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ニュースサイト 宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

来週、最大野党が衆参両院合宿、岡田克也代表率いる会派も合宿、枝野派、岡田派の様相

2018年08月24日 18時49分33秒 | 岡田克也、旅の途中

 来週、最大野党「立憲民主党」の衆参両院議員と、岡田克也代表率いる「無所属の会」が各々、1泊2日の「田中派」方式の合宿を開くことになりました。両団体が、きょう、各々発表しました。

 最大野党が、衆議院議員と参議院議員が合同で合宿をするのは、今世紀で2回目となります。これまでは、毎年9月、参議院最大野党が単独で合宿をしてきました。なぜ単独だったのかは、私は深くその事情を知るところですが、それは全て割愛。枝野幸男さんの力と、衆参で野党第一会派がねじれたことが大きそうです。

 政治家の派閥による合宿の出発点である、田中角栄派を意識したようで、越後湯沢のホテルをリゾートホテルを借り切り。津田大介さん、本間正人さんらの講演のほか、「若手議員への選挙指南」を代表、辻元清美さん、長妻昭さんが開催。初日のメーンイベントは、枝野代表の1時間15分程度の講演で、「枝野派」色が高まりそうです。27、28両日。

 岡田克也代表ら「岡田派」は、側近の玄葉光一郎さんの事務所がアレンジ。福島県有数のラジウム含有量で知られる温泉の旅館に宿泊。こちらは、衆議院のみ13名ですので、講演は無し。福島第一原発を2時間半視察し、政策研究会2時間50分行うという、ゆったりとした日程となっています。29、30両日。

 一方、参議院に限っては野党第一党の国民民主党は、国会延長により、都内での合宿の予定を中止しました。

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岡田克也さん、無の境地に 熊野古道で

2018年08月20日 22時07分46秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]熊野古道(左)と岡田克也代表=当時・3年前の2015年4月、熊野古道の写真は熊野本宮観光協会さんのホームページからお借りしました。

 岡田克也さんが、無の境地になったことが明らかになりました。

 お盆明け初日の、きょう、平成30年2018年8月20日(月)、SNS・メールマガジンで明らかにしました。

 岡田さんによると、お盆休みに夫人と2人で三重県・熊野に2泊し、熊野古道を5時間散策。岡田さんは

 「目の前の石を見ながら、どこに次の一歩を踏み出そうかということに集中しないと、滑ったり、転んだりしてしまいます。余計なことは考えず、無心となって、ひたすら一歩一歩進む必要があります

 とし、

清々しく生き返ったような、不思議な気分になりました

 としました。

 私はきょねん6月、NHKホールでの山本孝史元衆議院議員に関する公演を見た後、ご夫妻をお見受けしてご挨拶しましたが、まあ、岡田さんが副総理や最大野党党首のときに、そういう表現は私もしませんが、岡田多津子さんは、美人だし、天真爛漫だし、かわいい、キュートな方だと思います。それでいて夫が要職にあるときは、選挙区内で演説し、しかも医師なのですから、奇跡の還暦といったところです。

 岡田さんの選挙区内の三重県三重郡菰野町から、実は、直線距離で100キロメートル離れた、三重県北牟婁郡紀北町の、おばあさんが戦前に暮らしたその生まれ故郷も訪ねたそうです。

 目の前にある、財務省や党職員がつくった、A4判ペーパーなど見ず、目の前の石を見ていれば、いずれ浮上する時は必ず来ます。絶対に間違いなく来ます。


[写真]無念の離党記者会見に臨む岡田克也さん(左から2人目)。

 自分の名義で党資金を借り入れた、たまきん、こと玉木雄一郎代表のように、身銭を切って党の仲間を応援すれば、岡田代表も瞬く間に総理ということになりますが、友達は多いが子分はいないベテランにしては、今もとても大きい影響力を持ち続けています。それこそ船田元さんら与党・自民党の当選二ケタのベテランがまるっきり干されているのに、野党の岡田代表の方が影響力ははるかにあります。岡田さんが身銭を切って、来年の参院選で岡田新党で野党統一ということはあり得ませんが、ぜひ、岡田先生にも応援演説の際は、5万円くらいは陣中見舞いを持っていていただいて、政権交代ある二大政党政治を実現させてまいりましょう。

 まあでも、1週間後の、羽田孜先生こと愛国院大居士のご命日に、報告することは、なかなか私も含めて、正直会わす顔が無いといったところではないでしょうか。

 それから、とにかく財務省の洗脳から抜け出てください。

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「民・希新党岡田氏ら焦点、参加可否が議員数を左右」との報道→岡田克也さん「国会質問が忙しい」とけむに巻く

2018年04月04日 18時50分26秒 | 岡田克也、旅の途中

 希望の党(玉木雄一郎代表)と民進党(大塚耕平代表)が新党協議会をつくることで合意したようです。

 きょう2018年4月4日付の読売新聞4面は「岡田氏らの判断次第で、新党に参加する議員の数も左右されそうだ」と報じました。これとは別の視点で、朝日新聞は、第48回衆院選後の資産公開で、民主党代議士の平均が1351万円だったのに、今の任期の民進党が平均2502万円、立民が1946万円、希望の党が1056万円と旗幟鮮明になったという記事も載せました。

 私も衆議院小選挙区勝ち上がりの猛者からも「自分は共産党さんの調整が無いと小選挙区で勝ち上がれないが、そういうことだけではなく、岡田首相を実現したいので、岡田先生についていく」、参議院のかなり大きい組織の現職からも「組織のためもあるが、政権交代ある二大政党政治をしたいので、岡田先生についていく」、地方議員からもいろいろ、岡田先生についていくということを言われております。

 20年前の新党協議会は、細川護熙元首相が、民主党菅直人代表、民政党羽田孜党首、新党友愛中野寛成代表、民主改革連合の笹野貞子会派代表の4人と、個別に会談したり、平日昼にキャピタル東京ホテルの会議室をおさえたり、しながら、ていねいに4代表共同署名へと持って行ったものです。その記者会見では、「で、新しい民主党の代表には、細川さんが就くんですね?」という質問を受けながらも、議員辞職してしまうという驚きの展開となりました。その後、20年間、民主党は存続し、政権も3年3か月担いました。

 今回は細川さんにあたる人がいませんから、五里霧中。

 そんななか、岡田さんはメルマガなどを発信。

「私は、外務委員会の他、倫理選挙特別委員会(倫選特)、東日本大震災復興特別委員会(復興特)の計3つの委員会に所属しています。衆院会派「無所属の会」は、総勢14名ですので、各委員会1名が原則で、結構、質問の機会が回ってきます。私の場合は、外務委員会が毎週水曜と金曜に開催されるので、週2回のペースで質疑をしないといけません」

 とし、

「議論の具体的中身は、私のホームページで「国会会議録」のところに載っていますので、是非ご覧いただきたいと思います。国会の議事録というのは、後に残るものです。忙しいですが、準備をしつつ、これからもしっかりとした議論を進めていきたいと思います」

 と煙に巻きました。

[2018年4月4日付かつやNEWSから引用はじめ]

連日の国会質問─後世に残る議事録、忙しいがしっかり準備して臨む

予算が成立して、国会は各委員会で各法案、条約の審議に入っています。
私は、外務委員会の他、倫理選挙特別委員会(倫選特)、東日本大震災復
興特別委員会(復興特)の計3つの委員会に所属しています。

