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引越しいたします。

カシュガルーホタン鉄道2008年着工2010年開通へ。

2007-03-20 00:07:51 | ニュース

中国経済網 3月11日
http://big5.ce.cn/cysc/jtys/tielu/200703/12/t20070312_10665665.shtml

3月10日中国中央、また新疆の記者団に対して、新疆ウイグル自治区共産党委員会書記の王楽泉氏は2008年にカシュガル―ホタン鉄道が着工し、2010年に完工予定であることを明かした。

カシュガルーホタン鉄道はカシュガル市から民豊県まで775キロメートル、総投資65億元の計画。

開通すれば南新疆地域にこれまで以上に人口流入し、軍事的な動員が可能になると思われる。それにしても一気に民豊までとは。

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佐藤優の中国の対ウイグル宗教政策の認識に対する疑問。

2007-03-18 23:42:25 | ニュース

「日本はこれから中国のウイグル地域に注目しなければならない。」一昨年から対談等でそう言って来た休職中の外務省職員、「ラスプーチン」こと佐藤優氏については今さら紹介するまでもなかろうと思う。
最近の著作では「獄中記」等がある。氏は中央アジアの民族問題についても知識十分であることは昨年の著書「国家の崩壊」で知られている。藤原正彦氏との対談はこちらから。
http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/97a7ce8d7a379d46febacd0f4ebb880c

さてその佐藤氏はSAPIOの07年3月14日号の連載、Intelligence Databaseで中国とバチカンの接近の問題でウイグルに関連してこのようなコメントを出した。
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070314-02-0401.html
中国インテリジェンスの最も弱い部分は、宗教に関する基礎研究である。具体例を挙げよう。
 
 中国は以前からウイグル人の民族運動を警戒していた。東トルキスタン共和国を建設しようとする民族運動家に関する情報を丹念に収集し、新疆ウイグル自治区でも民族活動家に対して過酷な弾圧を加えている。しかし、イスラム教に関して、中国共産党のイデオロギー官僚は「遅れた迷信で、文明化とともに自ずから消えてなくなる」程度の認識しかもっておらず、結果としてかなり寛容な政策がとられていた。ウイグル人がハッジ(大巡礼)、ウムラ(小巡礼)で中東に出国することも比較的に容易だった。
 
 しかし、1990年代末より、巡礼に出たウイグル人で中国に帰国しない者が増え始めた。それと同時にチェチェンやボスニアの原理主義武装集団の戦闘員に加わるウイグル人が増えている。ロシアはチェチェンで拘束したウイグル人を例外なく中国に送還している。これらウイグル人は中国の公安(警察)、国家安全局(諜報機関)から徹底的な尋問を受けた後に、裁判にかけられ、ほとんどの者が死刑になっているという。中国が、イスラム原理主義がウイグル族や回族(中国人イスラム教徒)に与える危険を認識しだしたのは過去数年のことだ。

<iframe align="left" marginwidth="0" marginheight="0" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=truthofsilkro-22&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4000027727&amp;fc1=000000&amp;IS2=1&amp;lt1=_blank&amp;lc1=0000FF&amp;bc1=000000&amp;bg1=FFFFFF&amp;f=ifr" frameborder="0" scrolling="no" style="WIDTH: 120px; HEIGHT: 240px"> </iframe>中国が現在「東トルキスタン共和国を建設しようとする民族運動家に関する情報を丹念に収集し、民族活動家に対して過酷な弾圧を加えている」のはそのとおりである。しかし、「中共のイデオロギー官僚はイスラム教が『おくれた迷信』で文明化とともに自ずからなくなると思っていた。」というのは本当だろうか?
ここで「東トルキスタン共和国研究」の神戸大学教授、王柯氏の1996年の著作「ウイグルアイデンティティの再構築」(岩波 「イスラム原理主義とは何か」に掲載)から引いてみよう。王柯氏の研究には批判も多いが少なくとも中国の対少数民族政策に対しては正しくトレースしていると思えるからである。
王柯教授によれば中共の対ウイグル宗教政策は性格の転換によって2つの時期に分けることが出来る、「新疆解放」より文化大革命の終結に至るまでは、イスラームは国内外の反共産党勢力により利用されやすく、「イスラムが宗教的支配地位を手にすれば、野望を持つイスラム首領は政治支配権を奪いたくなる。」(李泰玉、1979)というのが基本的認識であり、そのため名目的な信仰の自由は許されたが、宗教の行政、司法、教育等への関与、礼拝や巡礼以外の集団的宗教活動は禁止された。その結果イスラム初等学院(マクタプ)やモスク、イスラム法学者は激減してイスラムは自生自滅の状態になった。文化大革命がそれに拍車をかけたことは言うまでもないところであると思う。

