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宮崎信行の国会傍聴記 ニュースサイト

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

【当ニュースサイトがスクープ】NHK、当ニュースサイトの17時間43分後に後追い報道 GPSをつける行為のストーカー規制法改正案

2021年01月28日 12時37分10秒 | その他
[写真]NHK(写真奥=放送センターと右側にNHKホール、渋谷スカイで先月撮影)打倒をめざす、当ニュースサイトの筆者・宮崎信行。

 当ニュースサイトがきのう午後6時29分に報じた「【法案】ストーカー目的でつきまとい相手の車などに勝手にGPSを取り付ける行為処罰へ「ストーカー規制法改正案」2月下旬に国会提出のはこび」について、NHKはさきほど、午後12時13分過ぎの「NHKニュース」で報じました。


[画像]NHKニュース、2021年1月28日12時14分頃、宮崎信行撮影。

 内容は当ニュースサイトの報道でほぼ同じでした。

 また、これに前後する時間帯に、朝日新聞電子版、日経新聞電子版が報じ、朝日では電子版トップ。Yahoo!ニュースなどでも報じられています。

 当ニュースサイトの報道が、17時間43分ほど先んじた格好になります。

 NHKは法人ですから、松平アナウンサーが定年退職してもNHKで、私は個人ですから、その寿命を有限ですが、生きている限り、月1回ぐらいはこういうことがあるように時々、勝負をかけていきます。

以上です。 
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【訃報】さようなら、ありがとう、伊藤英成さん

2021年01月19日 22時59分28秒 | その他
 伊藤英成さんが亡くなったとの報道が入りました。

 1998年の民主党としては初代政調会長、それに先立つ新党友愛の幹事長、民社党の政策審議会長をつとめた、伊藤英成・衆議院議員が、きょう、令和3年2021年1月19日亡くなったそうです。享年79。あす豊田市で葬儀を行いますが、近親者のみとのこと。トヨタ自動車入社後、1983年、現職急逝に伴い、豊田社長と労組委員長の共同の要請で立候補し、初当選。連続6期すべて圧勝。働くなかまが定年を超えたとして2003年にあっさり引退しました。

 私・宮崎信行は、1998年3月、弱冠24歳の若き日の青春時代、衆議院第5控室にカバンを置くと、25控室に顔を出し、伊藤英成幹事長の番記者を、中野寛成代表の番記者とともに担当。会社員として初めてメーン担当を一人で任されました。

 議員会館詰めの秘書全員、全員衆議院本館詰めの党職員にもよくしてもらい、麹町にある「社宅」にもたびたびうかがいました。初対面で「期待してるよ」と社交辞令。しばらくして気に入れると、「アクセルふかすよ。しっかりついておいでよ。今、連合の鷲尾会長からケータイに電話があった。きょうは豊田章一郎経団連会長と会ってきた。あすは、創価学会の秋谷会長に会う。一人で行こうと思ったけど、代表が連れて行って、というので、代表と2人で行く。政界広しといえども、連合、経団連、創価学会の会長に会えるのは僕だけなんだよ、自民党にすらいないんだよ、僕だけなんだ」とのことでした。

 その後、仲間内では、1998年民主党で菅直人さんに代表を譲って幹事長代理につく鳩山由紀夫さんともう1人の幹事長代理に名前が挙がりました。仲間の先輩も「えいせいは、トヨタという超大組織一つで当選してきているから、いろいろな組織との調整を経験した方がいいのではないか」と諭されましたが、NHK日曜討論に出たいということで、政調会長となりました。

 政調会は、伊藤英成会長、岡田克也会長代理、枝野幸男筆頭副会長の三役で発足。私は継続で、政調会長番となりました。私はいろいろと運が良いのですが、それから23年間という化石のように長い時間が経った現在も岡田常任顧問と枝野代表にはお世話になっています。

 政治記者の武勇伝として有名な「記者会見の原稿を、記者会見より前に書く」ということをしましたが、実際の伊藤幹事長記者会見に臨むと、我ながらまるっきりの的外れ。勉強になりました。

 今、過去の取材メモを探し当てました。1998年8月20日。「英」ブリーフィングと表題を書きながら、「英」を二重線で消し「枝」ブリーフィングと書き直しています。故人に対して二重線とはまことに失礼、汗顔のいたりですが、時間に追われる新聞記者ゆえお許しいただきたい。

 ただ、「英」3党協議報告、とあるので、枝野筆頭副会長がブリーフィングし、もちろん、会合ではまず、伊藤会長の報告がありました、とていねいにブリーフしてくれたようです。


[写真]「8/20 英ブリーフ」と書きながら「英」に二重線を引き「枝」と書き直した、無礼極まりない筆者の取材メモ、右下は「岡田」の文字=1998年8月20日=、きょう2021年1月19日撮影。

 画像の一番下になりますが、「沖縄問題は防衛部会で基地検討しているが振興策を含めて包括的にやった方がいい」との岡田克也・政調会長代理の会議での発言も書き留めています。

 ちなみに自分ではほとんど書いたことがありませんが、私が日経新聞政治部に在籍していた時間はどのくらいあるか、というと実は、1年4か月強に過ぎません。初めて書いたかもしれません。転勤前日、英成・政調会長から「さびしくなるね」との社交辞令をいただいてから、実はいちどもお会いしたことはありません。

 渥美半島出身→名古屋大学→トヨタ自動車→衆議院議員→トヨタ車体監査役という栄光過ぎる人生。もちろん政治家に必要な「ブレーキ、エンジンブレーキ」はなくアクセスをふかしつづけるトヨタ社員人生でしたが、多くのことを学ばせてもらいました。新党友愛のような小さい組織にも派閥があるときづいたことも含めて。

 喪主が甥ごさんのようですから、「麹町の社宅」にお住まいでクッキー、ティーなどを出してくださった奥様にも、ありがとうございました、と遅ればせながら申し上げます。

 これから、岡田代理、枝野元筆頭副会長が調子に乗っていたら、私がそっと英成会長に向かって告げ口をします、というのはさすがに冗談が行き過ぎています、ね。悲嘆に暮れている方もいらっしゃるでしょう、近親者、トヨタ労組、全トヨタ労連、愛知11区内支持者、豊田市の方々、渥美半島の方々、名大のみなさまにお悔やみ申し上げます。

 心より哀悼の意を表しますとともに、私からはご冥福をお祈りいたします。

このエントリーの本文記事は以上です。
国会傍聴取材支援基金の創設とご協力のお願いをご一読ください。 
このニュースサイトは以下のウェブサイトを活用しエントリー(記事)を作成しています。
インターネット版官報

Ⓒ2021年、宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki、宮崎機械株式会社。
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第204回通常国会召集にあたって、当ニュースサイトの筆者「宮崎信行」のプロフィール更新

2021年01月17日 21時13分39秒 | その他

 当ニュースサイト「宮崎信行の国会傍聴記永田町霞が関ナンバーワン」はすべて宮崎信行が一人で取材し、一人で執筆・編集しています。

【宮崎信行のプロフィール=2021年1月現在=】

お仕事の御依頼は、
メールアドレス miyazaki@wa2.so-net.ne.jp

または 090-5995-8147

までお気軽に

 宮崎信行(戸籍名・宮嵜信行 みやざきのぶゆき)

 政治ジャーナリスト
 宮崎機械株式会社代表取締役社長兼100%株主
 個人の立場で、貸工場業、貸家業、政治ジャーナリスト、瀧野川信用金庫協力委員、早稲田大学鵬志会OBOG会員(元幹事長)
 法人の立場で、警視庁瀧野川古物商防犯協力会員、共同通信きさらぎ会員