衆院会派「無所属の会」は、総勢14名ですので、各委員会1名が原則で、
結構、質問の機会が回ってきます。私の場合は、外務委員会が毎週水曜と
金曜に開催されるので、週2回のペースで質疑をしないといけません。今
日などは、外務委員会の30分の質疑の後、倫選特で福島県議選選挙区特
例法案の審議があり、ここでも質疑をしました。党代表の時は、予算委員
会や党首討論がありましたが、委員会でこれだけ頻繁に質疑するというの
は久し振りのことで、準備も含めて結構大変な状況です。

外務委員会では、核の問題や北朝鮮の問題を中心に、かなり詰めた議論を
河野大臣との間で行っています。ただ、大臣の答弁は、同じ答弁を何回も
繰り返すなど、大臣になる前の河野さんのイメージとは全く違う対応で、
非常に残念に思っていますが、質問回数が多いこともあって、かなりしっ
かりとした、中身の濃い質問ができていると思います。

議論の具体的中身は、私のホームページで「国会会議録」のところに載っ
ていますので、是非ご覧いただきたいと思います。

国会の議事録というのは、後に残るものです。忙しいですが、準備をしつ
つ、これからもしっかりとした議論を進めていきたいと思います。

[引用終わり]


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岡田克也さん(昭和51年通産省)「佐川さんには、ぜひ本当のことを言っていただきたい」「佐川さん個人あるいは財務省理財局にあらゆる責任をかぶせかねないように感じられます」

2018年03月21日 20時00分09秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]岡田克也さん、先週2018年3月13日、民進党本部で、筆者・宮崎信行撮影。

 官僚出身の国会議員は減っており、二ケタ当選している衆議院議員27人のうち官僚出身は、

 自民党の野田毅さん(昭和39年大蔵省)、伊吹文明さん(昭和35年大蔵省)、細田博之さん(昭和42年通産省)。
 そして、民進党の岡田克也さん(昭和51年通産省)の4名しかいないようです。

 さらに、安倍首相と同じく最後の中選挙区で初当選した9期生をいれた、48議員で見ると、現・国土交通大臣の公明党の石井啓一さん(昭和56年建設省)しか増えず、衆議院の上位1割のうち、官僚出身はそのまた1割、という少なさになっているようです。

 以前は、岡田さんに、宮澤喜一首相以来、25年ぶりの、官僚出身・東大法学部の首相になってほしいという声が霞が関にありましたが、行革路線が嫌気されてか、あまりそういう声は聞きません。

 岡田克也さんは、きょう、平成30年2018年3月21日(水・祝)、SNSでメッセージを発信しました。

 この中で、来週火曜日の27日の、佐川宣寿さん(昭和57年大蔵省)について、

 「佐川さんには、ぜひ本当のことを言っていただきたいと思います。国会でのやりとりを聞いていると、佐川さん個人あるいは財務省理財局にあらゆる責任をかぶせかねないように感じられます」

  と語りました。

 そのうえで、「値引きの根拠とされた地中のごみの算定の問題がいろいろと報じられています。これは、佐川さんというよりは、その前の迫田理財局長のときの話です。地中3.8mの調査を業者が本当にやったのかということも重要なポイントですが、同時に、杭打ち部分の9.9mのところは、国は自ら調査してないし、業者に調査依頼すらしていない。つまり、森友学園側の言い値で計算しているということです。ここも極めて問題です。森友学園側の言い値で、最大9.9mまでごみが埋まっているとなったということですが、結局、それを算定の根拠にして、全体でごみの混入率を47.1%としたうえで、値引きの金額が出てきています。そんないい加減なことがまかり通っていることは、誰もが疑問に思うことですが、必要あれば、迫田さんにも来てもらうことも必要ではないかと思います」

 と語り、佐川さんの説得力のある説明がなければ、同期の迫田文典さん(昭和57年大蔵省)の証人喚問を追加する必要もあると強調しました。

【参考エントリーの紹介はじめ】

岡田さん「細野、寺坂はよく頑張った」「我が期(51年入省)は次官が出ない期に」「さびしい」夏

2011年08月04日 20時52分33秒 | 岡田克也、旅の途中

【参考エントリーの紹介終わり】

 SNS全文は次の通り。

○佐川氏喚問─国民の不信感を払拭するため、本当のことを話してほしい

森友学園の疑惑について、昨日、予算委員会の集中審議が行われましたが、
来週、佐川前理財局長を証人喚問することが決まりました。そのこと自体
は評価できることです。

佐川さんには、ぜひ本当のことを言っていただきたいと思います。国会で
のやりとりを聞いていると、佐川さん個人あるいは財務省理財局にあらゆ
る責任をかぶせかねないように感じられます。

財務省あるいは霞が関全体に対する国民の不信感を払拭するために、何を
すべきかという観点で、佐川さんには、しっかりと本当のことを言っても
らいたいと思っています。

特に、なぜ、こんな嘘をついたのかということです。国会で明らかな嘘を
発言するということは、よほどのことがない限りあり得ないことで、その
ことについて、本当のことを語ってもらいたいと思います。

加えて、値引きの根拠とされた地中のごみの算定の問題がいろいろと報じ
られています。これは、佐川さんというよりは、その前の迫田理財局長の
ときの話です。地中3.8mの調査を業者が本当にやったのかということ
も重要なポイントですが、同時に、杭打ち部分の9.9mのところは、国
は自ら調査してないし、業者に調査依頼すらしていない。つまり、森友学
園側の言い値で計算しているということです。ここも極めて問題です。

森友学園側の言い値で、最大9.9mまでごみが埋まっているとなったと
いうことですが、結局、それを算定の根拠にして、全体でごみの混入率を
47.1%としたうえで、値引きの金額が出てきています。

そんないい加減なことがまかり通っていることは、誰もが疑問に思うこと
ですが、必要あれば、迫田さんにも来てもらうことも必要ではないかと思
います。

まだまだ疑惑の解明の第一歩までも行っていない状況ですから、国民の信
頼を取り戻すために、国会がしっかりと対応していかなければいけないと
考えています。

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(C)2018年、宮崎信行。

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岡田克也さん、現状の野党分裂は新進党解党よりはマシ「年末というのはいろいろなことが今までもありました」「そこまでは行っていないものの、かなり日本の政治としてはひどい」

2017年12月06日 23時25分18秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]岡田克也さん、先週2017年11月28日、筆者・宮崎信行撮影。

 岡田克也さん(当選10回、三重3区)は平成29年2017年をしめくくり、「かなり日本の政治としてはひどい」としながらも、新進党が解党された平成9年1997年末よりはましだ、との認識を示しました。

 これは、きのう、12月5日(火)の定例記者会見で強調したものです。

 ところで、これまで当ブログは、bdバックデート、fdフォワードデートを明記することで、そのエントリー記事の投稿日と、その事象の発生日とを同時にする工夫をしてきましたが、あまり利用価値が無いので、今後は、なるべく、書いたその日の投稿日時のままにしようと思います。

 岡田さんは、野党が3分裂した現状を振り返り、

 「年末というのはいろいろなことが今までもありました。党が突然解散されたり、そういうこともかつてありました。新進党が解党されて、あわてて、小さな党が幾つもできて、やがて民主党と合流するという。そこまでは行っていないものの、かなり日本の政治としてはひどい、この(9月・)10月・11月・12月だったと思います」と語りました。民進党ホームページに掲載されました。