これが変化したのは1980年代からの改革開放の時代である。1982年の中国共産党中央委員会第19号文件では宗教弾圧が少数民族の反感を増大させると認め、「自由な宗教活動」を明言したのであるという。その結果、新疆社会科学院の調査によればモスクの大量建設、マクタプの増加、巡礼者の増加(メッカ巡礼の意味かは不明)、ウラマーの権威の復活、共産党員の宗教行事への参加が見られた。ちなみにウイグル族がメッカへの巡礼が許可されるようになったのが1979年からであるという。またウイグルの著名な文化人マフメド・カシュガリーやユースフのマザール(聖廟)が政府の力によって復興されたのもこの時期であろう。これを王柯教授はウイグル独自ののイスラム復興であるとしている。もちろんこのイスラム復興は無神論を金科玉条とする中国共産党統治下のもの
であるから無制限の「信仰の自由」を保障するものではなかった。「宗教無信仰の自由と無宗教者に対する差別の禁止」という面があり共産党員の宗教信仰は堅く禁止されている。

もちろんこれらの政策は90年代末から変化して、イスラム初等学院は登録制になるという事実上の禁止となり、モスクの建設、宗教的行事にしても厳しい制限がかかるようになってきた。このことはヒューマンライツウォッチらの報告書「毀滅的打撃 Devastating Blows」に書いてあるとおりである。

また、佐藤氏の言うウイグル人のチェチェン戦争への参加、逮捕、中国への送還であるが、確かに2000年にKurban Abdulaikという名のウイグル人がダゲスタンでロシアに逮捕されて中国へ強制送還されたという報道があった。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/831679.stm

しかしながら、このブログをはじめた2005年から現在にかけてそういった情報は英語メディアでは流れていないと思う。佐藤氏独自のロシアからの極秘情報なのであろうか。
ウイグル地域での「イスラム原理主義」の浸透、そしてチェチェン紛争などへの参加。それは断片的に伝えられるものの確実なソースで伝わることはほとんどない。ここでNYTやFTなどでもコメンテーターとして活躍しているというカナダの中央アジア政治分析者アンドリュー・マクレガー氏の1月5日新疆パミール高原コスラップ事件についてのレポートから引きたい。

http://www.cacianalyst.org/view_article.php?articleid=4735
「多くのウイグル人はイスラムのスーフィ秩序のメンバーで、アルカーイダとの協力に欠かせないサラフィー派イスラム(いわゆるイスラム原理主義)への関心はない。スーフィーがアルカーイダと協力しているという実例はほとんどない。そればかりかスーフィの礼拝方式は異端として撲滅しなければならないとオサマ・ビン・ラディンやその仲間に攻撃されている。しかしながら1990年代にはタリバンでの軍事訓練が反アメリカのビン・ラディンのジハードではなく中国からの分離のためとして必要だとして参加したウイグル人がいることがわかっている。パキスタンのISIから訓練を受けたウイグル人がいたかもしれない。」

「タリバンやジュマ・ナマンガニ率いるIMU(ウズベキスタンイスラム運動)とともに戦ったウイグル人もいるし、1999年に始まった、第二次チェチェン戦争のイスラム戦士に加わったウイグル人もいる。然るに2001年の外国でのジハードグループで戦ったウイグル人は数百人以下であるし、その年から大きく減少しつつある。ウイグル分離主義運動は広範な目的と方法をとっており「ジハード主義あるいはイスラム(原理)主義は断片に過ぎないということを記するのが重要である。」

佐藤氏は中国が西部の国境ではイスラム原理主義との対応に手一杯であるとの分析でバチカンとの接近を論じているのであるが、その中でウイグルの実態についてイスラム原理主義をとにかく強調するその姿勢は疑問符がつく。
思えば、チェチェン問題にしても佐藤氏はイスラム原理主義者とロシアとの狭間で苦しむ一般のチェチェン人に対するまなざしがほとんどない。
この件についてはウェブ上で林克明氏や大富亮氏らのジャーナリストによる批判を聞いたことがないがどうであろうか。
国家権力の均衡によって国際社会の状況はきまるという「国家主義者」である佐藤優氏のそれが限界なのかもしれない。

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グルジャ、伊寧 デモ 1997.2.5?

