旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

月の呼び方 

2016年10月26日 18時40分05秒 | エッセイ
月の呼び方   

 室町将軍、足利義政は、月を愛でる為に銀閣寺を建てた。月は銀でしょ、金じゃあ似合わない。二階から眼下の池を見ると、時間を追って月が水面を横切って行く。天の月と水面の月、何と雅な。しかし将軍の夜としてはちと寂しい。室町幕府と公家社会の滅びを予感させる。
 大都会に住む我々でも、ふと夜空を見上げて思いがけず満月を見つけることがある。凛々しい美人に会ったようだ。涼しい季節は特に冴え冴えと美しい。でもあんまり見とれていると車に轢かれる。
節分とか雛祭り、端午の節句に七五三。現代でも伝統行事は残っているのに、お月見はしたことがない。すすきを飾り、団子・里芋・枝豆・栗を盛って神酒を供えていざ月見って、やったことある?中国の人はやるのかな?月餅って月見のお菓子だろ。漢族が元や清に対する反抗の際に、月餅の中に暗号文を入れて贈り合った、って生々しいな。もっと雅に行こうぜ。
古代から中世にかけて、月を見上げていたのは貴族や僧侶といった風流人だけではない。太陰暦の世の中では、農民が月の満ち欠けを生活の目安としていた。娯楽としても月見はただ。
さて月の名前を追っていこう。第一日目は新月、朔月(さくづき)ともいう。朔は「遡る(さかのぼる)」の意味だ。新月では、月が太陽に近づき過ぎて姿が見えない。そこで三日月の背景にある星座を用いて、二日遡った月の仮想位置を見つけるそうだ。ややこしいこと。
二日目以降は二日月、三日月、四日月と続く。特に三日月は鋭い形から霊力があると思われていた。それは日本に限らない。国旗に三日月がある国は、トルコ(オスマン帝国)、パキスタン、マレーシア、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、アルジェリア、モーリタニア、チュニジア
他にもあるかもしれないが、国民のほとんどがイスラム教徒の国ばかりだね。沙漠の隊商には三日月がよく似合う。
七日月はちょうど半月、上弦の月又は上の弓張り、と呼ばれる。十日月の次とその翌日は、十日余りの月。そして十三夜、この月は「のちの月」とも呼ばれる。何の後なのかと言うと、十五夜の次、十五夜に次いで美しいとされた。
  そして十五夜の前日、十四夜は小望月(こもちづき)。ハイライトである十五夜は満月・望月・名月・待ち宵月。「仲秋」は旧暦8月15日、7月を初秋、8月を仲秋、9月を晩秋と呼んだ。旧暦8月15日は、2016年は9/15、2017年は10/4と年々ずれる。「月々に月見る月は多かれど、月見る月はこの月の月」仲秋の名月がクローズアップされるのは、秋になって空気が乾燥して月がより鮮明に見えるからだろう。それなら冬の方が良いだろうが、表で月見は寒過ぎる。南の国の月はボヨヨンとして大きい。
  また秋は収穫の秋(とき)だ。仲秋の名月を芋名月とも呼ぶ。仲秋の名月を観賞する風習は、中国の唐代に盛んになり、それが平安時代の貴族に取り入れられ、その後武士や庶民に広まったとされる。しかし「仲秋の名月」とは呼ばなくても、古代から満月とお祭り(収穫祭)は結びついていたに違いない。
  満月を過ぎると月の出が日々遅くなる。十六夜は(いざよい)と読む。「いさよう」「いざよう」からきた言葉で、ためらう・遅れるの意味。満月より月の出が少し遅れる、ということ。十七夜は、立待ち月。続いて居待ち月、寝待ち月(or 臥し待ち月)、更待ち月、20日以降は二十日余りの月、23日目が下弦の月(半月)。また16日以降は朝まで月が残るため、「有明の月」と呼ぶ。29日目も新月同様、姿が見えない。で「月隠」(つごもり)、雅だなー。特定の月齢の晩に人が集まって月待ちを行う習慣があった。十五夜だけでなく、十日夜(とうかんや)、十三夜、十七夜などが有名。
  満月の夜に犯罪が増える。交通事故が多い。自殺者が多い。災害の発生件数が多い。よく言われる割に、きちんとした統計は無いようだ。月の満ち欠けが、潮の満干に関係するのだから、70%が水の人体に影響を及ぼしても不思議ではない。
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