 =すべて現職・2021年1月現在=

 1974年3月1日、東京生まれ。本籍地は長野市で。祖父、曾祖父、高祖父は村会議員や村三役を歴任。

 両親は戦後上京後、東京・田端機工街で宮崎機械株式会社を創業し、「ファナック」「アマダ」「ユアサ商事」の排他的独占的販売店として成長。同時に、1985年9月のプラザ合意2日前から、足立区で不動産賃貸業を個人として営む。

 小学生の頃、用途地域の違いで、道を隔てただけで街並みが変わることから行政・政治への興味を持ちました。

 1986年、日本大学第二中・高等学校入学。

 14歳。均一性を重んじる閉鎖的な日本社会に嫌気がさし、「永住権をとって、アメリカ人になりたい」と思い、中学3年生の夏休み、単身渡米しました。日本の良さも感じ、日本人として生きていこうと思いました。次の夏休みには米カリフォルニア州・サンディエゴで1ヶ月間ホームステイを経験しました。電車でいける、米サンディエゴと、メキシコ・ティファナの別世界が政治の大切さへの確信となりました。後年、ティファナの隣町で、民主国家ながら70年以上政権を担ったPRI(制度的革命党)の大統領候補に選出されたコロシオ幹事長が暗殺され、政権交代ある二大政党政治への関心を高めることにつながりました。

 1992年、早稲田大学政治経済学部政治学科に入学。学士(政治学)。

 入学と同時に、「早大鵬志会(そうだいほうしかい)」というサークル(現在は大学公認同好会に昇格)で活動しました。選挙や日常活動のポスター貼り、ポスティング、名簿作りなどのボランティアや、各種勉強会、講演会のお手伝いなどをし、生の政治に携わりました。

 また、入学時、唯一の自由主義政党だった与党・自民党の学生組織「全国学生交流会」にも入りました。政権交代可能な二大政党デモクラシーをめざし、宮澤解散による、1993年7月の第40回衆院選(最後の中選挙区選挙)では学生ボランティアを率いて新生党で旧東京9区(中選挙区)で活動しましたが、候補者は次点で落選。

 自民党全国学生交流会の幹事と会員を辞し、「新生党学生塾(学生部)」の発足に参画。幹事や会計担当を務めました。

 早大鵬志会幹事長時代には、羽田孜前総理大臣(直後に新進党副党首就任)の講演会を大隈講堂で開催し、1300人前後という空前の聴衆が集まりました。

 新進党結党準備会の手伝いで、党名公募の集計をしました。

 1995年の統一地方選では、新進党公認の板橋区議会議員候補の陣営で、学生ながら電話作戦隊長を務めて、2位での初当選を実現しました。

 大学卒業後、日本経済新聞(日経)に入社しました。入社と同時に政治部配属となり、、橋本龍太郎首相の番記者を1年間務めました。官房長官記者会見や総務庁(現・総務省)、総理府(現・内閣府)など様々な取材に駆けめぐりました。

[写真]日経新聞政治部記者時代の宮崎信行(左端)、1998年1月1日、旧首相公邸、宮崎信行所蔵。

 1998年3月、野党担当になり、新党友愛(中野寛成代表)のメイン担当と第1次民主党のサブ担当を務めました。4月の第2次民主党結党までの過程を取材。第18回参院選の選挙班、第2次民主党の黎明期を取材しました。小渕恵三・自民党総裁候補(外相)の番記者もつとめました。

 1998年9月、横浜支局に転勤しました。横浜市役所記者クラブ自席で横浜市予算書を読み、分からないことや興味があれば、内線で課長に電話し、面白そうなら、すぐに庁舎内のその部署に赴き、直接取材に出向いて、みっちり質問と取材をしました。

 この後、神奈川県庁記者クラブに移ってからも、大蔵省出身の知事による「財政非常事態宣言」の下、税制・財政に関して、取材することができました。とくに「臨時企業特例税」(その後違憲判決で廃止)では多数の記事を作成。政令市をめざす相模原市、特例市になった大和市、富裕団体(地方交付税不交付団体)の厚木市などの予算も取材しました。これで、地方財政に詳しくなりました。「日経会社情報」という株式情報季刊誌も担当したことで、上場企業の財務諸表、バランスシートなどにも詳しくなりました。地場サービス業、中小製造業の現場も回りました。

 しかし、横浜支局時代は、2週間に1度の通院の甲斐無く、健康状態は深刻でした。

 2002年、「日経産業・地域研究所」研究員になりました。雑誌「日経地域情報(現・日経グローカル)」の編集・執筆を担当し、全国の自治体を回りました。

 2005年、株式会社日本経済新聞社を退社し、家業である工作機械販売会社に入社。個人事業としての貸家業の実務も開始。

 2006年、貸工場業を、立案企画、施行、募集までを一貫して行い、個人事業主としてお起業。

 2007年7月の第21回参院選のころから、体がうずき、7月25日の富山出張からフリーランスの政治ジャーナリストとして、取材活動を再開しました。

 2007年8月4日の第167臨時会からブログ「宮崎信行の国会傍聴記」を立ち上げました。

 政治部記者時代にできなかった国会審議をじっくり聞き、政治の流れを報じる日本初のブログとして、好評をいただきました。

 2009年2月の通常国会では、衆院予算委員会の総予算審議で、野党・民主党議員の質問パーフェクト傍聴を達成しました。

 2009年8月30日、17年来の夢だった政権交代が実現しました。所期の目的を達成したので、ブログはやめようかとも思ったのですが、「政権交代可能な二大政党デモクラシー」をしっかり日本に定着するまでがんばろうと考え直しました。

 2009年10月、レジまぐで、会員制ブログ「宮崎信行の今後の政治日程」を創刊(2018年9月廃刊)。

 2010年4月21日放送のフジテレビ(地上波)「百職王」で、「国会傍聴の達人 宮崎信行」として特集されました。
 

[画像]司会のイノッチこと井ノ原快彦さんと宮崎信行、2010年4月21日放送のフジテレビ「百職王」から宮崎信行がスクリーンショット。


[画像]国会傍聴の達人、宮崎信行の日常、ワイプ内は藤ヶ谷太輔さん、2010年4月放送のフジテレビ「百職王」から宮崎信行がスクリーンショット。


[画像]2010年4月22日放送のフジテレビ「百職王」から、宮崎信行がスクリーンショット。


[画像]2010年4月22日放送の、フジテレビ「百職王」から宮崎信行がスクリーンショット。

 2012年から3年間、週刊女性(主婦と生活社)で、ニュースの疑問気になる言葉を連載。体裁は「宮崎さんに聞きました」となっていますが、私がすべて完全原稿に仕上げてから納品しました。

 2012年11月27日には岡田克也副総理の記者会見(内閣府)と野田佳彦総理の記者会見(民主党本部)の両方でトップバッターで質問する快挙。同日に、総理、副総理の会見の両方でトップバッターをつとめたのは、記者クラブ分業制のメディアでは史上初かもしれません。

岡田克也副総理の2012年11月27日の記者会見(首相官邸ホームページ)


[画像]首相官邸ウェブサイトから、宮崎信行がスクリーンショット。

野田佳彦総理の2012年11月27日の記者会見




[画像]YouTube旧民主党チャンネル内動画から、宮崎信行がスクリーンショット。

 2013年4月13日(土)放送の、テレビ朝日(地上波)「激論どっちマニア」で、国会傍聴マニアとして、裁判傍聴マニア(阿曽山大噴火さん)らと対決しました!