2007-03-14 23:54:29 | ビデオ


いや、これ昔どこかの掲示板からDLしてみたものなんですけど、ウイグル語がわからないのでほんとに1997年2月5日のグルジャでのデモの模様なのか不明です。(泣き)

で、ためしにYOUTUBEにアップしてみました。いいんかな。こんなことして。

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全人代新疆代表団が記者会見。コスラップ事件逮捕者「公開」裁判か?

2007-03-13 23:48:45 | ニュース

会見後にヌル新疆党副書記に食い下がる報道陣。ワイシャツの外国人はロイターのベン・ブランチャード記者ではないかと思われる。@大公報

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中国の全国人民代表大会が行われているわけですが、
その中で新疆からの代表団が記者会見を3月9日北京、人民大会堂その名も「新疆の間」で行いました。(この新疆の間では去年、日中友好協会会長平山郁夫と野中広務、曽慶江が会談しています)
出席しているのは自治区主席のイスマイル・ティリワルディ、カシュガル地区党書記の史大剛、そして自治区党副書記のヌリ・バイクリ(ヌル・バクル?)漢字表記(努爾・白伯力)です。ヌリ氏はウイグル族ながら若手46歳で北京の党中央学校出身、ラビア逮捕のときは39歳のウルムチ副市長、そのとき言った言葉が「分離主義者は逮捕され当然」といった感じでした。最近その存在感を増しています。次期自治区主席の声もあがっています。あくまでも自治区主席候補で自治区党書記候補ではないところが味噌ですが。

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イスマイル自治区主席
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ヌリ新疆党副書記
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史大剛カシュガル党書記

新疆ウイグル自治区の動静や経済事情、そして先の1月5日のパミール山岳地帯、コスラップ鎮近郊での「テロ団体訓練基地急襲事件」についての「発表」が行われました。イタリアのサイト、Asianewsとロイターも伝えています。

http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/news.xinhuanet.com/misc/2007-03/09/content_5823489.htm
http://www.asianews.it/index.php?l=en&art=8702&size=A

コスラップ事件について、イスマイル自治区主席から振られた史大剛カシュガル党書記がロイター記者の質問に答えているのですが
http://news.sina.com.hk/cgi-bin/news/show_news.cgi?ct=china&type=china&date=2007-03-10&id=2346098
香港の「明報」が取材したとおり、17人の逮捕者の「公開」裁判が約束されたという報道があがっています。
http://www.asianews.it/index.php?l=en&art=8702&size=A

史大剛書記はその「裁判」がいつ行われるか、誰の出席が許されるかについては明確にしなかったが、それを「公開」と表現した。史書記は容疑者は東トルキスタンイスラム運動の訓練基地で逮捕され、タリバンによって訓練され中国内のテロ攻撃を見据えてアル・カーイダと連絡を取り合っていたという。1月15日の急襲攻撃では外国人は訓練基地で発見できなかったが、18人のテロリストと思われるものの死亡と一人の警官の死亡という結果に終わった。史書記は1500個以上の手榴弾とより多くの数の爆発物と武器が訓練基地より押収されたという。北京はずっとETIM(東トルキスタンイスラム運動)をイスラムテロとの関連で非難してきた。

にもかかわらず、イスマイル・ティリワルディ自治区主席は新疆で東トルキスタン武装勢力が作戦を行う余地は狭まっていると言った。サウスチャイナモーニングポスト紙から質問されたが、イスマイル自治区主席は著名な人権活動家ラビア・カーディルの息子、アブリキム・アブディリウムの存在を明らかにすることはなかった。
アムネスティインターナショナルは秘密裁判でアブリキム氏が「破壊工作」の容疑での判決の宣告のあと医療処置を拒否され、重大な健康侵害に悩んでいることを非難していた。

国連をふくむ多くのソースが北京のテロリズムをウイグル人の迫害の口実としていることへ非難している。地域の宗教局はウイグル人の宗教活動を制限し、女性と子供のモスク参拝を禁じている。

先の新華社の報道ではこの記者会見での史大剛カシュガル党書記がテロ基地急襲事件で拘束した「テロリスト」の「公開」裁判をすると言ったことやサウスチャイナモーニングポストの記者がラビアさんの子息、アブリキム氏の現状を問うたことは書かれておりません。SCMP記者はGJです。

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モーリー氏 冬のエイティガールモスクを行く。

2007-03-11 23:47:27 | ニュース

ウイグルを訪問しているモーリー・ロバートソン氏、昨日はカシュガル、今日はクチャということです。ここyou tubeに2,3日にアップされているフィルムをまた貼ります。

ここに出てくる観光ビデオや写真ではわからないエイティガールモスクの前の広場の風景、考えさせられます。

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