「北の山・じろう」日記

内容は主に時事問題。時々株式投資関係の記事も交じります。

リューリク朝~キエフ大公国~モスクワ大公国<2023・3・11スラブ緒民族>

2023-04-07 10:51:32 | 歴史

リューリク朝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%AF%E6%9C%9D

キエフ大公国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%95%E5%A4%A7%E5%85%AC%E5%9B%BD

ハールィチ・ヴォルィーニ大公国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%A3%E3%83%81%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8B%E5%A4%A7%E5%85%AC%E5%9B%BD

モスクワ大公国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF%E5%A4%A7%E5%85%AC%E5%9B%BD

スラブ民族に今でも見られる特徴は、とにかくまとまりが悪い。昔から、そうだったんですね。

「伝説によると、リューリク朝の創立者はリューリクというノルマン人の長である。ロシアの諸族は互いに争って秩序がなかったため八六二年バリャーグのルーシに使者を送り、彼らを統治してくれるように頼んだ。これに応じてリューリク以下三人の兄弟がロシアに来て、ロシアを治めた。」

そもそも、ルーシとは何か?
ヴァイキング
https://europa-japan.com/cate_iden_race/vikingege/
スウェーデン系バイキング(バリャーグ人 )
「スウェーデン系バイキング (バリャーグ人 ) は主として東方へ向い、ロシア(ルーシ)や東ローマ帝国領内で商業活動や傭兵活動を行っていました。862年にノブゴロドに赴いたスウェーデンヴァイキング(ルーシ人と呼ばれた)リューリクは、ロシア建国の祖として知られています。」

(つまり?)
八六二年バリャーグのルーシに使者を送り・・
(この記述は・・)
スウェーデン系バイキング(バリャーグ人 ) に使者を送り・
と、読み替えると分かります。

使者の行った先が、バリャーグ人 であったと思われます。
元々は、バリャーグ人 のスラブ民族の呼び名のルーシが、やがては「リューリク朝」の支配する土地の地名となり、その付近や系列の王国を「ルーシ」と呼ぶようになり歴史書に現れようになった時には、ルーシが正式名称になっていたのであろうと思います。
これは、記述には出てきません。

分裂して治まりのつかなかったスラブ民族のどの部族かが、バリャーグ人( ルーシ)に使者を送り?
何しろヴァイキングの部族ですからね?
腕っぷしの強いのを選抜して送り込んだのでしょう。
(ルーシ族 - かつてスラヴ人がノルマン人に対して用いたとされる呼称。真偽については議論がある。)
最初は、傭兵の派遣であったのかもしれません。
しかし、その一団が「リューリク朝」を開設しその系列が「キエフ大公国」の祖となります。
この国は、かなり繁栄し広い地域を治めます。
現在のウクライナから北はフィンランドに至るまで広い地域を支配下に置きました。そこには、ベラルーシもロシアも含まれます。

繁栄の時期を過ぎ王国内では分裂と内紛が起き衰えていきます。
「モンゴルのルーシ侵攻後期の1240年、モンゴル帝国軍が南ルーシを制圧し、キエフ大公国は事実上崩壊した。」

そしてその時代に「キエフ大公国」から逃げ出した人々や土地の人々が、モスクワ大公国を徐々に拡大していきそれが、やがてロシア帝国へと発展します。

これが、非常に大雑把なスラブ民族の歴史です。
スウェーデン系バイキング(バリャーグ人 ) は、北方ゲルマン人とも言われます。
「キエフ大公国」の時代に北方ゲルマン人もかなり入植したと思われます。

だから、ロシア・ベラルーシ・ロシアは、ほぼ兄弟と言っていいような民族であり国家です。そして、ドイツやスウエーデンとも親戚関係にあると言えます。
実際にロシアの王朝には、ドイツからかなりお嫁入したりしています。それを言うと、ヨーロッパ全域が似たような関係にあります。しかし、ロシアの方が辺境ですからドイツの王国からロシアにお嫁入するのは、臣下のところに下るような意味が強かったでしょうね。

エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A2%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%9A%87%E5%B8%9D)

だから、スウエーデンの国旗の配色とウクライナの国旗の配色は、似ていますね。青の色が違うだけです。単なる偶然かもしれませんけれど。本来のスラブ色とは明らかに違います(普通は、白と赤の組み合わせ)

どっちも、「リューリク朝」を始祖とする点では同じです。

だから、ロシアはウクライナを自分の領土だと言い・・
ウクライナも半分、そう思っていましたが、今回のロシアの軍事侵略を受けて、やっぱり違うと分かった訳です。
戦争が熾烈になり、どっちも引かないのには、同族相争う構図があるからです。

ロシアがウクライナを支配しようなどと考えなければ?
今でも、ロシア人もウクライナ人もベラルーシ人も、自分たちは大体同じなんだと考えていただろうと思います。何しろ国境を越えた親戚関係だらけです。

本当に某プーチンは、よろしくないと思います。
どちらかと言うと、ロシアに好意的であったゲルマン人も元の北方ゲルマン人も敵に回りました。
某プーチンは、どんな歴史を学んだのやら?
やっぱり、ヨーロッパの辺境の蛮族であることを証明してしまいました。

☆更に深く考えるなら?
歴史は、支配者に都合のよいように書かれます。
スウェーデン系バイキング(バリャーグ人 ) は、本当にスラブ諸族の一部から招へいがあったから、王として赴いたのか?
交易関係がありますから、土地勘があります。
スウェーデン系バイキング(バリャーグ人 ) の一部が、なんと言うか、その~
侵略して王国を築いたんでは、ないでしょうか?
そう考えると、当時のルーシ人=スウェーデン系バイキング(バリャーグ人 ) は結構、沢山スラブ圏に入り込んだと思います。そうでなければ短期間に「キエフ大公国」を建国するのは、無理だと思います。それを考えると、バイキングの子孫は、今考えられている以上に沢山スラブ圏にいることになります。その末裔が?
世界最強戦闘民族である、コサック!
段々、歴史の隙間が埋まってくるような気がしませんか?
遺伝子を調べれば、分かると思います。
何故?スラブ圏でコサックだけが、戦争に強いのか?
バイキングの末裔が多いからでしょう。
それは、つまり?
「キエフ大公国」を建国したのは、バイキングである逆証明です。遺伝子調査を広範囲に行わないと、真偽は証明できませんが?

そういう感覚が、どうも某プーチンを見ると?
あるような気がします。
大昔のバイキングみたいな感覚で、戦争をやっているのかもしれません=切り取り強盗世の習い!

いつの時代の話だ!



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