real SR

引越しいたします。

1997.2.5クルジャ(イーニン)事件「伊寧大屠殺」から10周年、ラビア・カーディル証言(その2)

2007-02-06 23:51:51 | ニュース

(その1からの続き)
私と話した他の多くの人もこのことを目撃しました。多くの人々は死体が土の中に埋められて捨てられるために運び出されたのではないかと疑いました。

その後、私は別の人の家を訪ねました。アブデゥルシュクル・ハジム、彼はデモには参加していなかったのですが中国軍による殺人を目撃していました。彼の家にいたときに、イリ県公安があがり込んで私を再び拘束し、公安局にまた連行しました。私はこの紳士(アブデゥルシュクル氏か)が続いて逮捕され私に「国家機密」を渡したということで懲役2年を宣告されたということを聞きました。2年後に彼が釈放されたとき、彼の精神は破壊されていました。

私の2回目の拘束とイリ公安による警告の後でさえ私はグルジャ(伊寧)を離れませんでした。私はただその地でその出来事を証明し、情報を集める責任を感じていたからです。その結果私は3度目の拘束を受けました。公安局に着いた時、局員たちは言いました。「我々はお前にここを立ち去れと警告したのにお前はいまだここにいる。よかろう、ならば、お前がこの地で起こったことに興味があるならこれを見よ。」

そして彼らはクルジャでの軍事的「鎮圧」の行われた日々に撮影されたフィルム映像を私に見せました。私は彼らの意図が私を脅し、沈黙を守るように怯えさせるためであったと信じます。私はそのフィルムを公安局でイリ公安局長を含む何人かの他の人と見ました。私は人生の中でこれほどの残忍を見たことがありませんでしたし、フィルムの中の光景の恐ろしさを適当にあらわすことは出来ません。その中では何十匹もの軍用犬が子供と女性を含む平和的なデモ参加者を攻撃し、突進し、噛みついていました。中国人民解放軍はデモ参加者を殴りつけ、折られて地面に倒れるまで足をめがけて打ちすえたのです。地面に倒れている人たちは何人かは生きていましたが、死んでいた人もいました、彼らは地面を引きづられ何十台もの軍用トラックに詰め込まれていきました。

フィルムには若いウイグルの少女が叫んでいるのを写していました。「セメトジャン」、そして血を流して中国軍兵士にトラックに向かって引きづられている若い男に走りよっていきました。他の兵士が彼女を殴り倒して即時に撃ち殺しました。その兵士は彼女の髪をつかみ若い男が投げられたと同じトラックに詰め込みました。フィルムの他の部分では5歳から6歳のウイグルの子供の一団と赤ん坊を抱いた女性とに一斉射撃するのが写っていました。子供と女性は全て撃たれました。屋根の上かトラックの上か、どこから銃撃されたのか明らかではありませんでした。道には戦車が出ていました。そしてフィルムの中で三種類の人民解放軍兵士を見ることが出来ました。ヘルメットを被り盾と警棒を持っている兵士、自動小銃を持った兵士、そして銃剣をつけたライフルを持った兵士です。フィルムの中で漢人の兵隊が「奴等を殺せ!奴等を殺せ!」ある将校が兵士に言うのが聞こえました。「ウイグル人か?漢人か?漢人には触れずウイグルを殺せ。」
壊れる前にさんの苦情より修正)

フィルムを見た後、私はできるだけのことをしたと感じました。私は恐怖を十分目撃しました。私はクルジャ(伊寧)市を離れウルムチに向かいました。クルジャ空港についたときに国家安全部員からみぐるみ検査を受けました。彼らは私の所持品を全て没収しました。私の衣服と荷物もです。彼らはあたらしい衣服を渡し空港まで同行しました。

ウルムチに帰ってから約10日後、一人の女性と二人の若い男性がクルジャから私の事務所を訪れました。三人は自身はクルジャでのデモには参加しなかったが中国当局がデモに参加しなかった人たちを含む多くのウイグル人を無差別に逮捕するようになったのでウルムチに逃げることを決めたといいました。彼らのうちの一人の父親は共産党員でさえあると言いましたがそれでも安全ではなかったのです。三人のうちの女性は目に涙をためて処刑の地へ街を引きまわされていくトラックの中にいる身内に手を振り別れを告げるウイグル人群集に向かって銃撃したと、話しました。彼女は一人の絶望した母親がトラックの中の息子に叫び手を上げたとき建物にいた中国兵がマシンガンで彼女を撃ち、周りの5~6人のウイグル人も殺したといいました。近くにいたロシア人が何が起こったのかを目撃して「ファシスト!、ファシスト!」と叫びました。

クルジャに滞在していたとき、私はウイグル人の30家族を尋ね100人近い人たちと面会しました。私は平和的な抵抗運動への軍事的「鎮圧」のなかで息子や娘たちを失ったウイグル人の家族の痛みを感じました。3回にわたり拘束され脅迫されましたが、私は中国の軍隊と公安の手による直接の虐待を経験することにより状況の酷烈さを理解することが出来ました。

私はクルジャ(伊寧)で命を失った人たちを忘れないことと中国当局の説明責任を求めるために声をあげています。

ラビア・カーディル紹介サイト↓

このブログに興味をいただけたらblogランキングへクリックお願いします。