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高木俊幸の記憶

2020-05-16 15:37:10 | 浦和レッズ
2015年から2017年まで浦和に在籍した、FW高木俊幸選手(現C大阪)の記憶を書きます。高木俊幸は父親が元大洋ホエールズの内野手高木豊氏で、弟二人もプロサッカー選手というスポーツ一家に育ちます。豊氏からは「野球でもサッカーでもいいから打ち込んでくれればいいんだ」と言われており、プロ選手としての心構えは豊氏から学んだと話しています。

高木はユース時代を過ごした東京Vでプロになりますが、ブレイクしたのは移籍した清水時代です。スピード型のウイングタイプの高木俊幸は、清水を率いていたゴトビ監督が3トップの左FWという位置で起用するとここにうまくはまります。点も取れて突破もできる、ウイングとして求められる条件をすべて持っていました。

浦和移籍は2015年です。当時、浦和を率いていたミシャ監督は、高木俊幸に2シャドーの一角を期待していました。ミシャサッカーのシャドーは求められる役割が多く、本来の役割であるシャドーでキープするだけでなく、飛び出して行って点に絡むことや、守備のときにボランチのラインまで降りて守備をするなどを求められました。

最初の1年目は途中出場が多くフル稼働はできませんでしたが、2年目のシーズンが自身2度目のブレイクになります。当時、1トップの興梠がリオデジャネイロ五輪にオーバーエイジで出場するため、浦和の試合を欠場した時期がありました。この時期に、攻撃のポジションが1つ空くチャンスにうまく入り込みました。当時、浦和のシャドーに定着していた武藤雄樹が持っていた、守備にも戻れる動きを習得したのが大きく、その年のルヴァン杯優勝に大きく貢献します。

しかし、翌2017年はキャンプで足の指を骨折する負傷で出遅れ、さらにはミシャが解任されて4-1-4-1の布陣を旗印にする堀監督が就任した逆風も吹きました。堀監督時代のサイドのウイングは武藤雄樹とラファエル・シルバが固定され、高木俊幸はACLの川崎戦で決勝点を決める活躍はしたものの大きく出番を減らすことになりました。

2018年にC大阪に移籍してからは、4-4-2のサイドハーフとして出番を得ています。彼も28歳となり、ベテランの域に近づいていますが、サイドプレーヤーという長所が生きるC大阪にいるので、その良さをこれからも出して行って欲しいものです。


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