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旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

余 貴美子さん

2018年07月14日 14時45分03秒 | エッセイ
余 貴美子さん

ハマのマリア、余貴美子さん。朝ドラ「半分、青い」で産婦人科医の役で還暦になったが、ノンノン、同学年の自分は、もうちょい年上なのを知っている。そりゃ、同い年だからね。

 余さんとは小学校2年(もしかすると3年)の時に同級になった。その後は残念、卒業まで一緒のクラスにはならなかった。今と違って子供がたくさんいたから。定員50人弱で、4クラスはあったので一緒になる確率は25%だ。

 みんな余貴美子という女優にどんなイメージを持っている?庶民的、姉御肌で裏表がなく親しみやすい。大ていはわき役だし、ドロドロした愛憎劇や女の色気を振りまくような役は見たことが無い。ところがどっこい、彼女の出世作となった主演映画は「噛む女」。セックスの時に感極まって男の肩に噛みつく女の役なんだ。
 40年近く前に、友達と中野のマニアックなビデオ屋で「噛む女」を見つけ、2人で見たのだが楽しめなかった。裸のシーンではTVの前に立ちふさがって、「見るんじゃねえ。」と友達に言いたくなった。ま、閑話休題。8歳の余さんに戻る。

 余さんメチャメチャ可愛かった。頭が良くて優しい子。彼女がいると周りがパっと明るくなる。そんなタイプだった。今TVで見る余さんは、口を大きく開けてガハハと笑いそうだが、8歳の彼女は、はにかんでフフと笑う。イメージだよ、イメージ。実際はもっと自然体。いいじゃんか、恋愛は大いなる幻想だ。思い込みだ。女は女装する。なんて可愛いんだ。小僧の俺は、女の子の品の良さ、気品溢れる美しさを8歳の彼女に見出した。
 
 8歳の俺は恋に落ちた。意識すると動きが途端にぎこちなくなる。旧型ロボットになって、右手と右足が同時に動く。手をつなぐフォークダンスの練習で、遠くから余さんが近づいてくると、心臓がバクバクして口が乾き目が泳ぐ。いざお互いの小さな手をつなぐと、顔がボっと熱くなった。全く一方通行の片思いなんだが、俺は余さんとまともに話せなくなった。

 なんで男はこうなんだ。何とも思っていない子となら何でも言えるのに。この習性を女の子に分かってもらえないと、男は高確率で本命に振られる。中には本命に対してイジワルをしたり、いじめたり、頑なに無視したりするのもいる。そして本命から外れた子に対して親切にしたりするものだ。といっても、まっ8歳じゃあどうしようもない。仲良くなってもデートするわけではないし。

 中学から自分は私立の男子校に行ったから、公立の中学に進んだ余さんとはそれっきり。小学校3-6年は別クラスだったので、他の子が好きになった。けれども8歳のあの時ほど、心がときめいたことはない。あー、中学・高校の制服姿の余さん、見たかったな。

 余さん、別段金持ちのお嬢さんだった訳ではない。亀田病院の横の坂を登ったところ、お化けダンダンから少し下った所に余さんの家がある。不思議な家だ。壁が黄土色の土壁で出来ている。全体に丸っこい小さな家。1階建てか2階があるのか分からない。もし2階があるなら、きっと螺旋階段だな。普通じゃない。妖精の家か。

 あの土壁の家で連想するんだが、余さんの先祖は、水害だか干ばつだかで200年以上前に中国・広東省から台湾に渡った客家の家系だ。客家といえば、ほら福建土楼。土壁で作った円形の集合住宅があるだろ。余さんの家は、あのミニチュア版なのか。多分全然関係ないんだろうな。

 余さんの家の前に空き地があって、自分らの遊び場の一つだった。昭和30年から40年の始め、横浜にはいくつもの空き地が残っていた。ドブ川沿いの朝鮮、やはりドブ川の横にある土管置き場(通称カップチ)。カップチでは牛ガエルを捕まえて家に持って帰ったが、夜うるさく鳴くので結局戻した。余さんの家の前に空き地は、今では建物が建っているが、当時は平坦で草が生えていた。週2回ほど、そこでゴムボールを使った3角ベース草野球を、暗くなるまでやった。そこは他のグループも遊ぶから、場所取りは緊迫する一瞬だ。

 そこで遊んでいて余さんを見かけた記憶はないが、ピアノの音が聞こえていたような気がする。これもイメージかな。余さんのお母さんとはいつも会った。お母さんは優しかった。「オーイ、君たち集まれ。のどが渇いたでしょう。」「ハーイ。」冷たい麦茶やジュースをコップに入れた大きなトレーを抱えて、お母さんはニコニコと振舞ってくれる。

