天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第三十五號 (昭和四年三月一日發行) 質疑応答②- 一念三千の意味 -

2011年05月25日 08時38分21秒 | 修験問答

 

 問

 「一念三千」と云(い)ふことを、ごく解(わか)り易(やす)く教(をし)へて下(くだ)さい。

 

 これは天台宗(てんだいしう)の教理(けうり)でも随分深(ずゐぶんふか)いところをといたものですから、ごく解(わか)りやすく、而(しか)も簡単(かんたん)にお話する事(こと)は中々困難(なかなかこんなん)で、解(わか)りやすくお話(はなし)しやうとすれば自然詳(しぜんくわ)しくなります。詳(くわ)しくなると、到底此欄上(とうていこのらんじやう)でお話(はなし)することは出来(でき)ませんが、その名数(めいすう)だけでも簡単(かんたん)に申(まう)しますと、先(ま)ず衆生(しゆじやう)の境界(きやうかい)を十界即(じゆつかいすなは)ち、地獄(じごく)、餓鬼(がき)、畜生(ちくしやう)、修羅(しゆら)、人間(にんげん)、天(てん)、声聞(せいもん)、縁覚(えんかく)、菩薩(ぼさつ)、佛(ぶつ)の十種(じゆつしゆ)に分(わか)ちます。そして、この十界(かい)が各々十界(おのおのじゆつかい)を具(ぐ)する。即(すなは)ち地獄界(ぢごくかい)にも性(しやう)として・・・・・・菩薩佛(ぼさつぶつ)までを具(そな)へ・・・・・各十界を具してゐるから百界(かい)になる。この百界がそれぞれ十如是(によぜ)を具(ぐ)する(十如是の事(こと)は本誌戸田氏の文章を参照して下さいここには名目(めいもく)をはぶく)それで千如(によ)となる。然(しか)るに世間(せけん)を分(わか)ちて、国土世間(こくどせけん)、衆生世間(しゆじようせけん)、五陰世間(ごいんせけん)、がある、これは国土(こくど)も衆生(しゆじよう)と、佛心(ぶつしん)と見てよろしい。かくて千如(によ)が各々(おのおの)この三種世間(さんしゆせけん)にあるから三千となる。この三千が而(しか)も吾等(われら)の一心中(しんちう)にある。この自己(じこ)の心に三千を具(ぐ)する事(こと)を観念(かんねん)するのが一念三千観(いちねんさんぜんかん)であります。三千と云(い)ふのは一切萬物(いつさいばんぶつ)と見(み)てよろしい。一切萬物が自己(じこ)の心をはなれて存在(そんざい)しないのであります。                                                              これだけのお答(こた)へでは充分(じうぶん)でありませんが、充分なることはお出(い)でになればお話致(はなしいた)します。


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