 2015年9月、工作機械販売会社の株主総会で、代表取締役に選出され、直後の取締役会で専務に就任。

 2016年3月25日(金)の民主党最後の記者会見で第一質問者と(議事録上の)最終質問者及び、2016年3月27日(日)の民進党最初の記者会見で、第一質問者になりました!

民主党・岡田代表定例会見 2016年3月25日 


[写真]岡田克也・民主党代表と、宮崎信行ら記者会見出席者の記念撮影、2016年3月25日、旧民主党撮影・提供。

民進党・岡田新代表就任会見 2016年3月27日 

 改憲発議勢力3分の2をめぐって歴史的攻防となった、第24回参院選(2016年7月10日)では、IWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)で、全5回で情勢分析及び開票特番(5回目)に参加しました。総計22時間。




[画像]2016年7月10日のIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)動画から、宮崎信行がスクリーンショット。


[画像]2016年7月10日のIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)動画から、宮崎信行がスクリーンショット。


[画像]2016年7月10日のIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)動画から、宮崎信行がスクリーンショット。


[画像]2016年7月10日のIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)動画から、宮崎信行がスクリーンショット。

 2016年9月19日、ブログ「宮崎信行の国会傍聴記」が通算1500万PV(ページビュー)を達成しました。

 2018年頃からインターネットテレビ「アベマTV」のニュース番組「アベマプライム」に複数回出演。

 2015年9月に宮崎機械株式会社代表取締役に就任。2017年法人の目的に「インターネットによる報道・配信業」を追加。2018年10月に創業者死亡にともない社長に昇格。現職。2020年2月、個人として貸店舗業も新規展開。

 2019年7月、ツイッターアカウントへの参院選中の書き込みで私の名誉を棄損されたとして、私が原告として石川大我・参議院議員を被告として東京地裁に損害賠償訴訟を提起するも、2020年2月、原告敗訴、確定。

 2020年8月の安倍晋三首相辞任、新党・立憲民主党結党にともって訪れた大政局で、ネットニュース界の政治報道で、圧倒的なページビュー増を勝ち取る。また、立憲民主党の結党が2020年9月15日への当初予定より1日前倒しされた枝野幸男代表の発言は、宮崎の質問が引き出したもの。

 2021年1月18日、「ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記永田町霞が関影響力ナンバーワン」と称して、通算14回目の通常国会にのぞむ。

このエントリーの本文記事は以上です。

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本年2020年の御礼と、明けて2021年のご挨拶

2020年12月31日 16時30分30秒 | その他
 歳末に雄一郎さん逝く。アプリ「スケジュール」の今年の参議院での事前アポはすべて雄一郎事務所訪問でした。私は永田町に出入りするようになったときから28年間、北澤さんを含めて一貫して羽田ファミリーを参議院において頼っていたわけです。「新党党首」の夢かなわず。でも、政権再交代で二度目の大臣になってほしかった。

 コロナ渦。困窮を他人に打ち明けられない日本社会。年を越せそうにない風情の人は100人に1人程度。でも、そこに無理を内包し続ける人が、耐えられなくなっていくでしょう。この声が自民党に聞こえているか。明年2021年は、12年ぶりに「絶対に衆院選がある新年」。

 ページビュー激増。今月も、低い数字が出やすいグーグルで10万超。



 人間は成長しない。ニュースサイトも成長しない。国会議事堂は常にあるから、維持していると大政局が来る。というわけで、8年ぶりの首相交代と立憲民主党結党というビッグウェーブに真正面から突撃。ページビュー激増しました。新興ニュースサイトや、私より年長だったり年少だったりするジャーナリスト、政治アナリストはこれを機に、落ちていったようです。

 2月に敗訴。そのせいか、メディアの経費節減か、私が人気がないのか、テレビ出演も雑誌執筆も閑古鳥。渡辺プロから独立した芸能人並みの悲哀でした。今まで勘違いしていましたが、メディアは情報を扱うので、他業界よりも情報が閉鎖的なところがあります。当分、外注はなさそう。コロナ渦で分かったのですが、もともと自費で海外旅行して書いて原稿料をもらっていたライターなども多かったようです。明年2021年は、自分で身の丈にあった金額の投資をして自分の媒体を向上させていくことも考えています。いずれにせよ、当ニュースサイトというか、このブログは続けます。

 2018年の「民進党からの離党」でどうなるかと思った岡田克也さんは、2020年9月15日の立憲民主党結党に貢献。明年2021年も、岡田克也さんへの絶対ご忠誠をお誓い申し上げます。それは、天皇陛下と皇嗣殿下、織田信長と徳川家康のように絶対裏切られるわけがないことです。

 

 本年2020年に感謝するとともに、明年2021年。絶対衆院選があります。「月間10万ページビューだし、記事公開数時間以内だけで4万ページビューになることもありうる」とする、永田町・霞が関に対する屈指の影響力をいかして、自分らしく、自由に空を飛び続けます。

 また、本年は警視庁に助けられました。7月の都議補選で、NHKから国民を守る党のアベノマスクブラポスターというものが公営掲示板に張られ、北区議が夜通しシールで修正して、同党を離党しました。「これを誰がやったか教えろ」とツイッターで迫ったところ、選挙が終わった翌々日に、私が刑事告発されました。ところが、生活安全係の刑事がすぐに私に電話してきて、告発内容をすべて教えてくれ、処分のしかた、私の自宅の警備などについて相談されました。告発者はあわてふためいたようです。亡父と私が長年警視庁防犯協力会員として活動していることが、生安刑事は事前に知っていたようです。

 永田町で数回職務質問されましたが、「人に所属をたずねるときは、自分が先に名乗るの」と言うと「警備一課です」と聞き、「け、け、警備一課~~」と大袈裟に驚くお芝居も含めて楽しくコミュニケーションさせていただきました。「国会開会式は陛下お一人だから左側に乗っておられる」との情報を私から提供させていただきました。この後のNHK紅白歌合戦には、私が属する地域職域支部の会長の娘が初出場から18年連続「当選」を果たしました。10人目で歌います。今年は紅白見る人が多いのでしょうか。警視庁防犯協力会員という上級都民。もちろん、私にとっては、国政において政府与党を鋭く批判し続け、自由に物を言い続けるための地歩に過ぎません。

 2月に、東京地裁で参議院議員を相手取った私が原告の名誉毀損訴訟で敗訴しました。ツイッター上で「自分で毀損された名誉の原状回復をしていた」とも認定されました。このせいで、出演・執筆依頼が減ったのかもしれませんが、永田町での地位はまったく下がりませんでした。そういうもんなんですね。

 ここ数年、「あの時代に似てきた」「日本は世論が急に変わるから要注意」とおっしゃってきた、政治改革のときに上智大学教授の肩書で国会で参考人として意見を述べた西平重喜先生もことしの私には「忙しそう(楽しそう)ですね」とのことでした。

 とにかく、2021年は選挙がありますから、元旦から衆議院解散の直前までと、蓋が閉まる三十分前から大みそかまで、しっかり取材していきます。アップルウォッチで嫁要らず。母にも起こしてもらえますので、事前アポも入れていきます。

 2020年、お世話になりました。
 2021年、どうぞよろしくお願いいたします。

 宮崎信行。
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【評伝】亡くなった羽田雄一郎さん、父への尊敬、母の愛情の家族愛で学歴コンプレックス・いじめをはねのける

2020年12月28日 20時44分01秒 | その他
 立憲民主党は午後6時から党の正式な臨時記者会見を開き、福山哲郎幹事長がきのう亡くなった羽田雄一郎さんの死因は、新型コロナウイルス感染症だと発表しました。既往症として、糖尿病、高脂血症、高血圧があったとしました。党の公式主催でお別れの会を執り行いたい意向ですな日程は未定だと言明しました。