 新進党解党時よりはマシとの認識です。私としては、20年前の新進党解党は許せませんが、当時は私も今より20歳若かっただけあり、希望があったように感じます。

 岡田さんが代表をつとめる会派は13名ですが、衆議院14名の新党友愛が、創価学会系衆参両院議員と会談をやったことがあります。これは、平成10年1998年3月19日の夜のことです。ホテルニューオータニのガーデンコート4階にあるレストランで、新党友愛の中野寛成代表、伊藤英成幹事長、川端達夫政調会長と、新党平和の神崎武法代表、冬柴鉄三幹事長らが会談しました。

 このときは、まず料理店にテレビカメラ数台が待ち構えていることを見て、秘密主義の創価学会の冬柴さんが「ちょっと、こんなつもりじゃないんだ」という趣旨の発言をして、不快感を表明。ところが、友愛はしてやったりの表情でした。会談終了後は両党首らが囲み取材に答えました。友愛からは、「社公民も、自公民もあったけど、公民はいつも一緒でしたね」との発言に対して、神崎・平和代表からは「きょうは地方政党公明の桜井・東京都議会議員らも同席した。桜井らが同席することが、私たちにとってどういう意味か分かってほしい」との言葉がありました(私はこの言葉の意味は今でも不明)。この後、冬柴幹事長が「きょうは顔あわせ程度で、とりたてて実りがある会合ではなかったですね」と語ると、伊藤幹事長が「それ、どういう意味よ!」と語りました。このような和気藹々とした余裕は今の政治にはまったくありません。この後、鉄面皮の印象がある、神崎代表が明るく番記者に「それでは上の階(オータニ5階)にある喫茶店で懇談しましょうか」というと番記者たちが「お願いします」とぞろぞろついて言ったので、私たち友愛の番記者数名はいそいそ帰りました。

 その時の記事が毎日新聞に載っていたようです。

[毎日新聞記事データーベースから引用はじめ]

新「民主党」後も公民連携
1998.03.20 東京朝刊 2頁 2面 (全83字) 

 新党平和の神崎武法代表、新党友愛の中野寛成代表、公明の鶴岡洋幹事長ら3党の幹部は19日夜、都内のホテルで会談し、新「民主党」誕生後も連携を維持していくことで一致した。

[毎日新聞記事データーベースから引用おわり]

 このように、全83文字、1行だけのベタ記事になったのでした。政治部というのは、1行のために何時間取材しているんだか。

 で、この20年前の記事で、「社公民も自公民もあったけど、公民はいつも一緒でしたね」と、連合・旧同盟系と創価学会は、その後も仲良くしていた印象がありますが、ただの一度も国政で一緒にやったことはないですね。参議院神奈川選挙区も浅尾慶一郎さんと松あきらさんを相互に応援した1回だけでバーターが終っています。旧民主党のひそかなタブーである、小選挙区での創価学会の支援も、友愛のメンバーでは、誰も受けていないのではないでしょうか?

 また、伊藤幹事長はトヨタ自動車の社員で、同社の豊田章一郎社長が当時は旧経団連の会長でした。

 けっきょく、創価学会を失っても、旧民主党は政権交代できたわけです。

 なので、発想を変えて、連合会長の、神津里季生なる者は、吉良上野介のように斬り捨てて、少なくとも、原発推進の電力総連、反日教育の日教組、公害推進税制改正でしゃばりの自動車総連などの産別は他の党を応援してもらうことで、別れてしまってもいいのではないでしょうか。具体的に、組織票の足し算は示せませんが、それでも、政権交代できるのではないでしょうか。

 まあ、当分は昼行燈を決め込むしかないでしょう。

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岡田克也さんが定例記者会見「野党再編は時間が必要だ」、野党第3会派「無所属の会」代表(兼)民進党常任顧問25名以上の記者が集う、

2017年11月28日 22時44分24秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]定例記者会見する、岡田克也さん、2017年11月28日、民進党本部、筆者・宮崎信行撮影。

 岡田克也さんは、平成29年2017年11月28日(水)、東京都千代田区永田町1丁目11番1号にある、民進党本部の5階ホールで、第1回の定例記者会見を開きました。

 これは、衆議院会派「無所属の会」代表、及び、民進党辞任顧問としての定例記者会見。今後は、火曜日の午後3時を定例定刻とします。

 岡田さんは、最大野党「立憲民主党」の枝野幸男代表に選挙後はあまり会っていないとして「自らの存在を際立たせたいという気持ちがあることも理解できる。私はそういう意味では時間も必要だというふうに思っている」と語りました。民進党全体では、年内の地方組織分裂を阻止すべきだとの考え方もありますが、岡田さんは、国会内の幹部クラスの時間をかけて調整が必要だとの認識を示しました。岡田さんは、立民、希望の党以外の野党との連携も示唆。自らが最大野党党首(ネクスト総理)としててがけた、昨夏の参院選1人区善戦を主張し、その手腕をアピールしました。

 既に他のエントリーにも書きましたが、当日の衆議院予算委員会で「テレビデビュー」した無所属の会の質疑を念頭に、「もりかけ疑惑」の学校法人森友学園への国有地払い下げについて重要な答弁をしたことについて、「財務省は組織で動く役所なので、個人というよりはそれは組織として、もうこれ以上、シラを切るわけにはいかないというふうに判断したんだと思います」と語りました。私が、太田充・現財務省理財局長が、5年前の野田佳彦首相の事務秘書官だったことが影響したのではないかという一つの見立てを提示したことに対する答えでした。

 きょうは、野党第3会派なのに、記者だけでも25名以上が集いました。

 民進党党本部単独主催のこの記者会見では、要件を満たした、フリーランス・独立メディアの記者も参加できます。このお世話をしてくれる党職員は、立憲民主党に転職した前任者(社会党衆議院議員秘書出身)に代わり、7年ぶりに及川敏章職員に代わりました。自由主義野党の民社党職員出身の及川職員は、現在の岩手県3区域の出身のため、旧自由党代表、最大野党民主党代表や与党民主党幹事長をつとめた小沢一郎さんの下で重用されました。

 2011年の小沢幹事長時代は、側近国会議員たちが「1社1問ルール」なるものを勝手につくって、押し付けました。読売社会部記者が陸山会事件を質問した後、読売政治部記者に対して「1社1問ルールを守れ」という訳の分からない理由で、その日司会の樋高剛副幹事長(当時衆議院議員)がマイクを取り上げさせるという異様な運営がされました。こういうときにも、及川職員はフォローする側だったんだろうと思います。その後、小沢幹事長はあえなく失脚。3カ月間の枝野幹事長時代をへて、反・小沢の急先鋒、岡田克也さんが幹事長に就任する事態に。ここで、岡田幹事長はその経験をいかすため、及川職員の選対への異動を決裁しました。その2年後に、当時の輿石東幹事長らの考えで、離党した小沢議員の刺客として、現在の岩手3区に業務命令立候補させられるなど苦難の道を歩きました。今回、7年ぶりに、他部署との併任辞令ながら、役員室報道担当に復帰。それにしても、どこが労働者の党だという感じで、党本部分裂などこれを最後にしていただきたい。

