
今季から西武ライオンズを率いている、西口文也監督の現役時代の記憶です。西口は入団時にちょっとした不運がありました。当時、逆指名ドラフトという制度があり、ドラフト上位指名が確実な選手は希望球団を提出することができました。しかし、この届の期限が、「所属チームの全公式戦が終了してから」でした。
当時、西口が所属していた立正大が、東都六大学野球の入れ替え戦に出場することになり、その入れ替え戦が終わったのがドラフトの二日前でした。これからではとてもプロ球団との話し合いは間に合わないと覚悟した西口は「12球団OK」と届けを提出せざるを得ませんでした。結果的には西武ライオンズからのドラフト3位指名となります。
しかし、この結果は西口にとっては良かったと思います。西武ライオンズが、ちょうど森監督時代の主力選手たちを世代交代させて、次の時代を担う選手を探していた時期だったからです。西口は二年目のシーズンからローテーション投手になり、右からサイドハンド気味に投げるフォームで安定して先発で投げることができました。
当時、西口のように毎年二桁勝利ができる投手はあまりいなかったこともあって、のちにメジャーリーグに行く上原も「尊敬できる投手は西口さん」と言っていたほどです。怪しくなってきた記憶をたどると、ストレートの球速はそれほど速くなかったですが、アウトコースを出し入れできるスライダーの切れが絶品でした。
昨日、西武ドームのオーロラビジョンで紹介されていた西口の記録に、2500投球回があります。これはライオンズでは東尾と稲尾しか達成していない記録で、それだけ西口が安定して先発で投げ、42歳まで現役を続けたからこその記録です。当時はまだメジャーリーグにFAで移籍する時代ではなかったですが、西口は西武にいたからこそ良くしてもらえたでしょう。
現役の最後の方はストレートの球速は130km台まで落ちていましたが、それでも中継ぎになってでも現役続行にこだわり、引退後は指導者として二軍監督も務めました。次期監督候補ではありましたが、昨年大きく負け越したチームを率いるのはちょっと覚悟も要ったかもしれません。何か、西武ライオンズというチームが西口監督になって変わったと、ファンに思わせて欲しいものです。
当時、西口が所属していた立正大が、東都六大学野球の入れ替え戦に出場することになり、その入れ替え戦が終わったのがドラフトの二日前でした。これからではとてもプロ球団との話し合いは間に合わないと覚悟した西口は「12球団OK」と届けを提出せざるを得ませんでした。結果的には西武ライオンズからのドラフト3位指名となります。
しかし、この結果は西口にとっては良かったと思います。西武ライオンズが、ちょうど森監督時代の主力選手たちを世代交代させて、次の時代を担う選手を探していた時期だったからです。西口は二年目のシーズンからローテーション投手になり、右からサイドハンド気味に投げるフォームで安定して先発で投げることができました。
当時、西口のように毎年二桁勝利ができる投手はあまりいなかったこともあって、のちにメジャーリーグに行く上原も「尊敬できる投手は西口さん」と言っていたほどです。怪しくなってきた記憶をたどると、ストレートの球速はそれほど速くなかったですが、アウトコースを出し入れできるスライダーの切れが絶品でした。
昨日、西武ドームのオーロラビジョンで紹介されていた西口の記録に、2500投球回があります。これはライオンズでは東尾と稲尾しか達成していない記録で、それだけ西口が安定して先発で投げ、42歳まで現役を続けたからこその記録です。当時はまだメジャーリーグにFAで移籍する時代ではなかったですが、西口は西武にいたからこそ良くしてもらえたでしょう。
現役の最後の方はストレートの球速は130km台まで落ちていましたが、それでも中継ぎになってでも現役続行にこだわり、引退後は指導者として二軍監督も務めました。次期監督候補ではありましたが、昨年大きく負け越したチームを率いるのはちょっと覚悟も要ったかもしれません。何か、西武ライオンズというチームが西口監督になって変わったと、ファンに思わせて欲しいものです。
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