 羽田雄一郎さんは立憲民主党会派の参議院議員会長選挙に立候補の意向がありながらとりやめ初代参議院幹事長となりました。党内融和の象徴。同時に、衆議院長野3区転出や、政権交代後の2度目の入閣、あるいは、参議院議長も視野に意欲的に活動していました。おととしの国民民主党結党では初代代表をめざしましたが、週刊誌で、医療コンサルタントで元民主党衆議院議員の配偶者である男性から接待を受けたとの記事が出たこともあり、別の雄一郎さん(玉木雄一郎さん)を立て、役員室長におさまっていました。

 また、靖国神社参拝を欠かしていませんでしたが、2018年8月15日は翌夏の選挙でともにたたかう市民連合のみなさんの考え方を勘案して、参拝しませんでした。応援してくれる仲間の考え方を理解して、行動を変えるのは、現職政治家として当然のふるまいです。

 祖父は朝日新聞記者出身のインテリ代議士ながら入閣できなかった羽田武嗣郎さん。あとを継いだ羽田孜さんは、同期の小沢一郎さんとの「つとむちゃん・いっちゃん」コンビは田中角栄さんの愛弟子として、佐藤栄作さんの薫陶を受けた先輩をしのぐ勢いで、自民党竹下派内で出世していきました。とくに、孜さんは農林水産大臣2回、大蔵大臣という先代の果たせなかった夢をはるかに凌駕する経歴をえて、そして内閣総理大臣となりました。

 下野後も民主党初代幹事長として政権交代ある政治をもう一度めざした孜さんですが、すぐに党内情勢は混迷。そこに、参議院補欠選挙長野選挙区に民主党公認として初出馬し、圧勝。連続当選を続けたのが、雄一郎さんでした。

 雄一郎さんは、千代田区立富士見小学校で学びました。宿舎のご近所で幼馴染である、加藤紘一さんファミリーが東大・慶大のインテリであることから、多様なりとも劣等感があったようです。やがて、成城学園中学に進学。竹下派で初出馬初当選から連続当選をするお父さんのことは知られていて、「なんで政治家の家なのに貧乏なんだ」といういじめに遭いました。その頃、小沢一郎さんは文京区湯島で相続した一軒家を売却してかなりのお金を得ていたようです。雄一郎さんはお母さんの愛情で、新潟県内の高校を経て、玉川大学を卒業し、保育師免許を取得。伊藤忠商事の系列の財団法人に就職し、衆議院議員秘書を経て、参議院議員に。

 この間、偉大な父は総理大臣となっていきましたが、雄一郎さんの父や母への尊敬、愛情は絶大。しかし、もともと明治維新の負け組である長野県では、「東大か、信大か、高卒か」という考え方で、士官学校なども好かれません。
孜さんも父の東北大学などを念頭に置きながら、私立の成城学園へ。その後、父と同じ朝日新聞や、党人派の官房長官・自民党幹事長を連続して輩出していた日本経済新聞の入社試験を受けましたが、不合格に。雄一郎さんの議員宿舎の幼馴染の加藤ファミリーらが慶大などに進むなか、自身は思うような学業の成績を上げられなかったことには、コンプレックス、劣等感を持っており、それをはねのけた人生だったといえます。

 このため、参議院国対畑をつとめ、たびたび、国対委員長、会派幹事長をつとめました。長野県選出のため、オーソドックスに、農林と国土交通を中心に国政キャリアを積んだため、通常国会の最中に国対委員長から国土交通大臣にシフトするという異例の人事でも、そつなく答弁し、内閣で最多本数の法案を成立させ、省内でも人望は厚かったようです。

 上述の通り、医療コンサルタントについては、その妻が元民主党衆議院議員という付き合いですが、かばいきり、党代表は自らつきませんでした。長野県は人口200万人なのに、有名芸能人が峰竜太・清水アキラしかいないことはひそかに有名ですが、選挙区内の軽井沢に別荘をかまえた東京の有名芸能人から自宅に招待されると、喜んで行きましたが、それは実際には年1回以下のことだと思います。

 お酒はほとんど飲まず、自宅である参議院麹町議員宿舎からハイエースを一人で運転して、衆議院赤坂議員宿舎へ。新人代議士10名を乗せて、党内基盤を固めていました。「国会議員になって、羽田総理大臣の息子の参議院議員に、東京、六本木の飲み屋を紹介してもらった」と大喜びだったそうです。小沢さんとは違う、羽田ファミリーらしい生き方をされていました。

 奥さんが航空会社のキャビンアテンダントだったので、同僚の夫が枝野幸男さんという関係。また、きょうの記者会見で、福山さんも、1996年の衆院選で惜敗して参院選に出馬するまでの間、羽田幹事長の雄一郎公設秘書に世話になっていたことを、明かしました。

 偏差値なんか高くなくても、「権力は腐敗するから、政権交代ある政治をつくるんだ」というたった一つのセオリーを、二代で通し続けた特筆すべき父子でした。

 ご自宅だった、参議院麹町議員宿舎あてに、ご弔電をお送りしましたら、午前9時40分台に届いた、とNTTから連絡がありました。ご家族も濃厚接触者です。また宿舎にはいつまでいられるのでしょうか、ご配慮をいただきたいものです。

 また、ここ数年の羽田ファミリーは「トシ先生」の愛称で、北澤俊美元参議院議員を頼っていました。もちろん篠原孝代議士や下條みつ代議士に一目置いていたことはいうまでもありません。またきのう付き添った政策秘書は、羽田孜代議士の晩年1年ほど、通例である「元総理経験者にはSPがつく」のを断って、羽田代議士の体を触りながら本会議場まで送り届けていました。偉大な羽田父子の議員生活最後の日まで、体に触れながら寄り添い続けた稀有な議員秘書ということになります。

 東京の方の羽田家では、雄一郎さんの叔父にあたる、世田谷区で町内会長を務めた羽田さんも亡くなりました。やす子さんは次郎さんファミリーと暮らしており、今後もお元気でいていただきたいものです。

 私自身、長野ルーツ、東京生まれ、男2人兄弟ということもあり仲良くさせてもらいました。私の早稲田大学政経学部在学中のサークル「鵬志会」で、女子学生が神楽坂の料亭でアルバイトをしていて、民主党の労組や財務省出身の議員も来ている。そう聞いて、「私は祖父・曾祖父・高祖父は村会議員だが、父は東京に出てきて社長とはいえ民間人。神楽坂の料亭というものには縁がない。でも行きたいから、次郎さんつきあってください」、と次郎さんに頼むと、次郎さんもあまり経験はなかったそうですが、つきあってくれました。そこで、女将さんの兄である社長は、千代田区立富士見小学校で、雄一郎さんと同級生だと判明。雄一郎さんに聞くと、「名前だけではちょっと分からない、クラスは違うと思う」とのことでした。なさそうでありそうな、東京の世界の話ですが、こういう世界と行きつ戻りつしながらも、雄一郎さんや、不肖・宮崎などは戻るべきところは戻っていけているな、と感じます。

 とても残念ですが、さまざまな世界の往復には心労もあったかもしれません。

 以前にも書いた話ですが、国民民主党が結党される直前の夏。参議院議員会館で、政策秘書と話しながら、雄一郎議員が議員室から出てくるのを待っていた午後1時半。雄一郎議員が出てくると「お!」と手を挙げてくれ「昼飯買いにコンビニに行ってくる」。政策秘書に「お忙しそうだから、コンビニから戻ってこられたら挨拶して帰ります」と言ったら、雄一郎さんが、アイスキャンデー2本を「はい」と政策秘書と私に1本ずつ。私は「じゃ、アイスキャンデー食ってから帰ります」とその後、数分間。そこにいました。

