内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(十六)

2014-06-11 00:00:00 | 哲学

2. 1 歴史的生命の論理の中へ〈種〉概念を導入することに伴う困難(4)

社会とは歴史的生産様式である。作られたものが作るものを離れない生物的生命に於ては、生産者は消費者である。併し作られたものが客観的な物として作るものを作る社会に於ては、その間に社会的形式といふものが入つて来る。生産も消費も之によるのである。社会といふものは、その成立の根柢に於て、既に弁証法的でなければならない。単なる民族的発展ではない。社会は単に家族の広げられたものではない。そこには歴史的形成作用が働かねばならない(全集第八巻一八四-一八五頁)。

 何が民族から社会への飛躍的進化を可能にしているのだろうか。種としての民族の発展は、或る一つの種に固有な枠組みを超え出るものではない。その発展過程は、或る種を他の種から区別し、それらに対立させ、それらと闘争状態に置く諸価値の伝承によって、その種の同一性を確保することから成っている。「種は個性的現実を媒介として相対し相争ふのである。個性的現実を媒介として民族と民族とが相対し相争ふことによって民族が民族となるのである」(同巻一九四頁)。
 それに対して、社会の生成は、何らかの民族的な慣習に還元不可能な規範的形式の創造によって成立するものである。この規範的形式は、或る特定の民族的種の次元を超え出て、複数の種を内包することができる。この社会という次元においては、進化する形式が形成され、その形式の中では、人間の諸々の行動が、生命の対象化されかつ対象化する「形」において表現される。この対象化されかつ対象化する「形」は、或る社会のすべての構成要素にとって現実的有効性を有ち、その有効性は諸構成要素の相異なった起源によって左右されない。
 この「形」は、その下では対象として作られたものがそれを作るものを現実的に限定するという点において弁証法的である。この「形」は、作られたものと作るものとの間の相互表現形式である。つまり、作られたものは、作られたものに働きかける行動の様式に或る一定の仕方で対応する面において現れる。社会という表現形式においては、作られたものと作るものとは、対象化されかつ対象化するように、互いに他を表現し合う。社会はまた生産様式でもあり、内側から弁証法的にその社会そのものを進化させうる新しい形がそこに生み出される。さらに、一つの社会は、創造の形式を限定する既存の諸形式の構成形態を出発点として、或る特定の歴史を形成する。そのようにして、一つの社会は、現に実在している諸社会がそれに他ならない進化する歴史的種の多様性から成る普遍的歴史の構成要素の一つとなる。