 私が、衆議院14人会派の「新党友愛」の担当をしていた当時、「新党友愛の中野寛成代表は、○○日の定例記者会見で~~」という文面の記事が、朝日で1回、毎日で1回しか載っていないと指摘すると、衆議院13人会派の岡田さんは「衆院選を闘わなかったことで、民進党そのものの存在感が低下している。それが世論調査の政党支持率にも表れているという思う。参議院だけではなくて衆議院も含めて民進党がしっかりと動くことでその存在感を高めていきたい」と語りました。

 民進党の未来は見えてきません。

 しかし、私は長年「野党第3会派を担当していた」と言ってきましたが、これは勘違い。野党第1会派「民主友愛太陽国民連合」に集う会派のうちの第3会派の勘違いでした。現場の記者にありがちな勘違いで反省します。改めて計算したら、第1次民主党(オリミン)、自由党、新党平和、民政党、共産党、社民党に続く、野党第8党でした。

 野党第8党という未来が絶望的な政党を担当していましたが、その後、三権の長らも出ています。当時の衆議院第25控室も、さほど将来を悲観する雰囲気はありませんでした。ただ、中野さんですら、定例の記者会見で、「橋本2兆円減税は手ぬるい、10兆円減税すべきだ!」とぶち上げたのに、番記者たちは呆気にとられたままどこも記事化していなかったようです。その後、幹事長からも「えっ、代表そんなこと言ったの、勝手にそんなこと言われちゃ困るんだよなあ」と嘆いており、14人会派にも「派閥」があることを知りました。で、19年経ってようやくわかったんですが、当時4期生の川端達夫幹事長代理がその両派閥をつないでおり、だから、川端さんは大臣2回、衆議院副議長をやれたんです。

 何度も言いますが、民進党の未来は明るいものではありません。

 とはいえ、私も、完全に不貞腐れるのではなく、まあ、そこそこ不貞腐れながらも、再来年の参院選を見据えてのんびりやっていこうと考えています。

 まあ、そのうち、なんとかなるだろう、といったところですし、ならなきゃならないので、どうにもならないでしょう、それがどうした、といったところです。 

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19年ぶり我が青春の衆25控室で、岡田克也さんが「民進党・無所属の会」の看板掛けで自然と拍手が起こる&衆議院本会議

2017年11月17日 19時00分45秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]民進党「無所属の会」の看板をかけて、拍手する、岡田克也、平野博文両衆議院議員ら、衆議院第25控室前で、宮崎信行撮影。

 衆参の本会議で、第4次安倍晋三首相(自民党総裁)の所信表明演説がありました。それは後述します。

 我が青春の衆議院第25控室に行ってきました。というのは、私は19年前、24歳の時、「新党友愛」の番記者をしていました。衆議院で14名、参議院で9名の政党でした。その控室が、国会議事堂本館3階の25控室だったんです。

 政治記者経験者で、野党第3会派の担当が、主業務だった経験を持つ人は稀です。

 「新党友愛」を担当するのがメーンの仕事だという記者は、読売のU記者と私の2人だけでした。これは、私が当時24歳の若輩記者だったからで、人数が少ない日経新聞ではかなり珍しい配置でした。

 朝は、出勤すると、「野党記者クラブ」に鞄を置きます。これは、今と同じ第5控室にありますが、当時は第6控室にも野党専用記者会見場がありました。まず、25控室に行き、岡崎敏弘事務局長(現在は参議院第2会派の事務局長)らを取り囲んで雑談。そして、午前10時から「全員国対」が始まると、いったん廊下に出て、終わると、控室の中に戻るという午前。午後は、議員会館を回って、代表・幹事長にも1時間前後話を聞ける環境でした。代表・幹事長に日中、議員会館で1時間以上話しているので、夜回り朝回りをするとかえって、失礼になるので、行かないこともありました。ただ、日経の若手は、他の仕事を押し付けられるので、12時前には、帰れませんでした。

 上述の、当時の新党友愛の午前10時からの「全員国対」。衆参国対委員長だけでなく、代表、幹事長らも参加して、それは「両院議員総会」ではないのかと思うのですが、とにかく全員国対をやっていました。番記者はいったん廊下に出て、会議中に、壁耳をしました。壁耳をした通風孔は今も変わらず。当時は、事務局が意図的にコピーを置いて、壁耳を妨害しましたが、それも、含めて議員も職員も記者も良い意味での予定調和があった時代でした。


[写真]衆議院25控室前から、見る、階段、院の職員に「廊下で待っていてください」と言われた時間に撮影。

 25控室の廊下で待っているときに、この階段が怖かったのを覚えています。25控室から、階下にある衆議院本会議場には、この階段を降りないとたどりつきません。

 ◇

 それから19年の時がたちました。

 衆議院第25控室のあるじは、尊敬する岡田克也さんが代表をつとめる「無所属の会」。

 野党分裂でできた、13人の会派です。

【岡田克也】民進党・無所属の会の和やかな看板かけで拍手、和気藹々とした代議士会

 「新党友愛」のメンバー23名のうち、7名は、その後、財務大臣、総務大臣、法相、経産相、文部科学大臣(2人)、国家公安委員長、参議院議長、衆議院副議長(2人)、最大野党幹事長、与党税調会長、と、けっこう出世しました。

 看板掛けでは、平野博文・民進党本部国会対策委員長が拍手をしだして、全員で拍手。岡田克也さんがこうやって、明るく拍手するのをはじめてみました。代議士会冒頭の公開部分も、新党友愛に比べれば、ピリピリしていましたが、まあ和気藹々とした雰囲気。下野後のここ5年間もけっこうのんびりしていた印象もありますが、これからの「無所属の会」も、より一層のんびりやっていけば、待てば海路の日和あり、ではないでしょうか。

 怖い階段を見下ろしながら、政権交代とか、夢幻のごとくなり、だなあと考えました。

【衆議院本会議 平成29年2017年11月17日(金)】

 裁判官弾劾裁判所裁判官などの選挙がありました。この中で、首相との不仲で、外されていたはずの、船田元さんが弾劾裁判官に戻ったようでした。

 この後、安倍晋三首相(自民党総裁)の所信表明演説がありました。生産性革命と人づくり革命について、来月上旬にまとめる2兆円の政策パッケージに入れる、という趣旨の内容が盛り込まれました。働き方改革への言及はありませんでした。

【参議院本会議 同日】

 首相の所信表明演説がありました。

 補正予算案は出ませんから、財務大臣の財政演説は衆参ともありません。

【衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員会 同日】

 希望の党の議員が委員長席に着き、古川元久委員長(希望の党幹事長)が辞任したと説明。後任に、同党の笠浩史さんが就きました。

このエントリーの本文記事は以上です。

(C)2017年、宮崎信行。

[お知らせはじめ]

宮崎信行の今後の政治日程(有料版)を発行しています。

国会傍聴取材支援基金の創設とご協力のお願いをご一読ください。 

このブログは以下のウェブサイトを活用しエントリー(記事)を作成しています。

衆議院インターネット審議中継(衆議院TV)

参議院インターネット審議中継

国会会議録検索システム(国立国会図書館ウェブサイト)

衆議院議案(衆議院ウェブサイト

今国会情報(参議院ウェブサイト)

各省庁の国会提出法案(閣法、各府省庁リンク)

予算書・決算書データベース(財務省ウェブサイト)