 ちなみに、なぜ連続当選しても貧乏かということですが、バブル期に、地元の私設秘書どうしがお互いが身に着けている下着のブランドを競い合ったり、孜代議士が一年に一度も訪れない羽田事務所が東京にあったりした時期もあったようです。

 同じことを同じように言い続ける。そこに居続ける。これはとても簡単なことに思います。しかし、どうやら、世間では逆に難しいことのようです。雄一郎さんのように父を尊敬し、愛するところ。政治の基本は家族だ。そういう基本を通した先に、東大や代ゼミでは教えてくれない、人の道、連続当選しつづける真の知恵があったのだとそう思います。ですから、その使命は既に果たされたのです。

 以上です。
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【東大病院前からリポート】羽田雄一郎さん亡くなる、政治ジャーナリスト宮崎信行が追悼

2020年12月28日 00時14分00秒 | その他

【東大病院前からリポート】羽田雄一郎さん亡くなる、コロナ変異株の説も、生前から親交かあった政治ジャーナリスト宮崎信行が追悼

https://youtube.com/watch?v=qXAgNpKQ1Qo


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月間21万PV(ページビュー)超える、Googleでは月間12万PV超える 菅・枝野新体制報道で圧勝 「ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記永田町霞が関注目度ナンバーワン」

2020年10月01日 00時16分29秒 | その他
[写真]宮崎信行。

 ありがとうぞんじます。

 宮崎信行が1人で取材し1人で書いている当ニュースサイト(ブログ)

 「ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記永田町霞が関注目度ナンバーワン」

 の先月2020年9月の月間ページビュー(PV)

 「goo(グー)」(NTTグループ運営)で、21万3680PV

  Google アナリティクスで、12万0622PV

 となりました。

 他のニュースサイトは総合で記者1人あたり月間5万PV程度ですので、1人でやっている国政特化ニュースサイトの21万PVないし12万PV超えはかなりの成績です。

 なお、gooの方が多く出るのは、検索サイトの情報集めAI活動が上乗せされているからだとみられます。

 2015年9月の戦争法(平和安保法)の国会闘争の月を超えるPVとなりました。先々月末の前首相辞意から突然始まった大政局を、私はサーファーの伝説的ビッグ-ウェーブ大会「稲村クラシック大会」に例えて、積極的に永田町取材を敢行。ビッグウェーブに正面からぶつかることで、これまでの蓄積とあわせて、雨後の筍のように発生したニュースサイトで圧勝することができました。

 昨年来、「地方議員の年収は2000万円」という同調圧力社会に囲い込まれかねない事態が発生し、昨年7月に嫌気がさして、有料ブログの廃刊発表と当ブログの一時停止を決めました。当時から取材は続けるとしており、この間、衆議院での岡田克也事務所、参議院での羽田雄一郎事務所は、まったく同じ態度で接し続けてくれました。しかし、7月に立憲民主党参議院議員を他のSNS媒体で名誉棄損で訴えてから、テレビ・雑誌の出演・執筆・コメント依頼がまったくゼロになりました。今年の政治ジャーナリストとしての年収(登記簿から宮崎機械株式会社売上処理も可能ですが)わずか1万円(源泉徴収後)です。

 その後、学生時代の「若手秘書」の県会議員や、学生時代に「留学帰りの松下政経塾員」の政令市議らが50歳前後で亡くなりました。現地を弔問した衆議院議員の話を聞いたら、私が不条理に感じた「県議・政令市らの月額議員報酬が高すぎる」というムラ社会の犠牲者のようです。そして、1年経って、コロナ過で日本人の同調圧力はおそらく太平洋戦争すら超えていると思いますので、よかったのかもしれません。とにもかくにも、現実に開始から13年3か月、平和安全法制で一線を越えてから5年、岡田さんが代表を追い落とされてから4年3か月続けられているわけですから。

 しかし、「お金の話ができるジャーナリスト」は1人ないし2人しかいないのですが、彼女は当面マスコミ以外での月収を安定させるまで、国政取材は超スローダウンするそうです。NHK以外の新聞・雑誌・ニュースサイトは総崩れのように感じます。

 ハッキリ言って、当ニュースサイトの年収は0円です。広告収入もまったくありません。これを見た執筆依頼もこの1年間はゼロ。寄付金は数名からちょうだいしました。

 「単身渡米などの14歳・15歳のアメリカ」の続きを書いた方が、商業ベースでの成功につながるとの助言はあり、その通りかなとも思いますが、引き続き年収ゼロの政治ジャーナリストを続けていきます。

 「KAZUYA」さん「たかまつなな」さん「望月衣塑子さん」「みこちゃんねる」さん「毎日新聞の宮原健太記者」など、新しい政治発信者が出てきていますが、収入の道はきわめてけわしいでしょう。

 同業者の減少や、自分より若いジャーナリストの芽をつぶそうとの意識はありますが、それ以上に私は日本の未来が大事であり、能力のある人は出てきてほしいです。

 かくいう状況ですが、宮崎信行46歳の永田町・霞が関での影響力は、自分としては満足いく状態が続いています。今回のPV増でその底上げが出来ました。個別の選挙の話を書くと、きづつくことも多いので、PVを増やすために、第49回総選挙を積極的に取材し、報じることは少ないと思います。

 でも、更新をしていなかった、昨年10月の台風19号襲来時の参議院予算委員会総括質疑国会待機での混乱は、私のせいだと、思っています。この日程は、2か月前には分かっていたことであり、人事院も含めて霞が関の全省全局全課である一定時刻まで国会待機になることは分かり切っていたはずです。

 こういった永田町・霞が関の影響力を維持し、取材しながら、他の2つの事業(荒川両岸の不動産賃貸業、宮崎機械代表取締役)のキャッシュ手残り額のさらなる上位安定を図りながら、このブログの正確さ予見性の底上げも図っていきます。ご期待ください。

 解釈改憲と量的金融緩和とコロナ禍で「何を言っても国政に影響しない」日本のデモクラシー。その同調圧力をあざ笑うかのようにやっていきます。

 「ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記永田町霞が関注目度ナンバーワン」は日本の議会制民主政治の防波堤です。

 以上です。
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渡瀬裕哉さんが菅義偉首相とサシで懇談 鵬志会卒業生 渡瀬裕哉・早稲田大学公共政策研究所招聘研究員

2020年09月28日 11時23分42秒 | その他
[写真]ザ・キャピトル・ホテル東急の「オールデイダイニングオリガミ」、きょねん2019年、宮崎信行撮影。

 渡瀬裕哉・早稲田大学公共政策研究科招聘研究員が、きのう令和2年2020年9月27日(日)、菅義偉首相(自民党総裁)とサシで30分以上話したことが分かりました。

 渡瀬裕哉さん(38歳)は、筆者(46歳)が幹事長をつとめた「学生インターン」を日本に初めて導入した、早稲田大学鵬志会の卒業生。

 同会卒業生が現役首相とサシで会ったのは初めてとみられます。渡瀬さんが16期生、私が8期生になります。期数は、現役執行部がすばやく教えてくれました。

 当ニュースサイトの取材に応じた渡瀬さんによると、会場のザ・キャピトル・ホテル東急の「オールデイダイニングオリガミ」に行くと、「どうぞこちらへ」と案内され、秘書官もおらず、首相と2人だけのサシだったそうです。首相動静では午後3時から渡瀬さん、午後3時40分から他の有識者と会っています。渡瀬さんによると「30分から40分だった」ということで、ひっきりなしに有識者に会っているようです。

