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忘れ得ぬ大横綱(千代の富士)

2015-06-04 18:30:19 | 他スポーツ
先日、元横綱千代の富士の九重親方が、赤い綱を締めて還暦土俵入りをしました。露払いに日馬富士、太刀持ちに白鵬という現役横綱を従えての土俵入りは、千代の富士の現役時代の偉大さゆえです。千代の富士は、さすがに現役時代ほどの筋肉はないですが、今でも鍛えているようで、60歳にしては驚異的な筋肉量です。

千代の富士は、筋肉質で太りにくい体という、相撲界ではハンデになる体質でした。若い頃の千代の富士は、「身のほどを知らない相撲を取る」と言われたほど、自分よりはるかに大きい力士を振り回すような投げで仕留めようとしました。千代の富士が悩まされる、肩の脱臼癖はこの相撲が原因と言われています。

脱臼対策として、手術は当時の技術では全治一年と言われた千代の富士は、肩を外れにくくするために、激しい筋力トレーニングをすることにしました。あの筋肉は、脱臼対策だったのです。相撲も投げ主体を避け、左前みつを引いての速攻に切り替えて、大関、横綱と駆け上がっていきました。

千代の富士は1981年に25歳で横綱に昇進して、1991年に35歳で引退するまで、長く横綱を務めました。通算勝利1045勝、優勝回数31回は、当時は神の領域と思えたほどです。通算勝利は魁皇が、優勝回数は白鵬が破っていますが、私の中で最強は千代の富士というイメージは変わっていません。

思い出す一番は、寺尾に対して相手の突っ張りに怒り、後ろに回って吊り上げ、土俵に叩きつけた「吊り落とし」と、大乃国を上手投げで破って14日目に優勝を決めながら、その一番で肩を脱臼して、肩をテーピングで止めた状態で優勝賜杯を受け取った場所です。

千代の富士は、思い出す相撲は激しい相撲ですが、実は引き技で拾った白星も結構ありました。軽量だった千代の富士は、重い力士の突っ張りをまともに食うと後退することも何度もありましたが、彼は土俵の広さの感覚を常に把握しており、ギリギリではたいたように見える一番も、実は計算通りだったように思えます。

千代の富士は、1991年の夏場所の初日に貴花田と対戦しました。千代の富士35歳、貴花田18歳という年齢を考えると、対戦が実現したのは奇跡的でした。その一番で千代の富士は左上手を引けず完敗して、その場所限りで引退しました。最後までドラマ性のあった、生涯忘れない横綱です。
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