みんなKK

家族のイニシャルが4人ともKKです。今もたぶんこれからもずっと・・

痛飲日記

2017-06-29 | Weblog
同僚と軽く一杯行こうということになり、二人で定時に退勤し、6時から焼鳥屋のカウンター。なんて立ってこの暑さ。ビールも吸い込まれていきます。(ここまではよかった)以前ボトルキープしたあった焼酎が残っていたのです。しかも瓶の4割弱しか飲んでいない。それを二人で炭酸割してやっつけてしまったんです。(これがまずかった)9時には終えて家に歩いて帰ったのですが、家で何を話したか覚えていないんです。同僚もどうやら同じだったようで奥様から厳しく説諭されたとか。おかげで今日は体中だるかったぁ~。心底反省しました。
シャガ

汝何の為に其処に在り也(なんじなんのためにそこにありや)

2017-06-27 | Weblog
 あなたは何のためにここにいるのですか。職場で、家庭で、答えを考えてみるのです。

 私たちの植えたチンゲン菜。虫も食べます。私達も食べます。食べるまでに、お~大きくなってきたな、と成長を見に畑に出かけます。雨に感謝します。チンゲン菜だって、生き物たちを喜ばせるために生きているんだなあ。
(チンゲン菜は腐葉土にまけば全く肥料いらずです。炒め物、煮びたし、スープやみそ汁の具、そのままでも食べられます。万能です。)
 
 今の私の答えは「喜んでもらうため。」その力が十分ではない。待っている人のためにやるしかない。幸せなことだと思っています。

沁み言24

2017-06-26 | 沁み言
 (夕べ思ったこと)
 地味で、不器用で、後ろのほうにいる。一歩一歩を大事に積み重ねて歩く。まず自分の健康を大事にして、だれかのために時間を使うことを厭わない。梅干しのおにぎりをかじり、コメ一粒を味わって感謝しながら頂く。腹を満たさず、六分で良しとする。笑顔でいようと心する。
 (そしたらこんないい言葉と出会えました)

「自分で自分のことなんか心配しないけど、心配で守られてるかも、とは思うよ。誰から心配しているから、安全に登らなきゃって思うよ。」(三歩)
イワカガミ

帝釈山(2060m)・田代山(1928m)

2017-06-25 | そうだ!山いこう
 初めて職場の「山の会」に参加させてもらいました。今回は4人で檜枝岐村の帝釈山から田代山までの縦走です。9:00登坂開始。

 今帝釈山は「オサバ草まつり」をやっていまして、駐車場にはすでに30台ほどの車両がありました。
これがオサバ草
 なんと!わずか1時間弱で帝釈山頂上。(駐車場がやたら標高が高いところにあるためです。故に人気の山)

 休憩して、ここから1時間半。頂上が平らな湿原になっているプリン山こと、田代山へ。残雪あり、梯子あり、息が弾みました。

 ここでお昼。Iくんは持参の缶ビール、Oさんはラーメンをすすり、多くの人々が視界こそよいとは言えない山頂で思い思いのご飯を愉しみました。ワタスゲ、イワカガミ、タテヤマリンドウ、ヒメシャクナゲ、チングルマが美しく高原の風に揺れていました。

 遠くにはまだ雪を抱いた会津駒ヶ岳や燧ヶ岳。近いうちに行ってきます。
会津駒ヶ岳
 3時に檜枝岐の宿「翌檜(あすなろ)」に着。燧の湯(村の公共浴場)で汗を流し、宿に戻り、中庭で食事前の一杯。(これが見事に冷えており皆で懇親を深めました)
 


沁み言23

2017-06-21 | 沁み言
 夏至、日の出4:16、日の入19:03。だれもいない畦道を歩いていくと気持ちがいい。田畑も畦道も人々が時間をかけてつくった風景です。一番長い一日を、生かしてもらえ、未だ「足を知らぬ」自分。風の果て。

