みんなKK

家族のイニシャルが4人ともKKです。今もたぶんこれからもずっと・・

復興へ2

2011-03-31 | Weblog
・K2の妹は被災地の役場勤務、故に今避難所で住民と共にいます。K2とK4が会いに行きました。避難所にはたくさんの支援物資が届きますが、住民の数と照会したとき一人ひとりに行き渡らないことも多く、感情的な奪い合いこそ無かれ、早い者勝ちになること。物資もお菓子、菓子パンやおにぎりなどが多く、暖かい汁物などは毎食出るわけではないこと。野菜不足や運動不足は身体だけではなく精神的不安要素となることなど、「がんばっている」渦中にある皆さんの姿を聞いてきました。平静、平凡な日常の有り難さを感じている義妹はまた、避難所へ戻って行きました。
・K1の居住地域では昨日は0.30~0.40msv/h(平常値0.04)でした。この数値は1時間屋外で衣服を身につけずに浴びる放射線量ですから、現実はもっと少なくなります。私たちは鈍感ではありませんが敏感すぎてもいないのです。散歩、運動、家庭菜園の野菜も食べます。都市部では売っていないらしい地元産の納豆は毎日買えます。原発事故後に大豆を収穫しているわけではありません。大豆を煮る水の摂取規制はありません。正しい情報を得ること、情報を取捨選択して納得して行動すればよいと思っています。
・ラジオ福島のwebsite  http://www.rfc.co.jp/  Ustreamから3月21日「放射線と私たちの健康との関係」講演会パート1、パート2を聞いてみてください。(時間がなければパート2だけでも)長崎大学の山下先生の講演会(3/30は白河市でも行われました)です。私が学んできた被災前の知識を更に深く広く納得できた点で正しい情報だと思っています。
・何人かの先生方は3/31で退職されます。別れの時です。お別れの式もなく勤務を終えられることを寂しく思います。
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復興へ1

2011-03-28 | Weblog
 今朝も余震が2回ありました。更に週末から今日までは朝が冷え込む日々が続いています。K1の妹は役場にいるのですが、農作物への制限がかかってからは、町内の農家の方が持ってきてくださる野菜、果物は調理や食事に使えない。避難所の食事も給食のようになってきたとのこと。(なぜ流通しない野菜を食べさせるのか、という意見がありますから)この辺りは難しいですね。
 町内の道路で陥没しているところには砂利が引かれ車が通り度に、昭和40年代の音だなあ、と感じています。水道も随分と復旧しました。電気は震災があっても止まることが無く助かりました。ガソリンも動きだそ、昨日は15分程度で給油できました。
 遠くは鹿児島、山口、兵庫、福井、愛知、千葉、東京、茨城、栃木そしてインドの恩人、知人から物心に渡る励ましをいただき深く感謝しております。
 福島県では人事異動が凍結され(本来なら今日が離任式)、スタッフも同じく新年度を迎える準備をしております。避難している子ども達の学校への受け入れも本格化しています。元気な声が戻ってくる日が楽しみです。
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被災記録4

2011-03-24 | Weblog
 放射性物質が東京で、欧州で検出されたとの報道と共に官房長官の水買い占め自粛呼びかけのニュース。地元産の野菜を地元で売れない、「地産地消」が出来なくなってしまいます。内部被曝の怖さ、とりわけ母体、乳幼児への影響に敏感になることについてはよくわかります。ミリは10の-3乗、マイクロは10の-6乗でかなり小さな数字であることがわかります。ちなみに居所では1.06マイクロシーベルト/hです。(1時間も衣服も着けずに外にいることはありません!から実際にはこれ以下です)水や野菜の基準値はこれとは違います。ここから先は、個人の自己判断です。地元民は案外元気に対応している気がします。事態の収束を願う気持ちだけは全国共通のはずです。
 私はこのブログを大抵朝方に記します。内容は昨日のものですから日付だけを変えます。今朝3/24 5:00で室内が9度でした。1時間ガスストーブを焚いても2度しか上がりません。広い体育館で避難されている方を思うと胸が痛みます。自衛隊が来ても家から離れない老人の方が報道されていましたが、我が家の存在の意味を考えたとき、その気持ちはしみじみわかる気がします。でも本当は不安でいっぱいなのです。
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被災記録3

2011-03-22 | Weblog
※ずっとアップせずにすいません。訪問者の数を見て申し訳なく思いました。 
●被災から10日が経ちました。この3連休も余震が何度もあり、目覚めは余震で、の日々です。以前桜島に出かけたとき地球の鼓動(地鳴り)を耳にして恐い思いを抱きましたが今も地震が来る前には必ず地鳴りが先に来ます。小さな揺れですむことが多いのですが(震度は4までなら体感的にわかるほど)、先立つ思いは「この揺れが大きくなりませんように・・」という願い。その点でも皆疲労しているはずです。
●原発、放射能。30Km圏内からは避難していますが、放射線量については個人的に過敏ではありません。以前受けたセミナーでの教育と今回のマスコミ報道の情報で正しいものが取捨選択できているからだと思います。作物の出荷制限や被災地の人に対する風評などこれから大変難しい問題と立ち向かっていかなければならないことに、ある種の覚悟を持ち始めています。“ふるさとを眠らせない、ふるさとを興す”
●写真も殆どがテレビの映像で流れている通りです。このブログを読んでいただいている方にはふるさとの仲間もいますし、子ども達もいます。大丈夫!必ず大丈夫!ここからが頑張りどころです。
●学校のホームページがアップしました、そこに最新情報がでます。卒業生もそこから情報を得てください。この情報は君たちのメールネットワークで流して欲しいと思います。
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被災記録2