インターネット版官報

[お知らせおわり]

Miyazaki Nobuyuki

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【佐田玄一郎】「経世会2階から竹馬コンビ」は佐田さんが(今回は)脱落、政界引退は否定、30代・経世会初当選

2017年10月09日 23時53分05秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]国政情報センターさんの「国会議員要覧平成2年2月版」から、左は佐田玄一郎さん=64ページ=、右は岡田克也さん=106ページ=、筆者・宮崎信行がキャプチャー。

 「経世会・30歳代で初当選の2人組。

 連続当選9回で、佐田玄一郎さんが脱落しました。

 もちろん、今後の復帰は有りますが、あす公示の第48回衆院選には立候補しないことになりました。

 1990年2月。竹下登さん、金丸信さん、小沢一郎さんが牛耳る自民党最大派閥、泣く子も黙る経世会。バブル期とともに権力の頂点にあった経世会ですが、1990年は、前年参院選の「おたかさんマドンナブーム」に乗る、最大野党日本社会党の土井たかこ党首が強敵となりました。

 そこで、海部俊樹首相・総裁を支える、小沢一郎自民党幹事長は、非世襲の若手をスカウトしました。このため、1990年初当選の自民党議員は、選挙で勝てる、県会議長経験者などが多い傾向があります。そのため平均年齢が高い。

 ところが、この泣く子も黙る経世会で、30歳代、非世襲で初当選した人が2人います。1人は佐田玄一郎さん(1952年12月22日生まれ)、もう1人が岡田克也さん(1953年7月14日生まれ)です。すでに30代後半ですが、当時の衆議院では、岡田さんは12番目に若く、佐田さんは18番目に若かったようです。ともに、県会議長ではないけれども、地元経済界の閨閥ということでスカウトされたと思いますが、さすがに中選挙区の中で一番下の、自民党公認では一番下での初当選でした。

 「経世会・30歳代・非世襲」--これは今の政界ではたとえようがない、「シンジロウ」どころでないスーパースターであり、二階から竹馬に乗って出てきたような議員です。

 それから、27年。両者とも連続当選9回。ずっと自民党にいた佐田さんは、岡田さんより5年早く大臣になり、衆議院議院運営委員長を2回つとめました。一方の岡田さんは、政務次官すら経験しないまま19年が経ちましたが、その後、外務大臣、副総理として、入閣回数も佐田さんを抜きました。

 あす公示される、第48回衆院選に佐田さんが立候補を断念。今回に限っては立候補を見送ることになりました。前々から、清和会所属の参議院議員が佐田おろしをブログでも展開し、清和会閣僚経験者の娘(前職比例議員)が小選挙区から出ることになりました。中曽根派の新人は比例単独となりました。経世会の黄昏。

 もともと、意識していましたが、公示日の直前のニュースとなり、あわてて調べているので、冒頭の岡田さんの写真も少し曲がっていますが、岡田さんはたまには曲がってもらった方が良いとして、こういう時が来ました。

 私は日経新聞政治部で、小渕恵三総理候補番記者というのをやった1週間があり、その時、3期生の佐田先生が、外務省の小渕大臣室に来て、記者の囲み取材に応じ、「この後、村に帰る」と言いました。私は長くやっていますが、派閥または派閥事務所を「ムラ」と呼んだ先生は、この時の佐田先生が唯一で、私は「ムラと呼ぶ議員本当にいるんだな」と感じました。この後の小渕首相が経世会最後の総理となりました。

 これに先立つ、佐田さんは、橋本龍太郎首相・総裁の「総裁担当副幹事長」というのもやっていました。これは、他派閥の先輩と2人組で、総理にも必ず2人組で会い、党本部との連絡をしました。執務室から出てきた佐田さんと先輩議員の2人を取り囲んだところ「この話は、(梶山静六)官房長官のお耳に入れた方がいいんじゃないかな」「アポ取ってないけど、とりあえず行ってみるか」と官房長官室に向かいました。この1人では総理とあわせない、「総裁担当副幹事長」という自民党のシステムのすごさ。それと、総理も官房長官もみんな経世会だった時代です。

 いう間も出なく、岡田さんは2期目の途中からは野党暮らし。ただ、野党・民主党結党にあたっての、懇談会のようなものがあっても、岡田さんの周りには、私よりも先輩の記者がいて、なかなか、そちらの机に移れずに、枝野幸男さんや北橋健治さんとお話しする、というシーンも経験しました。まさに、下野しても岡田さんは二階から竹馬に乗っていたのです。遠い昔の物語。

 21世紀になりました。もはや経世会の栄華はかけらもありません。

 たまたま見た光景は、社会保障と税の一体改革法を、担当大臣兼副総理として衆議院通過を迎えた岡田さんが、議員会館内で、佐田さんと遭遇。がっちり握手して、通り過ぎて行った姿を見ました。その年の暮れから、佐田さんが与党になりましたが、活躍の場はありませんでした。

 佐田さんの9期27年、「ピンクエレファント」とか、国会外での噂もいろいろ出ました。ただ、野党時代に、赤坂で、数少ない経世会(平成研究会)の後輩の元職を、気づかって、食事し、叱咤激励して、赤坂議員宿舎に引き上げる姿を見ました。自民党経世会とともに、黄昏を迎えたというところのようです。

 とにかくあわてて書いていますので、事実関係は違うかもしれませんが、野党・岡田さんは、あす公示の第48回衆院選で、無所属として、二大政党再編にのぞみます。当選すれば、言うまでもなく、10回、二けたになります。

 佐田さんが出馬を模索した衆議院群馬第1区の立候補者について、2017年10月10日から22日までに当ブログをご覧になる方は、群馬県選挙管理委員会のホームページで、立候補者を確認していただければ幸いです。

 このエントリー記事の本文は以上です。

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#岡田立つ 旧民進系無所属で岡田克也ネットワーク結成、無所属、希望の党、立憲民主党応援「現・野党の良い人材をたくさん残したい」【追記有】

2017年10月08日 21時11分29秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]資料写真、岡田克也さん、江田憲司さん、安住淳さんら、岡田さんの所属政党の幹部会合、党本部内で、2017年、宮崎信行撮影。

 岡田克也さんは、平成29年2017年10月8日(日)、三重県都の津で、記者会見。あさって公示の第48回衆院選で、民進党出身で立候補する、「無所属」の前職約20名。岡田克也事務所が「党本部」となり、情報共有、相互支援する「岡田ネットワーク」(仮称)を立ち上げたことを明らかにしました。時事通信などの報道を、岡田さんの公式SNSがシェアしました。岡田公式SNSの既存メディア報道引用は異例。(gooニュース=時事通信=民進の無所属組、衆院選連携へ=岡田氏中心、約20人【17衆院選】

 このため、年齢と期数が下なのに経歴に限れば格上の野田佳彦元総理、外様大名の江田憲司さん、側近の安住淳元財務相、中川正春さんら。
 報道では、岡田さんは

「党の支援がない分、個人的なネットワークで助け合っていく」、

「(分散した野党を)しっかりと一つにしていく接着剤、中軸としての役割を無所属議員が果たしていきたい」、

「これからの野党、大きな固まりをつくっていくことを見据えて良い人材をたくさん残したい」

 と語ったようです。

 岡田ネットワークは、希望の党、立憲民主党の候補者も応援。

 選挙後の野党結集の主導権を握りたい考え。岡田さんは「第48回衆院選で150議席をとれば、その次で一気に政権交代(233)できる」との考えを以前から示しており、「第48回衆院選での安倍倒し」は難しいとの認識を持っています。