 いい言葉に出会いました。ここで多くは語りますまい。お気に止めていただけましたら、探ってみてください。

沁み言22

2017-06-20 | 沁み言
 車で踏切を渡るとき、先に着いていたのに待っていてくださる。お互い通りすがりだけど、深々と頭を垂れる。そして次は私も待たせていただこうと思う。思いやりのリレーっていいなあ。

 朝起きたら、体がとてもだるかった。「休みの日に動いてばかりいるから。」と言われ、頷いたものの、ゆっくりするって気分的なものが大きいわけだから、体と相談しながら納得する過ごし方がいいんだよ、とメタ認知。
こういう花に逢いたいでしょう。

甲子山(1549m)

2017-06-18 | そうだ!山いこう
 一昨年の秋以来、新緑の中をさあいこう。大黒屋駐車場にある登山届をだして、こんな素敵な宿に泊まってみたいものだ、と横目で見ながら11:00~。日記に登坂記録があり、約2時間弱の予定。

 お風呂です。秘湯の宿、降りてきて入れたらいいなあ、とこれまた横目で見ながら・・。昨夜は宴会だったせいもあり、異常な発汗。でも登山はじんわりと汗をかきます。いつもながら最初の30分はゆっくり歩いても、キツイなあ。これを過ぎるといい感じになります。

 何十年も生きているであろう、ブナやヒノキの巨木には、畏敬の念が湧いてきます。自分はちょっとの風に揺れてしまって、まだまだだなあ。

 予定通り1時間40分で山頂へ。ガスがかかり雄大な旭岳が見えませんでしたが、それはそれでいいのです。1杯コーヒーを入れて、ゆっくりいただきました。(日帰り入浴は終わっていました。次回ぜひ!)ジムによって、犬の散歩(2回目)をして万歩計は20㎞。(そんなに歩いたかな~)

今週のサラメシ

2017-06-16 | 
 今週はほとんど自宅で昼食をとりました。弁当はいらない、といえばあとは自分でお昼分を用意します。(昼は軽くてよいので、納豆と豆腐でもいいのですが、自宅が農家なのでこの時期の自家野菜と卵焼きくらい)箱膳でいただいています。蓋はお盆と食卓代わりになり、味があるなあ、と自己満足の世界。収納の幅をとるので、その点では不評ですが、単身赴任ならこれで足りるかも・・。(おちょことお銚子含)

優しさから思いやりへ

2017-06-15 | 沁み言
(ちょっと長いですが)
「駅の階段を重い荷物もって上がっているおばあさんがいました。周囲にはあなたしかいません。どうしますか。」「荷物を持ってあげます。」「その時どのように声をかけますか。」「荷物、持ちましょうか。」「ではホームに到着した後、荷物をおばあさんに返したとき、おばあさんからお礼も言われずに、さも当然、という感じで荷物を受け取られたらどう思いますか。」「いやな気持になります。」「そうですね。ただそれでは、あなたの行為は『やさしさ』止まりなのです。」「では『おもいやり』とはどのようなものでしょうか。あなたの『やさしさ』に基づく行為と『思いやり』の違いは何でしょうか。」
 それは、あなたの視点を置く位置にあります。あなたはおばあさんに対して「荷物を持ってあげるよ。」という気持ちではありませんでしたか。その証拠に「荷物を持ちましょうか。」と声をかけています。これは「持ってあげます。」という上からの目線の気持ちがどこかに含まれています。これでは『優しさ』の域から出ていません。だからこそ荷物を返す時におばあさんから「ありがとう。」の言葉を期待して、それがないと少し不快な気持ちになってしまうわけです。
 『思いやり』とは下から目線で、人として当然の行為として、「荷物を持たせていただきます。」という気持ちでおばあさんに声をかけることです。そうであれば、荷物を返す時にお礼に言葉は決して期待していないということになります。

(おばあさんの行為の是非ではないのです。自分の目線をどこに置くのか、が大切。人に気づかれないよう手を差しのべることが本当のやさしさ、と思っていました。目の前に相手がいた場合は,こうありたい、という心を教えてもらいました。)~京都三千院住職~(引用)