 渡瀬さんによると、アメリカ大統領選挙の情勢とトランプさんの規制改革の2点について、説明。みなさんご存知でしょうが、私は系列が違いますので、私からは首相が何を言ったかは、あえて聞きませんでした。

 渡瀬さんに「現役総理とサシで会ったのは渡瀬さんが初めてではありませんか」と問うと、「いや、国会議員になっている先輩もいるわけですから」と謙遜しました。



[写真]朝日新聞の、2020年9月の、28日版に載った27日の首相動静、宮崎信行撮影。

 最近、早稲田大学卒業生は、当ニュースサイトに書いたことを、いろいろ、あれを消してくれ、と保守的な人も多く世知辛いのですが、とりあえず書きました。いったん違う話になりますが、そういうのは早稲田大学卒業生ばかりですよ。社会においてどういう位置づけか考えた方がいいです。若い物故者の告別式に行ったはずなのに、まったくSNSに書かない見えない同調圧力が働いているのを見え隠れしたばかりです。本当に困るんなら東京地裁に私を不法行為責任で訴えるべきです、直前にこちらに先に連絡が来れば示談しますが(半苦笑)。

 蛇足ですが、ことし、鵬志会初のオンライン新入生勧誘では、例年とほぼ遜色がない人数が入ってくださっており、持続可能性が高まっている、と側聞しています。いちいち書かなくてもすべてのみなさんが知っている理由のために8期生の私がなかなか衆議院議員になることもできないのですが、私は第8代幹事長として鵬志会OBOG同窓会の副会長的な立場におります。別にこう書いても誰からも圧力が書からないので、そういうことでいいでしょう。政治サークルとはそういうものです。卒業生の多くが「出身県下随一のどこどこ」で働いており、それなりに優秀な人材も集まっています。その辺の「出身県下随一のどこどこ」で働いている一群が選挙に出るようになると鵬志会にとってはいいかもしれませんが、日本経済はいよいよヤバいときになるかもしれません。とはいえ、早稲田大学1年生の方々は今からでも遅くはないので、鵬志会の扉を気軽にノックしていただきたいものです。最終段落は完全に宣伝です。

このエントリーの本文記事は以上です。
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Ⓒ2020年、宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki
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【8/3】全体夏休み入りも、与野党とも幹部はそこそこ意気軒高 全国戦没者追悼式は中止・廃止すべきだと思うが厚労省「強行」のかまえ

2020年08月03日 20時03分47秒 | その他
 先々月に通常国会が閉会した後も、毎週、委員会閉会中審査がありましたが、今週からはまったく予定がありません。夏休みモードに入りました。ただ、与野党とも幹部らの毎週の定例会合はおおむね開かれるようです。

【政府・与党連絡会議 令和2年2020年8月3日(月)】

 時事通信=gooニュースの報道(
)によると、

 政府・与党連絡会議が官邸で開かれ、山口那津男・公明党代表が「感染拡大が地方にも波及し歯止めがかからない状況に、国民の不安は日増しに高まっている 」「政府がリーダーシップを発揮し、今必要な対策は何なのか分かりやすく発信してほしい 」「地方自治体とも連携し、機動的な対応を予備費なども活用して迅速に進めてほしい 」と語りました。

●あすの予定
 
 与野党国会対策委員長会談が設定されました。野党、そして大島理森議長から、臨時国会召集要求書への真摯な対応を求められた、森山裕・自民党国会対策委員長が、安住淳国対委員長に対して何らかの回答をする見通し。

 立憲民主党、国民民主党は、ともに執行役員会や常任幹事会・総務会を開きます。また、官房副長官・与党政調会長代理、野党政調会長の協議会「新型コロナウイルス感染症対策政府・与野党連絡協議会」も開かれます。

●全国戦没者追悼式は、中止・廃止を

 さて、3日付読売新聞に「大阪府、秋田県、沖縄県あど10府県」の遺族が「全国戦没者追悼式を欠席する意向」であることが報じられました。厚生労働省社会・援護局は天皇皇后両陛下をお招きして式典を強行するかまえ。

 8月15日正午。これになんの根拠があるのでしょうか。太平洋戦争が終わったのは9月2日です。敗戦国である我が国の天皇陛下がポツダム宣言を受諾するとラジオ演説した時刻が終戦だというのは思い込みです。韓国朝鮮では35年間の植民地支配が終わった瞬間だ、という認識はただしいでしょう。しかし、中国東北部など、グアム・サイパンなど南方諸島では統治は数年程度だし、満蒙開拓団員・グアム・サイパンでは終戦を知らずに8月15日以降に亡くなった人もいます。北方領土もしかり。

 さらに、アメリカには「ベテランズデー」がありますが、傷痍軍人に関する式典はありません。総務省から軍事恩給を受け取る傷痍軍人に対して、厚労省から遺族年金を受け取る遺族に対して、手厚い補償を継続化させたいという役所、団体、受給者の思惑が色濃く反映されたのが戦没者追悼式です。8月15日正午に、条約、憲法、法律、キリストさん、仏さんの何らかの規範が何らかの強制力を持たせているわけではありません。韓国の光復節は独立記念日です。

 今まで考えたこともなかった、という国民が9割でしょうが、私は中止・廃止すべきだと強く考えています。空気の押しつけ同調圧力です。

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訃報なのでご冥福をお祈りしますが旭堂南陵さん(旭堂小南陵元参議院議員)やはりどうしても・・・

2020年08月02日 06時50分34秒 | その他
 書くかどうか逡巡したところですが、先週の訃報で、旭堂南陵さん、旭堂小南陵元参議院議員が亡くなったそうです。享年70。心より哀悼の意を表するとともに、私からはご冥福をお祈りいたします。

 しかし、私にとっては許せない思いです。私は極端に記憶力が良く、過去を水に流さない性格です。この記事は、私と直接面識がある政治関係者に、やはり宮崎さんはニコニコしていても、腹の中では忘れていないんだな、と再認識してもらうために書きます。

 1994年平成6年1月21日(金)、参議院本会議で一般恒久法案4本が採決されました。異例の政治日程であり、小沢一郎・新生党代表幹事が描いたものだとされています。

 法案は、当ニュースサイトが「平成6年政治改革4法」と呼ぶ、新法である「政党助成法案」、「衆議院選挙区画定審議会設置法案」。改正法として「公職選挙法改正案」「政治資金規正法改正案」。このうち公選法改正案は「小選挙区250、比例代表250」であり、のちに制定されたものとは違います。そして、4法は四半世紀経っても、ほとんど内容は変わりません。

 この法案は参議院社会党が賛成討論。しかし、参議院社会党の態度は分かれました。

 賛成が、会田長栄さん、青木薪次さん、一井淳治さん、糸久八重子さん、今井澄さん、岩崎昭弥さん、岩本久人さん、上野雄文さん、及川一夫さん、大森昭さん、梶原敬義さん、上山和人さん、川橋幸子さん、菅野壽さん、北村哲男さん、久保亘さん、久保田真苗さん、日下部禧代子さん、櫻井規順さん、篠崎年子さん、庄司中さん、菅野久光さん、鈴木和美さん、瀬谷英行さん、竹村 泰子さん、谷畑孝さん、谷本巍さん、種田誠さん、千葉景子さん、角田義一さん、堂本暁子さん、野別隆俊さん、浜本万三さん、肥田美代子さん、深田  肇さん、渕上貞雄さん、細谷昭雄さん、堀利和さん、前畑幸子さん、松前達郎さん、松本英一さん、三重野栄子さん、峰崎直樹さん、村沢牧さん、村田誠醇さん、本岡昭次さん、森暢子さん、安永英雄さん、山田健一さん、山本正和さん、吉田達男さん、渡辺四郎さん、藁科滿治さん。