 岡田事務所は、政策・公設秘書、後援会、政党総支部の3つをあわせて、国会事務所が4名、地元事務所がおよそ20名。野党暮らしが長いのに、屈指の重厚な布陣。これは、世間は「イオンマネー」」と思うでしょうが、実際には、通産省(資源エネ庁石油部含む)出身の元竹下派として築いた全国後援会と地元(四日市工業地帯)で、「前年踏襲でご協力ください」と依頼している者が中心。先代から引き継いだ初期のスタッフの一部は県議に転じていますが、岡田さんが採用するようになって以降のスタッフは、9割以上が勤続10年以上。震災NPO事務局長、在外大使館現地採用職員に転じた人もいますが、「超ホワイト企業」。阿吽の呼吸がきく軍団です。

 大混乱の第48回衆院選ですが、私も当然ながら、岡田ネットワークを全面的に支持。その一員として、ふんばっていきます。それこそ、殺されてでも支持者として、まあ別に今回の選挙はたいして危ない選挙ではありませんが、大混乱、大乱世です。1000年先まで日本の未来に、政権交代ある二大政党政治を残すんだ。揺るぎなき信念で、闘ってまいります!今回の選挙は、ちょっと引いた視線も持ちながらね。私と個人的に親しい候補者に申し上げたいのは、無所属・希望の党・立憲民主党とも、前職が確実に議席を維持することに専心させていただきたい。

 それとこれは、思い半分位の私見ですが、殿(岡田さん)が応援演説先に陣中見舞い5万円位包んでいったり、平常時も毎月1万円でも振り込み続ければ、総理はもっと近いと思います。いかんせん、本人がそういうことは絶対しない。長老にアドバイスされてもしない。岡田ネットには、小選挙区当選の経験がない1回生が、私が把握する限り3人以上います。武士は食わねど高楊枝と言いますが、霞を食ってたたかえません。ちょっとだけ、殿にも、君子豹変していただきたい感想も、私個人の半分くらいの思いとして、持ち始めています。

【追記 9日午前7時10分】

 NHKニュースおはよう日本は、岡田ネットワークの設立について、報道しました。トップニュースで「あす公示1000人余り出馬予定」「前日の日本記者クラブ8党首討論会」に続いて、この動きを、7時4分頃に報じました。


[画像]「岡田ネットワーク」を報じる、NHKニュースおはよう日本、2017年10月9日午前7時4分頃、ワンセグ放送画面から宮崎信行がスクリーンショット。

【追記終わり】

(C)2017年、宮崎信行。

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【亀井静香】政界引退を表明 自民党時代に岡田克也さんと取っ組み合い、野党時代は「池田大作が細川・羽田内閣を支配している」とデマ

2017年10月05日 22時06分53秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]政治改革法案をめぐって、とっくみあいになった、亀井静香さん(左)と岡田克也さん(右)、1993年6月15日、自民党本部6階、岡田かつや後援会「岡田克也の歩み」から。

 亀井静香さんが、政界引退を表明しました。

 亀井静香さんは、きょう平成29年2017年10月5日(木)、地元で記者会見し、第48回衆院選(来週火曜日公示)に出馬せず、引退すると表明しました。

 亀井静香さんは、平成4年1993年6月、政治改革法案の廃案を決める臨時総務会に出席。反対する清和会の亀井さんと、廃案を阻止しようとする、自民党羽田派(改革フォーラム21)の1期生、岡田克也さんと取っ組み合いになりました。このときは、亀井さんや小泉純一郎さんらが反対して、政治改革は成就せず。

 解散総選挙で成立した、細川・羽田内閣で、平成6年政治改革4法として、現在まで続く、衆議院での小選挙区比例代表並立制が決定。その通常国会で、野党・自民党の広報本部長として、衆議院予算委員会で、池田大作名誉会長率いる宗教法人・創価学会が、細川・羽田内閣をマインドコントロールしているという趣旨の情報を流し、その後、政権が倒れる火種を起こしました。

 その後、超党派の死刑廃止議員連盟会長として行動していたところ、2002年、最大野党の岡田克也政調会長から、「死刑廃止ではなく、亀井静香さんを死刑にすればいい」と冗談で交わされました。

 2009年には、鳩山由紀夫首相が、日本を代表する政治家になった岡田さんを主要ポストに置く、「岡田克也外相・亀井静香防衛相」内閣を構想。これには、ある関係者から反発があり、亀井さんは内閣府大臣に回りました。

 ◇

 羽田孜先生の四十九日が過ぎないうちに、宿敵・亀井静香さんが引退となりました。

 ところで、岡田克也さんは民進党解党結党後も、民進党に「離党届を出していないし、これからも届を出す考えは毛頭ない」(事務所)としています。10月22日の総選挙後に、民進党の残余財産について、党員として、一定の影響力を発揮することが期待されます。

 この件については、また改めて。

このエントリー記事の本文は以上です。

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岡田克也さん「野党陣営は今、混乱しています。希望の党が、自民党に変わり得 る政党の最終的な姿とは思っていません。短い混乱期を経て、本当の意味 で、自民党に対抗できる野党を立ち上げる」

2017年10月02日 23時35分52秒 | 岡田克也、旅の途中

 岡田克也さんの平成最後の衆院選は、無所属となりました。

 岡田さんは、衆議院解散と民進党解党決定の週から明けた、平成29年2017年10月2日(月)午後、新・三重3区で、無所属と立候補すると発表しました。

 前回衆院選時のネクスト首相は海江田万里さんで、その後を岡田さんが引き継ぎ、首班指名で2位となりました。しかし、次の衆院選よりも前に引きずりおろされてしまいました。

 岡田さんは

 「私は、政権交代可能な政治を目指して、25年以上、その信念を貫いてきました。野党陣営は今、混乱しています。希望の党が、自民党に変わり得る政党の最終的な姿とは思っていません。短い混乱期を経て、本当の意味で、自民党に対抗できる野党を立ち上げる、そのことによって、政権交代可能な政治を実現すること、これが、私の見据える目標です」

 と語りました。

 第48回衆院選は、10月22日(日)の投開票後から、民進党、希望の党、立憲民主党の間で、血で血を洗う、お金をめぐる冒険が起きるのは確実。

 とりあえずは、2019年7月の第25回参院選までの収束をめざすことになりそうです。

 忘れらていますが、2009年政権交代のときの、最大野党幹事長は岡田さんです。この選挙では、幹部はだれも「二大政党」という言葉は使いませんでした。8年経って、二大政党、二大政党という言葉が出てくるだけでも、私にとっては前進です。政権交代ある二大政党の航路は前途洋洋だと考えます。

 

 上の2009年6月28日の私宮崎信行が撮影した動画でもわかる通り、ダメになったらまた政権交代する政治は、当たり前の民主主義です。当時「民主党政権は30年続く」といった国会対策委員長は3年3カ月後に自分が消えました。もう少し長い視野で、二大政党をつくっていく気構えが必要です。

 2017年、宮崎信行。

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【問われるのは有権者の見識】岡田克也、希望の党=3年前の維新の党とバッサリ、「一時的なブームでは政治を変えられない」

