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親方衆の現役時代

2015-10-04 20:11:57 | 他スポーツ
大相撲秋場所、現役力士の写真は紹介しましたが、勝負審判やファンサービスで表に出てくる、親方衆の写真を撮ることも楽しみにしています。記事一本が書けるほど覚えている力士は少なくなりましたが、ちょっとしたことは覚えているので、それぞれ紹介します。



元横綱、旭富士の伊勢ケ浜親方です。横綱としては、在位8場所と短命に終わりましたが、大横綱千代の富士がいた時代を連続優勝で勝ち抜いた力士でした。相撲ぶりは「柔らかい相撲」と評された、相手の力を逃がして取る、相撲巧者でした。解説としては毒舌で向かないとされましたが、横綱日馬富士、大関照ノ富士を弟子に持つ、親方としては最も成功している人物です。



元関脇寺尾の錣山親方です。突っ張りの寺尾と呼ばれた回転の速い突き押しで一時代を作りました。当時、最強を誇っていた、横綱貴乃花から2度の金星を奪った、タイミングのよい引きを持っていました。旭天鵬に更新されるまで、最多敗戦記録を持っていました。もちろん、必然的に黒星が多くなる、前頭上位を多く経験したからこその記録です。



元関脇水戸泉の、錦戸親方です。アメリカ巡業で「ソルトシェーカー(大塩撒き)」と異名を取ったほどの、塩撒きパフォーマンスが有名な力士でした。相撲は引っ張り込んで肩越しの上手という、身体能力で取る若手のような相撲を、ベテランになっても取っていた不器用な力士でしたが、平幕優勝も果たすなど活躍した力士です。



元大関武双山の藤島親方です。元学生横綱の元祖「平成の怪物」で、当時は幕下付け出しは60枚目(一番下)でしたが、そこから連続優勝の14連勝で十両に上がり、十両も圧倒的な強さで通過して将来を嘱望されていました。もっとも、大関では負傷に苦しみ、足の指が上に反り返って足袋で強引に矯正しないと相撲が取れないというハンデを抱え、あまり強かった大関というイメージではないです。



元関脇旭天鵬の大島親方です。彼については先場所の総括記事で書いたので省略します。



元小結豊真将です。負傷が多く、何度も十両に陥落しながら不死鳥のように這い上がってきました。稽古熱心で、師匠の錣山親方(元関脇寺尾)が「弟子ながら誇りに思う」と異例のコメントを残したほどです。仕切りの所作の美しさでも知られた名力士でしたが、最後は負傷に泣き、最終番付は幕下でした。



元小結智乃花の、玉垣親方です。愛称は「先生」で、高校の先生を辞めて27歳で立浪部屋に入門した遅いデビューでした。舞の海の先輩で、舞の海の技の師匠として知られた力士です。彼の相撲は、上体の力で後ろに反る「居反り」で勝った一番が印象的です。

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