旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

サンゲー村の天才少年

2015年08月04日 16時44分16秒 | エッセイ
サンゲー村の天才少年











大家のばあちゃん

 1982 バンサンゲー、戦争は直ぐそこで行われていた。夜、東の地平線がビカビカっと光り、しばらくしてドドドドーンと腹に響く音が届く。カミナリではない。ベトナム軍の夜間砲撃だ。毎晩飽きずに15分ほど繰り返される。パンパンパン、乾いた大きな音が宿舎の近くで突然鳴る。蚊帳の中で僕らは緊張して体を硬くする。おそらく酔っ払ったタイの兵隊が空に向けてピストルを放ったんだろう。
 ここアランヤプラテートはタイとカンボジアの国境にある街だが、国境は閉鎖されているから、タイの東の行き止まりになっている。国境の行き来は途絶えているのに、この街は何と活気に満ちているんだ。街はバンコクから送られてくる物資であふれ、自動車部品、食料品店、CD Shop、米屋、雑貨屋、薬屋、床屋、写真屋、飲み屋、飯屋、揚げバナナの屋台に至るまでどの店も大忙し。バンコクにもない程にしゃれたジーンズ屋や靴屋があって、垢抜けた茶髪のお姉さんが次々に来る客をあしらっている。街を歩く人の着ている服もしゃれている。それにしても外国人の多いこと。あと兵隊が迷彩服を着てそこら中を歩き廻っている。夜になると街は一層活気に満ちるが、僕らは原則夜は出歩かなかった。
 チームのサブリーダーが宿舎の直ぐ裏の橋で、リーダーの女性を庇ってタイの強盗に撃たれ死んだのは半年前だ。自分は最近来たのでその時の事は知らない。日本の新聞で読んだだけだ。それにしてもいくらタイ軍やボランティア団体が購入、消費するにしても物が送られて来過ぎやしないかい。バンコクからトラックが物資をどんどん運びこみ、帰りは荷台を空にしてゆく。まあその理由は夜になれば分かる。
 隣の家には若い連中が5-6人、昼間からゴロゴロ寝ている。起きてきても眠そうにタバコを吹かしギターの練習をしたり、洗濯をしてブラブラしている。連中が忙しく動き出すのは陽が落ちてからだ。生活物資、医療品、タバコ、燃料等を積んだトラックをひっそりと出し、闇に紛れて国境を越え、地雷原を慎重に避けて会合場所に行き、おそらく時価よりも相当高い値段で荷を売る。代金はアヘンかもしれない。命知らずのタフな荒くれ野郎かと思いきや、そこら辺の気の良い兄ちゃん達である。
 僕ら国境井戸堀チームは、増減はあっても平均して6-8人でアランヤプラテートの町外れに一棟借り切って宿舎にしていた。二階に蚊帳を釣って二人セットにしてその中に入って寝泊りしていた。高床式なので一階は物置と洗濯場、子供やおばちゃん達のおしゃべりスペースである。屋根から落ちてくる雨水を大きな素焼きのカメに溜め、その水を使って水浴びをする。女性は大きな布で器用に体を包んで洗う。水道もあるが、沸かさないと飲めない。カメの雨水は透き通っていて、カメの表面から気化するのでいつも冷たくて気持ちが良い。
 食事と洗濯は大家のおばあちゃんとその娘さん達がやってくれる。お昼のお弁当も作ってくれる。街が戦争景気で浮つく中、一人覚めていて動じないのが大家のおばあちゃんだ。よく話しかけてくるが、残念自分はタイ語がほとんど分からない。家の周りにはいつも子供がたくさんいるが、おばあちゃんの孫なのか近所のガキなのか、よく分からん。
 僕らはNGOのボランティアで一年以上長期でいる人は小遣いに毛の生えた程の給料が出るが、僕ら不定期の数ヶ月組は無給だ。日本❘タイの航空運賃、バンコク❘アランヤプラテート(約5時間)のバス代は自分持ちだが、その他はかからない。国境で働いている分にはほとんどお金は使わない。時々街で買い食いをしたり、床屋に行くくらいだ。