2011-03-16 | Weblog
 瓦屋根にビニールシートをかぶせる作業を父と行う。業者は順番があり待っていると雨への対応が遅くなり雨漏りが心配。ガソリン不足が深刻:切れたら職場へ行きようがない。電車もまだ不通。余震が続く:常に揺れている感覚と共に3/11のようにドンという大きな地震が来たら(これを打っている今も来た!)どうしようかという不安のため、目が覚める。ライフライン:電気OK、水道は断水、井戸水があるので役立つ。食料:米、ミソはある。贅沢は出来ない。そして原発の放射能漏れが大々的に報じられている。今まで7回ほど原子力セミナーを受けてきた知識が役立っている。外部被曝、内部被曝とも不安は払拭できないが、ここに生活の場がある以上、必要な予防策(肌をさらさない、洗い流すなど)を講じていく。出来るだけ遠くへ移動する国道の車を見て、(2度目の余震)はて?と思った。避難所:薄い毛布、冷たい床、本当に大変である。昨夜義父母を探しに行ってきた。運良く本当に運良く見つかった。嬉しかった。夜明けの来ない夜はない!がんばろう。
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被災記録

2011-03-14 | Weblog
 コメントありがとうございます。閲覧数を含め見ていてくださる方々がいることに素直に感謝です。
 さて、当地では近隣の市町村に比べてみると被害が大きい気がします。とはいえ、直接的な死傷者はありません。沿岸部の方に心からお見舞い申し上げます。被災してみてわかることがいくつもあります。①飲み水は手に入りますがやはりもらいに行く手間は大変です②トイレの水は飲み水以上に不便です。井戸があるところとそうでないところでは不便の度合いが違います③なんといっても地方ほど車社会ですからガソリンの供給不足です。今後どうやって職場へ向かうか、その手段を見いだしていく苦労があります。④贅沢と言えばそれまでですが、暖かいお米と味噌汁の有り難さが身に染みます。お風呂も然り。3日を過ぎるとさすがにお風呂が欲しくなります。⑤その他:まずもって複雑な社会に生きている分、自然災害に対するシンプルな対応がうまくいか無いことが多々あります。⑤マスコミの報道も含めて流言蜚語が飛び交います。ここの判断力が問われます。
 がんばっていきましょう!
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震災被災地より

2011-03-12 | Weblog
 卒業式を終えおそい昼食を皆でとっていた頃大きな地震。最初はいつも通りかと鷹かをくくっておりました。揺れが大きく長時間だったためすぐに職員室の外へ出たところ、約1分弱後大きな揺れが数分続きました。私の車は1m近く移動しました。今までにない夢のような時間に呆然。職員室へ戻ると全てが崩れておりました。生徒が居なかったことが何よりの幸いです。家族の安否確認。電話は不通。とにかく学校内の様子を確認後家に戻ることが出来ましたが途中の道路は陥没や隆起が至るところにありました。K3は卒業式で母と一緒なのですがK4は小学校です。途中の惨状を目の当たりにして何とか家にたどり着きましたが、瓦屋根の母屋はさんざんたる状況。周辺に家よりもひどい惨状でした。あ~なんたること・・。一時呆然とした時間を過ごしましたが、皆けがもなく無事でした。今はがれきの始末をしています。断水と暖が取れないことが不便ですが生死に関わることでないのでなんとか家内と学校の復旧に尽力します。携帯のメールとgooのメールがつながります。携帯は役立たずですのが家電はつながります。明日もがれきの始末をして1日が終わりそうです。ご心配ありがとうございます。
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新しい場所を探す時期

2011-03-08 | Weblog
 事を上手く運ぶには、準備と練習だとおもう。それとてやたらと時間をかければよいものではなく、能率のよさと何を目指すのかがモチベーションを高い位置で維持できるポイントだと考える。例えば弓で獲物を狙う狩猟民を考えたらわかりやすいかも。矢の数と種類を用意し、獲物を撃ち落とす技術を磨いておく。1日で行き来できる範囲で獲物のいそうな処に藪をかき分け歩を進めていく。危険を避け、休憩も必要だ。今回は小型の動物を4匹捕りたい。野球の練習プランもそう考えて立てることが多い。同じ2時間、どこで差がつくか・・。野球を経験している方に勝つには容易ではない。勉強でも同じ。そこに競い合い、刺激し合え、おもしろい仲間がいるから学校が面白いのだ。今日は県立高校のⅡ期選抜。新しい仲間と出会える場所がみんな手にはいるとよいなあ。
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所用ありてK2の故郷へ

2011-03-06 | Weblog
 
部活動を失礼して浜通りへ。風の暖かさに気候の違いを実感。K2も行ったことがないという故郷の渓谷は水が澄み人もなく、大自然の中を歩き氣をもらいました。岩の間につらら発見。近頃は家の回りでもつららを見かけることが無く、「ほしい~」(K4)というので『好きなだけ取れ~』と言えば石壁を乗り越えGET.賑やかでした。
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小さな灯り

2011-03-04 | Weblog
小さな灯りでも、それが点っているのは人がいることで暖かなもの。ただいま、おかえり、いってきます、いってらっしゃい・・のやりとりができることも然り。人は温かいところに集まり、安らぐのですね。
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