天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第九十六号 霊峰大峰の神秘を語る(座談会)④ ―週刊朝日より転載―

2013年06月30日 09時09分51秒 | 座談会

大台ケ原今昔

大道

私が大杉谷から宮川を下つたのは大正時代ですが伊勢から大台には絶対行けぬと云つてをつた。藤木君に聞いて見たらそれより先に行つたものがないと云ふので、大正五、六年だつたが、大杉谷(おおすぎだに)に猿が沢山居る。小学校に遊びに来るといふので、それを見に行かうといふので、猿に釣れられて行つた。若い時で二十代です。それから大台ケ原に行つた処が頼倫候(らいりんこう)が見えた。それから行者に相談し、頼倫候は私は行かないが貴方は若いから是非行きなさいと勧めるんです。それから案内人は巡査を探して来てくれて何とか音吉といふのが一番いふので、これを連れて行つたんですが、丁度伊勢の宮川の三瀬谷村といふ処から青年が来てをつた。二十五、六でしたが、それが矢張り吉野の方から汽車で廻つて来たんです。その男も子供の時から宮川の上流千尋(ぜうりうちひろ)といふ処に行くと魚を手掴みにできるといふのでそれを見たいと思つてゐたが、絶対に危ないからといつて登らせなかつた。そういふ処だつたから、私は命がけでお供をするといふので頼倫候にお別れをして大杉から下つたんです。道では山蛭が落ちて来る、ぼたぼたと、どこにでも落ち、虻もゐる。それには弱つた。それで宮川をあつちこつちと五回渡つた。千尋谷はなかなか広いのです。それを渡つて行くrと今度は山蛭が落ちて来てね。こゝら中真赤になつて・・・。

 上平

蛭(ひる)の多いのは大杉谷でこいつは天然記念物といつていゝほどゐるんです、人の臭をきいて初めてのものには落ちないが二人、三人目に沢山落ちて来るんです。

江崎

小さい普通の蛭を半分に切つた位のものだが、襟の辺からでもどこからでも落ちて入つて来て、血を吸ふと丸くなつて落ちてしまふ。

大道

木の上から落ちるんです。

江崎

樫の木に多い湿気のある処にゐるんで、あれに吸はれる時はちつとも感覚が無い後で痛痒くなる。

大道

私は二番目に行つたもんだから落ちて来る、さうすると三番目の人がとつてくれるんです。笠の大きいのを着ていたから。

江崎

誰たつたか局部をやられて褌(まわし)を真赤にしてゐるのがあつた。

大道

其代(そのかは)り岩魚等(がんぎよとう)は沢山をつて手掴みが出来た。それを塩焼きにしてくれるんです。私の行つた二日目か三日目の晩に小屋にお爺さんが一人番をしてゐるんです。其時分(そのじぶん)に七十幾つでしたから今居つたら百位ですが、その小屋に少し時間は早いが音吉が泊らうといふので泊つたが、ご飯を焚いてくれるのに言葉が判らん、音吉が通訳をしてくれて寝させてくれたが、丁度若い衆が来てをつて、山から木の枝で虻をはきながら下りて来た。さうしてその晩にお客様が来たといふので、盆踊りの稽古をして見せてくれた。偶然翌日はその若い衆も帰るといふ日だつたが、鈴木主水(すゞもんど)の歌を唄つて盆踊の稽古を見せてくれた。翌朝は早く立つてそれからお爺さんが何もないがといつて山から蕗(ふき)をとつて来て、自分の手製の鰹節を削つて煮てくれたりししましたが、たつ時に、これから滅多に会はんだらうが達者でをつてくれといつて小屋を出て我々の見えんやうになるまで表に立つてをりました。伊勢へ下り大西源一君の処に行つてあれを下つて来たといつたら嘘ぢやといつて承知しよらんのです。現に行つて来たといつて証拠を見せた。あの奥の神社でとつて来た慶長の年号のある湯釜の拓本を見せた処がそれに参りよつたです。大杉谷は平家の落武者(おちむしや)がゐたといつてその名が渓々(たにだに)に残つてゐますね。

江崎

船津(ふねづ)といふ処に楠三郎兵衛といふ人が行つてをりますね。

大道

いろいろと面白いお話を有難うございました。

(をはり)


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