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走りのセンス(北澤豪)

2009-03-02 18:54:58 | 他チーム
残念ながら、当時の岡田監督に直前で外されて、1998年フランスW杯出場はなりませんでしたが、その前年のW杯最終予選で途中から招集されて、キーマンとして日本代表をW杯に導いた功労者、北澤豪さんの思い出です。

北澤は、世の中がJリーグブームで熱狂していた時代に、当時圧倒的な戦力を誇っていたV川崎に在籍していました。当時から目立つ長髪で、華やかなイメージがありましたが、実際の北澤はプレースタイルという意味では非常に地味な選手でした。

当時のV川崎には、ラモス、ビスマルクとゲームメーカータイプが2枚いました。そのため、北澤の役割はどうしても彼らのために地味に働く、つなぎ役でした。たまには思い切ったミドルシュートで見せることもありましたが、他チームサポの私が覚えているのは、カシマスタジアムで、屋根の上に大きくふかしたシュートくらいです。

しかし、そんな北澤は、スペースを見つけ出し、その位置に正確に走り込むセンスに優れた選手でした。攻撃が手詰まりと思っていたであろう、岡田監督がホームのUAE戦の前に追加招集しました。私はこのUAE戦を見ていましたが、確かに日本がボールを前の方で回そうという意図は強く感じ、その中心に北澤がいました。

当時の中盤は、北澤をトップ下に置き、右に中田、左に名波、ボランチに山口という布陣でした。そのため、どうしてもボランチの位置は薄くなるのですが、北澤が下がってカバーしている場面は何度か見られました。

その結果、このUAE戦は呂比須のゴールで先制して、試合を優位に運んだのですが、相手のFK一発で同点に追いつかれ、試合としては結果を出せませんでした。その結果、怒ったサポが中継車に登ってパイプ椅子を投げるという暴動に発展してしまいました。

これで、アウェイの韓国戦は勝利が絶対条件になってしまいましたが、北澤はこの韓国戦でも活躍しました。当時の韓国は、中盤から前の選手にガチガチのマンツーマンをつけてくるチームでした。こういう相手には北澤のように、他のポジションと入れ替われる選手はマークしにくかったようです。

サイドをうまく崩した日本は、韓国に2-0で勝ち、フランス行きをぐっと引き寄せました。今、当時の予選の映像で放送されるのは、岡野のVゴールの場面ばかりですが、北澤もちゃんと効いていたことは、今でも覚えています。
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