 参議院社会党の中で、反対したのが、翫正敏さん、稲村稔夫さん、小川仁一さん、大渕絹子さん、大脇雅子さん、喜岡淳さん、國弘正雄さん、栗原君子さん、佐藤三吾さん、志苫裕さん、田英夫さん、中尾則幸さん、西岡瑠璃子さん、西野康雄さん、三石久江さん、矢田部理さん、山口哲夫さん。

 この造反で、法案が否決。しかし、小沢さんがまたしても冴え細川護熙首相と河野洋平自民党総裁の党首会談を実現。「小選挙区300、比例代表200」という両院協議会の協議案で自民党が賛成に回ることになりました。小沢さんが著作「日本改造計画」で主張した、明治維新の廃藩置県とは逆に300藩を300小選挙区に置き換える理念が実現したことにもなります。

 で、反対した、西野康雄さんが、旭堂小南陵参議院議員。亡くなった旭堂南陵さんです。このとき、西野さんの造反シーンはさまになっており、テレビでは西野さんのシーンが多く流れていたという記憶があり、おそらく正しいのではないでしょうか。

 55年体制で参議院社会党の人と話したことがある人は少ないでしょうが、私の日大二中・高の先輩である村田参議院議員とは2時間以上お話したこともあり、賛成組は合計5名ほど会話を交わした人はいます。賛成者は参議院副議長が3名、副総理、法相、労相、経済企画庁長官、財務副大臣らが含まれます。反対組は話したことがある人はおらず。反対組は政務次官の経験すらないと思います。

 旭堂小南陵参議院議員がなぜ造反して、1期6年で消えていったのか。派閥の関係などは分かりません。

 死人に口なし。旭堂さんは反論できないし、ご遺族はおそらく当時の経緯はご存知ないでしょう。

 しかし、あれから26年経っても、私はそのことは忘れない。忘れられない記憶力の持ち主だし、過去を水に流さない性格である。それでいて友達は減らないし、資本家なので、好きか嫌いかだけで物を言える。ということだけは、ちょっと書いておきたいと思いました。

 国会議員とその家族には生活があるので、衆議院小選挙区比例代表並立制には問題があるような気はしています。   

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主にスマホ版でご覧のみなさまにアクセス数ご報告&宮崎信行が警視庁に告訴されかかるも逆に警視庁に守られた顛末ご紹介

2020年07月27日 06時28分36秒 | その他
 ありがとう存じます。

 ニュースサイト「宮崎信行の国会傍聴記」は13年間、前日と累積のページビューを自動作成パーツで公開し続けていますが、スマホ版ではパーツが見られません。

 なので、記事として公開します。

 昨日が1035UUで、3628PV。
 4連休始まりの7月23日が1003UUで、3644PV。

 先週は3本しか記事を公開しておらず、4連休もありましたが、連日1003UU以上と安定していました。感謝します。「宮崎信行さんは情報公開マインドがある正直で誠実な人だ」と思われるために公開しています。

 およそ10年前に、「田中龍作ジャーナル」の田中龍作さんから、「宮崎さんも更新回数絞った方がいいよ」と助言されたんですが、過去4740日間に6927記事を公開。初期の「政権交代ある政治の良さを国民に啓発する」という考え方から霞が関に衆参各委員会の動きを網羅して伝えるマガジンへと私の意識は大きく変わりました。

 昨年末、政治とマスコミとも無関係な友人がラジオの公開番組に出るということでみんなで出かけたら、著名なネットメディア編集長がトーク。鎌倉オフィスをつくったら「効率が上がった」と主張しますが、オフィス新設の固定費とその間の粗利益の増収については、もともとも頭にないようです。コロナ渦で、私の好きな芸能人が4人ほどYouTubeデビューして私は泣きそうですが、喜んでいるファンもSNSで散見されます。

 著名YouTuberが収入を明かし、広告収入ではなく「企業案件」というもので「30万円」。「嫉妬されるだろうな」という低レベルなメディア環境となっています。

 資本(私と母2人の個人名義の資産と銀行借入金と私が100%所有する法人の試算)との対話だけで食べている私。人間との利害関係は求めていません。

 国会傍聴取材支援基金では、2年5月20日付で2000円のご寄付をちょうだいしました。ありがとう存じます。

 私は昨年7月16日、石川大我参議院議員候補に、ツイッターで名誉棄損されたとして、私が原告として石川さんに110万円の支払いを求めて東京地裁に提訴しました。しかし、石川さんのリプライに侮辱的な言葉が含まれていることは判決文で認められながらも、私の全面敗訴に終わり、確定しました。

 この1年間、雑誌、テレビ、ネットテレビ、ネットニュースから全然オファーがなくて、裁判沙汰も影響したのかもしれません。また統一地方選で、立憲の台所事情を知る私が、もともとの友人である立憲新人に200万円を年利0・1%1年間で融資し、富裕層仲間から「それだけのご縁がある人だったら、宮崎君は選挙のやり方を知っているんだから、労働力も提供しなければならないよ」と言われて電話かけをして、ビラもまきました。候補者の両親が日教組OBOG夫妻であることを知っており、なるべく話さないようにしていたのですが、当選から1か月後に「新米の政治家を気長にお育て下さい」「立派なお仕事・宮崎信行の国会傍聴記。達見と深いご見識で健康に留意されますますご発展ください」とのハガキが。選挙で救いたい生活困窮者は候補者本人であり、しかも年収1750万円全額個人に渡し切りの政務活動費も入れれば年収2300万円であることを事前に条例を読み込み算盤をはじきつくして200万円を金銭消費貸借契約書を交わして融資しているのに、気長に育てろ、だの、健康に留意しろだの、人間を相対評価をする公立学校教員の悪癖、娘が生活困窮者だと自己認識できていない自覚のなさ、知られていない極端な高報酬情報を囲い込もうとする田舎者の陰湿ぶりにうんざり。いったん、投げ出してしまいました。

 しかし、この間も取材は続けていました。9月末を持って、有料ブログも廃刊。このお金の振り込みが11月。なので、ジャーナリストとしての実績はない状況が続いています。

 とはいえ、岡田克也さん、枝野幸男さん、玉木雄一郎さんらは十分実績がある者として扱い続けてくれる。霞が関もしかり。今月、参議院事務局委員部で、「すいません、お名前もう一度おっしゃってくださいます?」との衝撃の電話対応がありましたが、衆参事務局はややトーンダウンですが、「あっ、はい」と「あっ」の一言入りで電話対応してくれることは、今まで通りです。

