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根木勢介さんの「龍馬十景」 ⑨ 長崎・・・頭の中の地図と樟脳

2010-08-08 | 高知市中地域の見所・観光案内
龍馬十景 ⑨ 長崎・・・頭の中の地図と樟脳        

                                   根木 勢介




 三菱創始者岩崎弥太郎の家の庭には、今も石組みの日本地図がある。 伝承では、幼少の頃弥太郎が作ったとされる。

日本で初めて総合商社の原型を作った龍馬と、それを発展させた弥太郎、彼らの頭の中には、どんな地図があったのだろうか。

海援隊約規では、「海外に志あるもの」が入隊できることになっており、海外雄飛しようとした龍馬の頭の中には、世界地図があったのだろう。



 鎖国下の日本の、世界への唯一の門は長崎である。 江戸時代の三大輸出品目は、金・銀・樟脳。 輸出品は長崎の出島よりオランダ帰国船で輸出された。 

江戸時代ほぼ樟脳生産を独占してきた薩摩藩では、樟脳で大きな利益をあげた。 利益率が低下してきた安政五年(1859年・日米修好通商条約調印の年)でも、樟脳だけで年間二千両の利益をあげたといわれる。


 薩摩が幕末まで独占してきた樟脳市場に、新規参入したのが土佐藩。 土佐式樟脳生産方式を開発し、土佐藩の外貨獲得の重要な商品となった。 

慶応三年(1867年)長崎から出航した土佐藩の藩船夕顔丸で、龍馬は船中八策をまとめたが、その夕顔丸も樟脳で購入したといわれる。


 樟脳貿易で龍馬たち維新の志士を支えた「土佐商会」の弥太郎。 時代が下がるが、岩崎の三菱を売上げで一時抜いた神戸の総合商社鈴木商店も台湾での樟脳生産が土台となったとされる。 

その鈴木商店を陣頭指揮したのが、土佐出身の番頭金子直吉。 商社経営史に残る、龍馬・弥太郎・直吉と土佐人三人がいずれも樟脳と関わっているのは興味深い。

龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.164 より転載


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