 次に余貴美子の名を見たのは、大学1-2年の時だ。どこかの劇団の女優さんに名を連ねている。余貴美子、間違いない。他にいったい誰が、余という中国人でも珍しい偽名を思いつくんだ。でもインターネットのない時代、劇団名だけでは、なかなか調べられない。公演の予定が分かれば見にいったのに。

 年が経って、次には本人に会った。30代の後半、クラス会(学年会)があったんだ。そのころの余さんは、舞台からTVに活動を移し始めていたらしい。凄いねー、期待してるよー、と女性陣に取り囲まれていた。西遊記の牛魔王の娘役でTvに出たらしい。ハハ、そりゃハマリ役だ。京劇の隈取りをして、鮮やかな中国服をまとったら、誰だかちょっと分からないけど。半分中国人の彼女なら、凛々しくて本物だ。自分は実際にはそのTVを見ていないのだが、頭の中でイメージが出来上がっている。燃えろー燃えろーと火焔扇を振っている。

 そのクラス会では余さんとは話さなかったが、もう孫がいるのよー、と言った女性、プロ野球の捕手と結婚したけど、今は引退して実家の八百屋をやっているの、という女性の話しを聞いていた。余さんは周りの女性陣が離さなかったもんね。

 その後余さんはメジャーになった。チュラさん、女タクシードライバー、おくりびと。TVの番組欄で彼女の名前を見つけるのが容易になっていった。いい役者さんだ。一ファンとして大好きだ。でも子供のころ、自分がきれいだなーと思った女優さんは范文雀さんだ。サインはV、プレーボーイ、Gメン'75。相当古いね。夏目雅子と共にいつまでも記憶に残る女優さんだ。

 その范文雀さんと、余貴美子ちゃんがいとこだったと知った時には驚いた。何か余さんにはいつも驚かされる。自分にとっては意外性の人だ。余さんには可愛らしい妹さんがいた。美人姉妹だ。そういえば余さん、TVのトークで言っていた。「私は美人系演技派女優じゃありません。美人女優です。」頭のよい妹さんだったな。

 以前TVのファミリーヒストリーで余家の祖先を取り上げていた。その歴史は、余さん自身全く知らないことだった。自分は、本人たちの次の次の次くらいに興奮して熱心に見たよ。台湾にいる余一族の家系図は、赤い表紙に金箔の文字、電話帳4冊分くらいのが2冊ある。彼女は台湾に行っても、元の一族が残っている広東省のに行っても、一族を挙げて大歓迎されること間違いない。でもその時は何語で話すんだろう。余さんは中国語が出来るようだが、それは北京語?客家語?それとも台湾(福建)語?

 その番組で、余さんのお母さんと妹さんが出ていた。お母さんは品よくお年を召していた。おばちゃん、冷たい麦茶をありがとう。妹さんは綺麗で、相変わらず頭が良さそうだった。

 さあ、この話しも終わりに近づいた。でも最後にもう一つ。自分が40代の半ば、余さんの事務所に手紙を出したことがある。自分が浅草花やしきの販売促進課の係長の時だ。日銭商売の遊園地で、スーツ組とはいえ、何でも屋だった。イベント、取材対応、園貸し、ホール貸し、団体誘致、割引券販売。時には法被を着て、大家の浅草寺の目を掠めて仲見世の入り口で優待券を配り、時には着ぐるみを着て園内を廻った。ようは売上が上がり集客が増えることなら、何でもありだ。

 その時自分はナイスアイデアを思いついた。余貴美子を浅草花やしきの名誉園長にしよう。TVやマスコミの話題が集まれば、それが即集客につながる。余さんに給与を何がしか払ったって、十分お釣りが出る。彼女の庶民的で親しみやすいイメージは、下町のゆうえんち、浅草花やしきにうってつけじゃないか。

 といっても社内で先に承認を取るというものではない。第一余さんの意思を全く知らない。多少なりとも余さんサイドの反応があった時点で、まず本物の園長に話してみよう。園長の説得は6分4分で勝算がある。問題は本社の社長だが、ここは賛成した園長を前面にたてて。ワー、全くの綱渡りじゃないか。でもリスクを犯すだけの魅力を感じたんだ、あの時は。結局待てど暮らせど余さんの事務所からの返事はなく、自分も深くは追わなかった。その後異動で花やしきを離れたしね。

 余貴美子さん、ありがとう。貴方は自分の人生をいつもちょっとだけ楽しい方へ押しやってくれた。small happy surepriseをいつも貰った。smallでもいつもhappyなsurpriseだ。あっ、貴方の結婚をネットで知った時だけは、36時間ほど機嫌を悪くした。

 貴方の姿をTVやスクリーンで見るのはいつだって楽しい。爺街道まっしぐらの今でも、貴方の姿をスクリーンに見るとドキドキします。これからもご活躍、応援しています。









































































































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