対する結論は出ています。

でも、即語らず、下らん話をします。

作中にこんな台詞があります。

『警察へ訴え出ても誰一人お前のために証言する奴はいない事を覚えておけよ。』

これは感化院の少年の一人の疎開先である山村の村長が言った言葉です。

分かりやすい構図で説明すると

素行不良の問題児に教師が言ったような感じです。

どっちが嘘を言って、どっちがほんとを言いますか。

皮肉れず答えれば自明。

でも、絶対ではない。

実際、感化院の少年と村長のやり取りは

誰が見ても明らかに

前者が正義で、後者が欺瞞なんです。

これは一般的見解ではなく普遍的見解です。

さて、本題に戻って

「真実とは何か」語りましょう。

確かに真実は存在します。

しかし、それはいるかも分からない神の世界においてです。

我々人間は真実を知りうる事は絶対に無い。

我々の持つ「真実」は

「主観と主観の交点」である。

結果、偶然「真実」が真実になり得ることもあるでしょう。

でも、人間の世界に真実なんて存在しないんです。

真実が存在しない

あるのは「真実」だけである

と受け入れられない人の末路が

「神はいない」

なのですかね。

              それでは bye! Konemy絵は