旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

AK-47

2016年04月12日 13時48分34秒 | エッセイ
AK-47

 AK47は、赤軍戦車兵だったミハイル・カラシニコフが負傷して入院中に設計した。設計図は後に妻となる女性技師が描いた。大戦中ドイツが使用した突撃銃StG44に対抗できる銃を目指した。しかしAK47は設計が1947年で製造が1949年だから、第二次世界大戦には間に合わなかった。そうAK47とはカラシニコフが1947年に作ったという意味。カラシニコフは設計に当たって、専門教育・高等教育を受けていない新兵でも取り扱いが容易なように、彼らの気持ちになって様々な工夫をしたという。何しろソビエト軍では、ロシア語が話せる兵隊の方が少ないのだ。
 戦場の兵士にとって、敵を目の前にして銃が壊れるのは、身の毛もよだつ恐怖だ。故障した銃はただの重い荷物に過ぎない。AK47のように泥や砂に埋まっても、水を被っても発射できる銃は兵士を守ってくれる。命中精度が多少悪かろうが、操作時の金属音が大きかろうが、セーフティ解除から発射まで多少余分に時間がかかろうが、AK47はそんな欠点を吹き飛ばすだけの信頼性を持つ。
 Ⅲ型で3.9kgs、銃弾は7.62x39mm、30発入りの箱型弾倉または75発入りのドラム型弾倉を使用し、一発づつもしくは一分間に600発以上の速度で連射が出来る。NATO弾(5.56x45mm)に比べ対人威力が格段に大きく、接近戦の多い市街地での戦闘に有利だ。もっとも小さい弾は携行弾薬の増加につながり、銃自体も軽量化するメリットはある。
 AK47のメンテナンス器具は銃床内に収めることが出来る。内部の部品は極力ユニット化されていて、野外で分解する際に部品を紛失したり、簡単に故障したりしないように工夫してある。このような銃の頑丈さと簡素化は兵士の負担を減らす。銃を扱うのが初めての兵士でも数時間から数日の講習を受ければ、100m先の標的に命中できるようになる。
 現在世界中で1億丁を超えるAK47が使われているが、その大半は非正規・コピー品である。ロシア製のAKは世界全体で12%ほどに過ぎない。中国の中国北方工業公司はライセンス切れのため、改造箇所を根拠に自社製品としてAK系を製造し続けている。中国に限らず過去にAKのライセンス生産を行っていた国々の大半は、製造を継続し輸出している。パキスタンの村では、旋盤などの簡単な工作機械しか持たない「村の鍛冶屋」のような工房で製造されているので、正規品と異なる材質の鋼材を用い、熱処理・表面処理も不充分で、耐久性に難のある銃もある。買う時は注意してね。日本でもオウム真理教が、発展型であるAK74を基に密造を企てたが、銃身内径を正確に切削できず、発射に危険が伴う水準であった。
 自分が1982年にカンボジアの反ベトナムゲリラ(資本主義のソン・サン派ゲリラ)の集落で井戸掘りをやっていた時、我々の護衛なのかはたまた単に暇だったのか、竹で出来た屋根だけの小屋でゴロゴロしている兵士の銃は〝中囗制造〟のAK47だった。ヒマゲリラと仲良くなって、弾を1個貰った。先端の尖った部分と薬莢の境目が赤く塗られている。カッケー。チェーンをつけてペンダントにしよか。でもこのままじゃ武器、armyだよ。万力で挟んでペンチで引っこ抜くか?火薬が無ければいいっしょ。でもケツを引っぱだいたらボンだよ。結局迷ったが、日本に帰る前日にバンコクのルンピニ公園の池の中へ放り込んだ。ああ残念。
 モザンビークではAK47を国旗にデザインしている。東チモールとジンバブエでは国章に使っている。そんな国には、傭兵でもなきゃ行きたくならない。第二次対戦以降、最も多くの米兵を殺した銃は間違いなくこれだ。朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東、アフガニスタン、ソマリアetc。それでも逆に鹵獲したAK47を使いたがる米兵も多かった。7,62mm弾の威力と使い勝手の良さからだろう。開発者カラシニコフはAK47をあくまでも国防の為に設計した。犯罪や紛争で使われている現状を憂いている。

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