Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

北海の白熊(北天佑)

2012-08-13 15:58:03 | 他スポーツ
今は亡き、元大関北天佑の思い出です。北天佑が40代の若さで死んだのは私のような相撲のオールドファンにはショッキングな出来事で、先日亡くなった隆の里も含め、少年時代の憧れが消えた衝撃があります。

北天佑は若いうちから大器と呼ばれ、豪快な投げを得意にしたダイナミックな力士で、大関までは一気に上りました。その大関は44場所在位して、現在でも史上4位の記録ですが、上位に上がってきたころの期待は横綱だったので、物足りなさも残した力士でした。

北天佑の大関在位は長かったですが、どうしても朝潮戦の疑惑の相撲が印象に残ってしまいます。当時、北天佑は前日に千代の富士に土をつける頑張りを見せていたのですが、千秋楽の対戦相手がかど番の7勝7敗の朝潮だったことは、北天佑にとっては勝てば相手を引退に追い込む土俵というのは気持ちが入らなかったのかもしれません。

たぶん、映像で当時の相撲を見るのは不可能でしょうが、大相撲に八百長があるとすればあの一番と一番最初に思い出す相撲です。八百長で相撲界が揺れた昨年、八百長相撲は筋書きが決まっていて、ここでこういう技を出すということまで当事者間で話し合っておくそうでした。

この朝潮-北天佑戦は明らかに北天佑に気力がなく、朝潮の方もばたついていたのに結果は朝潮が勝ち、勝ち越してかど番を脱出して「これで現役続行できる」と朝潮は翌日のインタビューで答えていました。たぶん、この取組のことは当事者の北天佑が既にこの世にいない以上、明るみに出ることはないでしょう。

もっとも、朝潮も4勝11敗、8勝7敗、4勝11敗、8勝7敗という成績で4場所持ちこたえたのはさすがにひんしゅくだったようで、後援会から「見苦しい」と言われて翌場所初日から3連敗したら引退しましたが。

北天佑の土俵でこれが一番思い出せるというのは残念ではあるのですが、それでも44場所大関を守ったことは価値があります。魁皇、千代大海が記録を塗り替えましたが、北天佑も若くして昇進したからこその記録です。優勝もしましたし、一時代を支えた大関だったと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ベネズエラ戦プレビュー | トップ | 自前組織(8/13U-20日本対カナダ) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

他スポーツ」カテゴリの最新記事