大峰奥駈七十五靡の名称と道程 宮城信雅
三十八 深仙宿(しんぜんしゆく)
又(また)は神山(しんせん)とも深禅(しんぜん)とも云(い)ふ。峯中(みねちう)の中台(ちうだい)にして、釈迦嶽(しやかだけ)より二十五町下(ちやうくだ)りたる處(ところ)、大日岳(だいにちだけ)との中間(ちうかん)にあり。
修験傳燈(しゆげんでんとう)の道場(だうじやう)にして、高祖大士以来綿々相承(かうそだいしいらいめんゝさうしやう)の深山灌頂(しんざんかんちやう)の行はれる所(ところ)である。付近(ふきん)に香精水と云ふ峯中第一の霊水(れいすい)があり、灌頂水に用(もち)ふる。行者堂(ぎやうじやだう)ありて神変尊(じんべんそん)を祭る。以前(いぜん)は灌頂堂があつたが、今はない。先年聖門主恭随大先達(せんねんせいもんしゆきよずゐだいせんだち)の灌頂せられた時(とき)は行者堂を中心として付近に幕(まく)をめぐらし、蒼天(さうてん)を天蓋(てんがい)とし、草(くさ)を敷(し)いて座(ざ)として行はれたのである。
役行者(えんぎやうじや)が最後にこの山と分れをつける時、髭(ひげ)をおとし弟子前鬼後鬼及五鬼(でしぜんきごきおよびごき)を、五十町下(ちやうした)の前鬼山(ぜんきざん)に残してこの山の守護(しゆご)を托(たく)し、去(さ)って箕面(みのお)の天上岳(てんじやうだけ)より登天せられたと云(い)ふ。採燈大護摩供(さいとうだいごまく)を勤修(ごんしう)す。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます