Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

急造四股名(貴ノ浪)

2013-05-17 07:27:31 | 他スポーツ
五月場所は場所中に祝日がないので、土日の5日間以外は相撲を追えないのは残念です。私の応援する栃ノ心も常幸龍も5戦全敗ですが、なぜ勝てないかもわからないのはもどかしいです。そのため、困ったときは昔の力士を取り上げます。同世代の力士、元大関貴ノ浪の音羽山親方です。

貴ノ浪は幕下時代、本名の浪岡で取っていました。十両昇進は番付運が良かった予想外の昇進で、昇進を想定しておらず急遽つけた四股名が本名から一字取った貴ノ浪です。幕内に上がったら変えると思っていましたが、出世が早く22歳で大関になったので、急造四股名をそのまま大関の名前にしました。

貴ノ浪は足の長い長身力士で、相撲はあまりうまくなかったですが、その身体能力で勝っていました。肩越しでも何でも上手を引けば勝てた力士で、はりま投げ、河津掛けのような大型力士でなければできない決まり手で勝つこともありました。

貴ノ浪の持つ記録は武蔵丸との最多対戦記録です。正確な数字は忘れましたが60回以上は対戦したはずで、本人はこの記録を「勲章」と誇っていました。こんな記録ができた理由は、貴ノ浪と武蔵丸が新入幕が同時で、大関に昇進したのも近い時期と、よく似た成長曲線をたどったからです。

晩年は大関を陥落して、平幕で取っていた貴ノ浪にとってはこの記録がモチベーションで、武蔵丸と当たる地位を守ろうと懸命の土俵を務めました。貴ノ浪の時期は元大関貴ノ花の二子山親方の下から名力士が次々育った時期で、安芸乃島、貴闘力、若乃花、貴乃花と揃って上位を占めました。

彼らの稽古量は一日100番をこなすほどの多さで、これだけ上位力士を輩出した当時の二子山部屋は活気がありました。親方が「もっと稽古量を抑えろ」という異例の指示を送るほどでした。貴ノ浪も、そんな時代の牽引役でした。

印象に残っているのは晩年で、大関陥落から10勝で大関復帰を果たし、「使者も祝賀会もない大関昇進」を達成したことです。確か8勝5敗から残り2日間を連勝して達成した10番で、気力をぎりぎりまで振り絞ってやっとの思いでの大関復帰は、親方になったときにきっと役に立つと思いました。

貴ノ浪は今は貴乃花部屋の部屋付き親方、音羽山親方です。一時病気を患い、気にしていましたが、後進の育成に全力を注いで欲しいと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Jリーグ開幕の日 | トップ | 月間MVP(中村俊輔) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

他スポーツ」カテゴリの最新記事