2017年09月26日 19時11分01秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]左から、今井雅人、松野頼久、岡田克也、枝野幸男の、各民進党衆議院議員、きょねん2016年2月26日、国会内で筆者・宮崎信行撮影。

 「岡田さんというのはすごい政治家だな」というのは、松野頼久さんの、きょねん3月1日の民進党結党大会での名言です。

 ただ、きょうは、これは岡田克也はすごい政治家だな、と私は感じましたね。

 岡田さんは、きょう、平成29年2017年9月26日、メッセージを発しました。あさって衆議院は解散され、内外情勢不穏な中、第48回衆議院議員総選挙に突入します。

 岡田さんは前日の希望の党結党について、

 「小池新党が、小選挙区で勝てない人たちの駆け込み寺のような存在になりつつありますが、それに対して、国民がどう判断するのか。前回の総選挙の前は、維新の党がブームを起こしましたが、3年足らずで状況は一変しています。一時的なブームでは政治を変えることはできません

 とし、第48回希望の党を、第47回維新の党、になぞらえ、バッサリ。

 というのは、きょねん、岡田克也代表(当時)は、維新の党の松野頼久代表(当時、熊本1区比例)、今井雅人幹事長(当時、岐阜4区比例)と話し合って、「民進党」をつくったからです。松野さん、今井さんがいた「維新の党」を一時的なブームで3年足らずで状況は一変したと切って捨てる。私も長年、発言が過激だの、自分から敵を作っているのだの、言われるんですが、永田町での発言力・影響力はいっこうに下がりません。かつて、2人の有名政治家に胸倉をつかまれました。一人は岡田克也さん(当時副総理)、もう一人は松野頼久さんです。

 まあ、岡田さんとしては、バッサリした方が、子分も身軽だからいいのでしょう。今ごろ、松野頼久国会対策委員長は、歯ぎしりしているかもしれませんが。

 岡田さんは「政権交代可能な政治、それを実現できるのは、地域に根を張り、実績を重ねてきた民進党です。政党側だけではなく、有権者の皆さんの見識も問われていると思います。

 と語りました。

 羽田孜先生が現世を去って、はじめての衆院選。だからなにをどうすればいいのか、私も分かりませんが、なぜか事務的な準備は順調に進んでおります。もうベテランだからね。今回の衆院選に私が立候補することはありません。私が注目するのは、候補者、政党うんぬん。でもそれ以上にとくに問われているのは、有権者の見識。岡田さんがおっしゃるのだから、私も期待してみたいと考えています。四半世紀、「あきらめかけたこと」はあっても、政権交代ある政治を「あきらめたこと」はありませんので、有権者の見識に期待しようと考えています。それでだめなら、どうなるわけでもないです。




[岡田かつやさんのメールマガジンなどの全文引用はじめ]

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      ◇◆かつやNEWS◆◇2017年9月26日号

        編集・発行/衆議院議員岡田克也事務所

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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○岡田かつや「TALK-ABOUT」

○岡田かつやホームページ更新情報

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◆岡田かつや「TALK-ABOUT」http://www.katsuya.net/c/all/talkabout

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○大義なき解散─低投票率となれば与党有利、おごる総理はますます増長

 

安倍総理が、木曜日に国会召集、冒頭解散という方針を明らかにしました。

 

今回の総選挙の結果を左右する、重要な要素は3つだと私は考えています。

 

第1に解散の大義、第2に北朝鮮情勢、そして第3に野党間連携です。第

2、第3ついては、また後日述べたいと思いますが、今日は第1の問題の

重要性を強調したいと思います。

 

地元を回っていて、今回の安倍さんの判断に疑問の声が続出しています。

 

何のための解散か、総理はいろいろ取り繕ってはいますが、加計学園、森

友学園など、安倍政権を取り巻く疑惑に蓋をしてしまうための解散だとい

うことは、多くの国民の皆さんが分かっています。

 

安倍総理は、支持率が急落したことに慌てて、8月3日に記者会見を行い

ました。通常国会における今までの答弁について謝罪したうえで、これか

らは丁寧に説明していくと約束された安倍総理。しかし、その後、野党が

4分の1の議員を持って、憲法53条に基づき、国会の開会を要求したに

もかかわらず、それを開かず。今回、国会を開いたかと思えば、所信表明

や、それに関連する質疑などをすっ飛ばし、いきなり冒頭解散。国民に対

する説明責任を全く果たしてない。丁寧に説明するというのも、謝罪も、

本気ではなかったことは明らかです。解散の理由を総理はいろいろ述べら

れましたが、国会での数日間の質疑すら行わないことの説明には、全くな

っていません。

 

しかも、この選挙で、議席が減らしたとしても、過半数を維持すれば、通

常国会で問題になった様々な問題について、総選挙によってクリアにされ

たと強弁する可能性が強いわけです。

 

安倍政権の不誠実な態度に対して、国民の皆さんはどのように判断される

か、ということが注目されます。政治に失望して投票に行かないとか、諦

めてしまうということになれば、低投票率となり、与党に有利になります。

ここで大きく与党の議席を減らさない限り、おごる安倍総理は、ますます

増長してしまう。

 

何としても野党、とりわけ民進党の議席を増やさなければならない。この

ような国民の声をどれだけ引き出すことができるか。これが、この選挙の

大きな分岐点だと考えています。

 

小池新党が、小選挙区で勝てない人たちの駆け込み寺のような存在になり

つつありますが、それに対して、国民がどう判断するのか。前回の総選挙

の前は、維新の党がブームを起こしましたが、3年足らずで状況は一変し

ています。一時的なブームでは政治を変えることはできません。

 

政権交代可能な政治、それを実現できるのは、地域に根を張り、実績を重

ねてきた民進党です。政党側だけではなく、有権者の皆さんの見識も問わ

れていると思います。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◆岡田かつやホームページ更新情報

---------------------------------

最新情報を更新しております。

 

●岡田かつやホームページはこちら ⇒ http://www.katsuya.net/

 

●活動報告についてはこちら

⇒ http://www.katsuya.net/report/

 

●岡田かつや最新動画はこちら

⇒ https://www.youtube.com/user/KatsuyaOkada

 

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編集・発行/衆議院議員 岡田克也事務所

《国会事務所》

〒100-8981 東京都千代田区永田町2-2-1 衆議院第一議員会館506号室

《地元事務所》〒510-8121 三重県三重郡川越町高松30-1

---------------------------------

※このメールマガジンは、配信のお申込みをいただいた方の他、岡田克也

と名刺交換をさせていただくなど何らかの形で接点のあった皆様に送ら

せていただいています。

*ご意見・ご感想はこちら → webmaster@katsuya.net

*配信停止の際は「件名」欄に「配信停止」とご記入の上ご返信ください。

*掲載内容を故意に歪める形での再配布はご遠慮ください。

◎岡田かつやホームページ → http://www.katsuya.net/

◎岡田克也Facebook → http://www.facebook.com/katsuyaokada

◎岡田克也Twitter  → https://twitter.com/login「岡田克也」検索

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(認証マークがついております。なりすましにはご注意ください)

◎岡田克也メールマガジン「かつやNEWS」のバックナンバー

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Copyright(C)2017 衆議院議員 岡田克也事務所

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[全文引用おわり]