 朝八時になると国歌斉唱、スピーカーでこれが流れる間は人も車も停まっていなければならないので、7時56分頃素早く街を出て、国境に沿って南北縦断する二車線の舗装された国道に出て北上する。この道は一般の人も軍隊も使う。僕らの使っていたトラックはタイヤが六個ついたオフロード仕様で、この荷台の上で風に吹かれてジッポで火を点けタバコをふかすのは気持ちが良かった。この国道x号線を一時間弱北上するが、道端には事故で壊れた車やその残骸があちこち転がっている。昨日は無かった半分になって車が見えた。戦争バブルでにわか成金となった住民が新車を現金で買うのは良いが、運転技術が伴わない。だいたい命がけの追い越しを仕掛けるのは良いが、ウィンカーは出せよな。ウィンカーの存在を知らないのか?
 10-15km置きに軍の検問所があり、遮断機の所で駐屯している兵による許可証のチェックがある。毎朝僕らは街と目的地の中間にある軍の前線司令部に立ち寄っていた。そこにいた将校の付け人(従卒?当番兵?)の少年兵とはすっかり顔なじみになったが、何でそこ(Task Force)に寄るのかは忘れてしまった。許可は出ていたが毎日の国境の状況を確認していたんじゃないかな。ボスのミノxさんが入っていくが、自分はほとんど同行しなかった。この司令部は面白かった。
 上が戦車で下が車輪の自走砲や、英国製の戦車スコーピオン等がいて、意外に小さく見える戦車の中から小柄なタイの戦車兵がぞろぞろと5-6人出てきたのには驚いた。よくあの鉄の箱にあれだけ入れるな。横に並んだらとても無理だろう。上下にも収まっているのに違いない。国境沿いの検問の兵士とは顔馴染みでジョーダンを言い合う仲だが、一ヶ月もすると部隊が交代して入れ替わる。そうなると大変だ。前線に来てガチガチに緊張した兵士がM16の引き金に指をかけ、ストッパーを外して銃口を次々に我々に向け、許可証の提示を求める。緊張して硬くなった兵士は、ある意味戦争慣れしたポルポト兵より怖い。ワっと大声を出したらドンと引き金を引きそうだ。NATOの弾で死んでも戦争保険は出るかな。  
 タイ陸軍の緊張にも理由がある。国境でベトナム軍とタイ国防軍が偶発的に戦闘状態になったことがあった。実戦経験の無いタイ軍は、装備は勝っているのに4-5時間に渡って負け続け潰走状態になった。ベトナム軍が越境して直ぐに撤退した為に助かったが、ここアランヤプラテート郊外には緩衝勢力としてのクメール軍(ポルポト軍)がいない。彼らに平野部を防御出来る戦力はない。国道からベトナム兵の帽子のようなヘルメットが見えると言う。多分ウソだが。ここを突破されたら首都バンコクまで舗装された直線道路で、一直線五時間だ。
 しっかりしろよタイArmy。カンボジアに侵攻しているベトナム軍は、旧サイゴンを中心とした二線級の部隊だぞ。精鋭ベトナム軍は北部で中国と対峙しているんだ。でも日本の自衛隊ならさらにブザマに負けていたかもね。実戦で一度も砲火をくぐった事のない軍隊は初戦では役に立たないのも無理はない。それにタイ人、のんびりしているものな。ベトナム人の方が頭が良くて(性格悪くて)血の気が多そうだ。
 国境の検問所には4-5人の兵士が交代して勤務につく。初日は暑いのにヘルメットをかぶりガチに緊張していた兵士も、三日目位になると「ヘイ、ジープンxxxx」ヘラヘラ笑って、ただのアンちゃん化してくる。一人を残して上半身裸になって用水路で魚取り。また農家の娘たちがいつも遊びに来ていて、アンちゃん兵士と朝からイチャイチャ。上官は上官で、パトロールと称してクメールの国境沿いの拠点を装甲車で訪れ、村の入り口でアヘンを買っていやがる。あっけらかんとやるもんだ。

To be continued

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