 そんな感じで、変わらず頑張っています。

 さて、2020年7月7日(火)に私が警視庁王子警察署生活安全課に告訴されることがあり、不受理となりました。尾崎全紀さんです。その前週の東京都議会議員選挙補欠選挙で、NHKから国民を守る党公認の女性新人が公営掲示板に「アベノマスクブラポスター」というものを張る事案が発生。区選管からは尾崎さんに「できれば張らないでほしい」との要請がありながらも張り出されました。これには、女性の前衆議院議員、女性の立憲区議らが反発。私は、尾崎さんに対して「あなたはN国のはぐれ者とされており、実権はないだろうが、アベノマスクブラポスターの首謀者を教えろ。私には警視庁の後ろ盾がある」とツイッターで「ピーポくん」(警視庁の写真入り)でリプライしました。返答はありませんでしたが、N国の惨敗で興奮した尾崎氏は開票翌日の王子署を訪れ「宮崎が警視庁の後ろ盾があると脅してきた」と、おそらく脅迫罪などで生安に訴えました。しかし直後に王子署生安から私に電話があり、「尾崎という者が来て、宮崎さんを警視庁の後ろ盾があるとピーポくんの写真入りツイッターで脅迫された、と脅迫罪で訴えると言ってきました。私からは、結論から言うと言論の自由です。それから、衆議院議員と共通の友人だというから、警察ではなく3人で話したらどうですか、と答えました。尾崎は宮崎さんの家まで行くと言っていましたが、大丈夫ですが。なんなら所轄の○○署に連絡しましょうか」と聞かれました。私は「尾崎は私の自宅に来たことがあるので、自宅は知っているはずだけど、○○署につなぐと面倒でしょ。あなた次第。尾崎は興奮していた?」と聞くと「興奮していました」。「まあ例の、N国が惨敗したからカッカしているんだろうね。僕も経験があるよ。尾崎という男は青森市長選に出馬すると記者会見して事前の討論会でテレビ・新聞に出たのに告示日に届け出ない呆れた男で、N国でもどこでも相手にされない絶望ステータス。もはや選挙ゴロとすら呼べない男」「この尾崎というのは大阪でも選挙に出てますか?」「忘れてたけど、知事選か参院選に出て政見放送に出たはず」「それで、宮崎さんは防犯協力会員でいらっしゃいますか」「私が代表取締役をつとめる会社は隣の所轄の○○署の○○業防犯協力会の会員です」とし、尾崎に対する処分に関する相談的なやり取りがあり、「まあ、教えてくれたからこれでいいよ」と電話を終えました。つまり、尾崎さんが警視庁に話した内容は直後に私に筒抜けだったということです。国政では野党びいきの私ですが、東京都政・警視庁では与党ということで、私の財産を守っていこうと思います。

 9月末には有料媒体の掲載が1年ないことになりますので、執筆・出演依頼お待ちしていますし、noteも始めようかと検討しています。吉本ばななさんの主要媒体がnoteだと最近知ってびっくりしています。あるいは、完全に持ち出しですが、宮崎信行のYouTubeチャンネルも充実させるかもしれません。

 どの媒体で発信するにしても、このサイトに集約させるようにします。

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【情報公開】2020年5月中旬のアクセス数

2020年05月24日 06時20分40秒 | その他
 先週は、新規の「種苗法」10年前の「江本・後藤田麻雀問答」の2つの記事がバズったので、久しぶりにアクセス数が戻りました。



 昨年の今ごろ、第19回統一地方選の前半戦と後半戦で、当選した新人と落選した現職各々の親が地方議員のおどろくべき高額の議員報酬で頭がおかしくなっているのを目の当たりにしてしまい、議員本人を叱ってもどうしようもない不条理に直面。さらにツイッターのプロフで自分の出自を「祖父、曾祖父ともに、旧幕領塩崎村収入役兼村議を経験」と上品な表現で書いていたら、職業参議院議員候補の事務所アカウントから「村議が自慢な人だなんて」と馬鹿にされて激高し、訴訟沙汰(原告の私が敗訴確定)になり、このブログが中断しました。

 私は12年書いてきた過去の記事をほとんど読み返していません。6868本の過去の記事を、ゆうべ少し読み返したら、おどろくほどタイポが少ないですね。最近はタイポが増えていると思いますが、推敲をしていないのに、タイポが少なくて驚きます。

 さて、今週はバズったので、ようやく1年前の1週間をわずかに上回るアクセス数、IP数となりました。

 10年前の数字【情報公開】2010年1月前半のアクセス数)にも近づいたようです。



 見づらいでしょうが、上が10年前(2010年1月)の数字。先週の数字はほとんど変わらない水準まで回復しました。

 とくに、2020年5月21日(木)には、Facebook からの流入が、前年同日比で、3万3000%増えました。数学的にそんな百分率があるのかというくらいですが、Facebook の共感シェアが連鎖していく中で「ターミナルとなっているインフルエンサー」は意外と少数精鋭だということが分かりました。GoogleのFacebookの解析が一年前よりも向上したのかもしれませんが、いずれにせよ、ありがとうございました。

 きょねんは、亡父の相続税の確定申告書の作成が難航しており、イライラしていた面もあったかもしれません。ところで、土地を担保にしてもっと多額の借金をして、それで土地を買い続けた場合、どこまで行っても相続税額はゼロになりますね。それはさておき、このブログをいくら書いても、一円のお金にもなりません。国会ジャーナリストや、国会アナリスト、国会ロビイスト、国会ユーチューバーをいくらやってもビジネスにはなりません。日本の国会には予算編成権がありませんから、予算編成権を持つ米国連邦議会のジョージタウン大学卒のロビイストのような仕事は絶対に成り立ちません。国会ニュースをやるよりも、薬事審議会ニュースでもやった方がお金になります。それを若い人が道を間違えないように強調します。そして、やはりそのことを理解してもらわないと、話が合わないんですね。10年前と同じアクセス数と言っても、正直「一般有権者」を対象にして、ブログを書こうという気力は持ち合わせていません。私が永田町・霞が関で、一定の影響力を死ぬまで持ち続けるためだけに書いています。今まだ46歳ですが。父から承継した法人の第40期も余裕で黒字決算で法人税を納税しました。個人の立場でも、かなり手元資金には余裕がありますので、動画、出版、新事務所など新しい展開は模索していこうと思います。

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インターネット版官報

Ⓒ2020年、宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki
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移動しました

2020年05月21日 21時58分08秒 | その他
 こちらのアドレスに移動してください。

 作成途中の記事を公開してしまいました。

 
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政務活動費の着服で実刑 地方議員の不祥事相次ぐ、自民党元墨田区議会議員

2020年03月19日 14時58分45秒 | その他
[写真]パノラマ写真なので歪んで見えますが、法務省、東京地方裁判所、3年前2017年、宮崎信行撮影。

 政務活動費を着服して議員バッジを外して、手錠と腰縄を付けていた自民党地方議員が実刑判決になりました。議場ではなく塀の中に入ってもらいます。

 東京地方裁判所は、おととい令和2年2020年3月17日(火)、政務活動費を着服した、元自民党墨田区議会議員に対して、懲役2年6か月の実刑判決を下しました。同区では会派にまとめて政務活動費を支給することになっており、会派の責任者だったときに恒常的に着服していました。

 現在の墨田区議員報酬及び費用弁償条例は、報酬額を同条例の本則ではなく別表に記載。月額61万1000円。期末手当の計算方法も同条例内に書かれており、年3回支給で、3月22万円、6月148万4000円、12月148万4000円とみられます。議員報酬と期末手当だけで額面年収1052万円。このほか、費用弁償、政務活動費の一定割合、公費視察などが加わることになります。控除額のうち厚生年金は非加入なので控除されません。

 1052万円も年収があり、12月分の支給は額面で210万円以上、手取りはおそらく150万円前後になるのではないでしょうか。

 このような地方議会は要りません。廃止すべきです。

 以上です。
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一年前の記事 法の支配の底が抜けつつある状況と

2020年03月07日 19時43分06秒 | その他
 
【今日の国会のまとめ】法の支配の底が抜けつつある現状、「特定技能の在留資格について政省令事務を含む法制度の全体像の政府報告」がなされる
[写真]東京都千代田区の、最高裁判所(左=隼町)と、国民民主党本部が入る民間ビル(右=永田町)、4年前の2015年秋、宮崎信行撮影。 内閣法制局長官の最高裁判所裁判官への左遷と、憲......
 

 

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