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岡田克也さんが民進党常任顧問続投、公認権を持つ常任幹事会に引き続き出席、任期は、2019年9月まで

2017年09月06日 08時29分39秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]岡田克也・民進党常任顧問、2017年9月5日、民進党ホームページ(YouTube)内動画からスクリーンショット。

 民進党は、きのう、平成29年2017年9月5日(火)、両院議員総会を開きました。

 前原誠司新代表は、人事として、岡田克也常任顧問に、引き続き常任顧問をしてもらうようはかり、満場一致で承認されました。

 両院議員総会長にうながされ、トップバッターであいさつ。岡田さんは「私の記憶では、常任顧問は、両院議員総会での承認人事ではなかったように思いますが、ご指名ですので、みなさんよろしくお願いします」と満面の笑みで語りました。

 先週までの岡田さんは、この10年では、イチバン元気がないように思え、このブログにも「岡田さん 最近見ない」というキーワード検索も来ていました。良かったと思います。

 任期は、前原代表の任期が2019年9月末日までになります。自民党則第80条は「役員の任期は総裁以外はすべて1年間とする」ですが、民進党規約第12条は「役員の任期は代表の任期に従う」とあります。だいたい、人事に不満を言う人に限って、このような規約を読んでいないのですが、兎にも角にも、岡田克也常任顧問の任期は、2019年9月末日までとなります。この間には、第48回衆院選と、第25回参院選は絶対にあるわけです。党の公認権は常任幹事会メンバーで居続けることになります。公認を事前に知るとともに、いちいち、会議には図られませんが、支部交付金などの軍資金の配分に関しても、発言などを通じて、にらみをきかすことになります。

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岡田克也さんきょう誕生日、ハッピー・バース・デイ・ディア・かつや!

2017年07月14日 05時19分45秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]蘇鉄(ソテツ)、東京都千代田区永田町には、首相官邸前庭と国会中庭にソテツがありますが、こちらは国会内のもの、承諾を得て撮影・掲載、2017年、筆者・宮崎信行撮影。

 おめでとうございます。

 筆者が尊敬する、岡田克也さんはきょう、7月14日、誕生日を迎えました。

 インターネットの時代ですから、検索すればすぐわかることを一々書きません。

 この一年の変化としては、あまり新しく書くこともないのですが、岡田さんは民進党常任顧問となりました。これはただ一人の肩書となっており、常任幹事会にも出席しています。このほか、民進党安全保障調査会長や、政治改革の担当者をしています。

 それと、2015年国勢調査を反映した新区割りで、新・三重3区は、少し地域が広がり、岡田さんの地元・中部地区や近鉄四日市駅などが選挙区に入りました。

 7月14日というのは、3年に1回、参院選の投票日前後で、晴れても曇っても、地元、永田町、激戦区のいずれかに居なければならない日。ことしは、国会も閉まっており、穏やかな日となりました。

 一方、筆者・宮崎信行にとっては、前日の午後3時15分頃に、三重県連・芝博一先生といざこざが生じましたが(関連エントリー)、午後3時45分には完全決着。やはり穏やかな日となりました。とはいえ、昨今、北朝鮮情勢、国内経済とも多難なのに煮詰まったようなのに、妙に安定した空気を感じます。嵐の前の静けさともいえるかもしれませんが、岡田さんの2011年冒頭の至言「まあ、なんとかなるものだ」ということで、良くも悪くも変化のときに備えていきたいものです。

 なお、きょうは、古賀篤・自民党衆議院議員も誕生日です。おめでとうございます。

 あらためまして、ハッピー・バース・デイ・ディア・かつや!

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岡田克也さん「本当にひどい国会だった」と安倍自民党を批判するも、蓮舫執行部の対応を高く評価

2017年06月21日 13時27分53秒 | 岡田克也、旅の途中

最大野党、民進党の岡田克也さんは、第193通常国会を、「本当にひどい国会だった」と語り、安倍自民党を批判しました。
安倍首相が森友、加計など「建設的議論からかけ離れた」批判に野党が明け暮れたとしていることについて岡田さんは「共謀罪を審議した法務委員会は、まさしく政策論が中心だった」として蓮舫執行部の国会対応を高く評価しました。
第193国会は、今週日曜日に閉会しました。
これとは別に、会期末に三人区選出の参議院議員が民共候補者調整を批判したことについて、岡田筋は「衆議院小選挙区の闘い方が分かっていない」と語り、スケールの小ささを批判しました。 岡田さんのメルマガなどの媒体での発信は以下の通り。

○国会閉会─本当にひどい国会だったが、民進党の役割は大きかった

通常国会が、延長することなく終わりました。本当にひどい国会だったと
思います。

安倍総理は国会閉会後の記者会見で、「建設的議論という言葉からは大き
く懸け離れた批判の応酬に終始してしまった。国民の皆様に大変申し訳な
く感じております」、あるいは、「深く反省しております」と言われまし
た。

しかし、私から見て、共謀罪について議論した法務委員会などは、まさし
く政策論が中心だったと思います。一般市民に適用される可能性はないの
か、「組織的犯罪集団」の定義は何なのか、といった基本的な質問につい
ても、金田大臣は答えられませんでした。

人権を侵害する可能性がある法案だからこそ、しっかりとした答弁を求め
たのですが、残念ながら、有意義な議論にならなかった。その責任は、政
府側にあるという認識に欠けていると思います。

また、安倍総理は、国家戦略特区をめぐる文部科学省の文書について、
「二転三転した形となり、長い時間が掛かることになったが、政府への不
信を招いたことは、率直に認めなければならない」とし、「何か指摘があ
ればその都度、真摯に説明責任を果たしていく」と明言されました。

しかし、まず、文書の存在を否定した最初のいい加減な調査結果に対して、
前事務次官だけではなく、文科省の中からも「文書は存在した」という声
が上がり、取り繕うことができなくなって、慌てて再調査し、事実を認め
たというのが現実ではないでしょうか。

そして、文科省と内閣府で見解が異なっていることが明確になりました。
本当に説明責任を果たしていくというのであれば、もう一度、内閣府で調
査を行うことこそが、説明責任を果たすことになるはずです。口では責任
を果たすと言いながら、現実には、国会を閉じ、証人喚問も行わず、予算
委員会の集中審議も行わず、時間が経てば国民は忘れると思っているとし
か思えない。非常に残念なことです。

国会は閉会中ですが、今後、森友問題、加計問題、そして共謀罪について、
しっかりと問題を指摘し、引き続き事実を明らかにする努力を続けなけれ
ばならない、改めてそう感じています。

なお、安倍総理は、「今国会では、60本以上の法案が成立した」と述べ
られました。正確に言いますと、この国会で成立した法案は67本。そし
て、その中の78%にあたる58本は、熟議の上、民進党も賛成し、成立
しています。

成立した法案の中には、天皇陛下の退位に関する法律もあります。まさし
くこれは、国会の中で、衆参議長・副議長が中心になって、与野党の枠を
超えて成し遂げられたもので、国会の歴史に残る偉業だと思います。

そういう意味では、この国会は、様々な問題について政府が説明責任を果
たさず、解決されないまま残された、ひどい国会だっただけではなく、や
るべきことはかなりなされた。その中において、民進党の役割は大きかっ
たということを、ぜひ皆さんにもご理解いただきたいと思います。

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