Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
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一種の"プロ"としての誇り

2020年06月19日 08時08分42秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

本日、政府は都道府県境をまたぐ移動の自粛要請を全面的に解除しました。

イベントの上限人数も緩和され

このまま行けばいずれLIVEなども再開出来る様になるかも知れません。

最近

日本のエンターテインメント界を牽引する団体である

ジャニーズグループが有料配信LIVEを行なっているニュースを耳にしました。

他にも自粛期間中にはYouTubeなどで過去のLIVE配信を行なうアーティストがいましたね。

私事ですが

学生時代、バンドを組んでいた事がありまして。

約三年という短い期間ですが

三つほどのバンドのベース・サブボーカルを担当していました。

初等教育時代やここ二、三年くらいの私しか知らない人からしてみると

「血迷っていた」「道を踏み外した」時期らしいです。

学生のいわゆる部活動の一環ですが

何度かLIVEを行なった事があります。

これは招待LIVEなどではなく

きっちりお金を取って行なったLIVEです。

勿論、収益はありませんよ。

それでも、駅前で無料で美声を聞かせてくれる

かの者たちとは違います。

ここで考えたいのが

「プロ」とは。

「プロ」のミュージシャンとして思い浮かぶ人は沢山いますよね。

その人たちは何故ゆえ「プロ」なのか。

良く考えれば深いのかも知れませんが

ここでは単純に考えてみます。

「プロ」と言えるのは

「生計を立てている人」

なかなか一般的な定義ではないでしょうか。

生計を立てる=お金を払ってもらう

お金の対価として音楽を提供する。

でも、お金を払ってサービスを提供する人全員が「プロ」なのか。

否。

皆の認識として、アルバイトやパートの類は「プロ」と扱われない。

一部を除いて

生計を立てているとは言えないからだ。

この認識に疑問を呈したい。

例え、学生集団だろうが

お金を取って、来てもらっている相手に対して

学生気分のテキトーなものを提供しない。

絶対にしてはならない。

またまた私事だが

私は現在、茶道を嗜んでいる。

僭越ながら、年に三回ほど大衆茶会も催させて頂いている。

今年度は色々あって出来そうもないのが残念だが。

このお茶会の参加料(便宜上そう呼ぶ)は決して安くない。

通常の価格で「プロ」の歌手が発売するCDほど。

場合によっては「プロ」の歌手のLIVEビューイングに参加出来るほど。

私が点てる一服は相対的に見てそれほどの価値がある。

確かに、相手は若者の拙い点前覚悟で来てくださっているのかも知れないが

そんなのはこちらが勝手に都合よく考えているだけだ。

相手がどう思っていようが

こちらは対価に値するものを提供しなければならない。

義務がある。

生計を立てていないとしても

相手から見れば同じ有料。

例え、趣味であったとしても

「プロ」でなくとも

一種の"プロ"としての誇りを持つべきだ。

そして、趣味だと一蹴して手を抜く輩を私は許せない。

現在のような状況だったとしてもね。

              それでは bye! Konemy

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