いつものように散歩して、いつものように新聞読んで、いつものように…。
歩きながら思いました。
(こんな当たり前の私がなんでこんなところにいるんだろう?)
こんなところとは、今の役職のことですが、学歴もお金も体力も〇〇欲も、人並みどころかあまり無いのに…。
読書断ちをして思うことがありました。
もう長い間の習慣になっているのでそれは無理、ということです。
先週は、その反動で乱暴なくらい読みふけってしまいました。
私にとっては日常的に本を読むことが“当たり前”になっているんですね。
普通のこと、ありふれていることを“当たり前”といいます。
私は、ほんとうに“当たり前”の人間なんです。
でもきっと“当たり前”には“当たり前”の強さがあるんでしょうね。
30年前から、職場へ機関紙配りに出るために始業30分前に出社する習慣がつきました。
出張する日もそれは変わらず、ひたすら愚直に早出しました。
25年前に執行委員長になったときから複数の新聞を毎朝読む習慣がつきました。
連合へ来てから新聞の種類は倍の8紙になりましたが、早出の習慣に助けられて充実した朝を過ごしています。
“当たり前”の私は“当たり前”しかできないが、それでいいんだよね、と、思いながら歩きました。
きっと皆さんにも皆さんなりの“当たり前”があるはずです。
それを大切にしてゆっくり歩いていきましょう。
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