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桐生トランピング情報

群馬県、特に桐生市周辺の山歩き情報をお届します。

香嵐渓・伊勢神宮

2014-11-26 13:53:39 | 旅行
2014年11月22日・23日、旅行社のバスツアーに参加
して、紅葉の香嵐渓と伊勢神宮に行ってきました。


往きの途中で寄った中央道の駒ヶ岳SAでは、雪が積もった
木曽駒ヶ岳を見ることができました。


香嵐渓の駐車場へ着きました。桐生からここまで7hかかり
ました。なお香嵐渓は紅葉で有名で、豊田市足助(あすけ)町
にあります。


香嵐渓に向かって歩き始めた処。両側にはいろいろな
お店が並んでいました。


香嵐渓が見えてきました。手前の川は巴川、大勢の人が
渡っている橋は待月橋、山裾に紅葉が見えるのは飯盛山
です。


渡っている待月橋から右側を撮りました。川縁にも人が
たくさん下りていました。


左側の川岸です。


橋を渡り切った所で上を見て撮りました。いろいろな色が
混ざってきれいでした。


川に沿った歩道を右方向に歩いて行きました。


上にも歩道が見えました。ここら辺りもいろいろな色が
混ざっていました。


香嵐渓広場という所まできました。


広場を行った先には、三州足助屋敷という古い民具などが
見られる観光施設がありました。銀杏の黄色がきれいで
したよ。


屋敷の傍から山の中腹にある香積寺へ登る参道です。


参道を横切る歩道も紅葉で覆われていました。


階段を上って香積寺本堂へ出ます。


香積寺をお詣りした後、戻りかける処で撮りました。


香積寺からさらに先を進むと二つ橋が出てきて、その
二本目の橋は香嵐橋という吊り橋でした。


香嵐橋から道を戻り、香嵐渓広場を上から撮りました。
広場の端の舞台では、太鼓の演奏が始まる処でした。


待月橋の袂を通り過ぎた先、すなわち左側の歩道は
もみじのトンネルといって、背の高いもみじに覆われ
ていました。


もみじのトンネルを戻りながら撮りました。


待月橋が見える所まで戻って最後に撮りました。
香嵐渓を終わって、この後、伊勢神宮のある伊勢市に向かい
ました。


二日目は、最初に外宮である豊受大神宮を訪れました。
写真はバスを降りて、表参道の橋を渡る所です。


鳥居が見えてきました。柱に榊が結わえ付けられていました。


表参道を正宮に向けて歩いて行ったのですが、辺り一帯
朝の清々しい雰囲気に包まれていました。


警備の人が道を整理していて、何かと思ったら神主の一団
が歩いてきました。新嘗祭を執り行うためみたいです。


敷地の最奥部の正宮が見えてきました。


正宮では、塀のすぐ後ろの所でお詣りし、さらに中に入る
ことはできませんでした。


神楽殿です。元へ戻る途中で撮りました。


こちらは、せんぐう館といって遷宮にまつわる資料等展示
しているみたいです。中には、入りませんでした。


外宮の後には、本宮の皇大神宮へ向かいました。写真は、
バスを降りて、内宮に架かる宇治橋手前の所を歩いてい
る処です。


宇治橋の上から、五十鈴川を撮りました。紅葉も見えました。


橋の袂の鳥居をくぐって、参道を歩いて行きました。


参道を歩いていると、警備員が道の真ん中を空けていま
した。伊勢神宮の祭主であらせられる池田厚子さんが
通られるとのことでした。天皇陛下のお姉さまにあたる方
ですね。


内宮では、手水舎もあるのですが、水がきれいなので、
五十鈴川で清めることが多いとのこと。そのため、川縁
に皆下りていきました。


これは神楽殿です。屋根が四方向に向かっています。


内宮正宮の社殿が見える場所。正宮社殿は正面から見る
ことができず、ここからだけとのことでした。


正宮で、お祈りで上がれるのはやはり写真の場所までで
した。


戻る途中にあった御稲御倉(みしねのみくら)。


同、外弊殿(げいへいでん)。


こちらは天照大神を祀る別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)。


内宮最後に宇治橋を撮りました。


内宮を出た横には、おはらい町がありました。昼食後には
こちらを見学することになっていました。


お昼を摂って、出向いたらおはらい町は人であふれて
いました。


両側には、このような古い建物が並んでいました。皆、
何かのお店でした。


コンビニも、こうした古い建物に入っていました。


屋根に猿の装飾が…、面白いですねー。


こちらは、あの有名な赤福本店。お土産を買う客が列を
作っていました。


赤福の前の横道は、おかげ横丁といった超人気スポットで
した。


こちらも店が立ち並んでいました。


奥へ向かって進むとおかげ座の幟が立っていました。横路
の奥がそのおかげ座みたいで、昔話を上演していました。


横路の入口には、射的場がありました。標的の景品が
いっぱい立ち並んでいました。ただ、弾が当たっても
なかなか落ちません。考えていますねー。


隣にはこんな宝くじ売り場も…


おかげ座の前では、大きな猫が昼寝をしていました!!


おかげ座とは反対側の一画で、若者の長い列が? 何か
と思ったら、コロッケを揚げて売っている店でした。


こちらでは、昔懐かしいアメ細工の店がありました。


最後に昔風の屋敷と土塀を撮って、バスへ戻りました。
その後、8hかけて桐生へ帰ってきました。

香嵐渓と伊勢神宮、時間をかけて行っただけのことはあり
ました。ただ、今度もう一度といっても、時間がかかるの
で、果たして実現できるやら疑問ですね!!

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山口地方旅行

2014-06-03 15:10:12 | 旅行
2014年5月29日から31日までの3日間、山口県周辺の
主要地を旅してきました。最初に津和野、次に萩、下関、
岩国、宮島の順で巡ってきました。


羽田を飛び立って着いた所は、萩・石見空港でした。ここが、
今回の出発点です。日に何便もないローカルな空港でした。


最初の訪問地は、今まで行ってみたいと思い続けていた
山陰の小京都、津和野町でした。写真は、殿町という古い
建物が並ぶ所で、右の白壁の建物は養老館跡です。


養老館左を歩いて行くと大岡家老門が出てきました。現在
は、町役場として使われています。


養老館側の掘割には、鯉がたくさん泳いでいました。


養老館を右に行くと、川のたもとにさぎ舞のブロンズ像が
ありました。


町並みの一角には、こんなカトリック教会も建っていました。


殿町から少し離れた所に、森鴎外の旧宅がありました。
鴎外が子供の頃住んだ家です。


鴎外の家の前から山の上を見たら四角いものが見えまし
た。津和野城の跡でした。最近はやりの竹田城と同じような
天空の城ですね。


津和野を後に、萩へ行きました。最初に訪れたのは
松陰神社でした。


鳥居をくぐって行くと、あの有名な松下村塾がありました。
右側の広い座敷で講義したそうです。


すぐ先にあった松陰幽囚の旧宅です。裏側から見ています。
洋行に失敗した後、ここに蟄居させられたみたいです。
ここまでで、1日目は終わりです。


2日目は、最初に萩焼の工房を見学しました。萩焼の大きな
土産店に併設されていました。


続いて、萩城下町の見学に行ったのですが、バスの駐車場
傍にあった建物です。人力車立場の看板がありました。
人力車に乗って観光できるみたいです。さすが萩だと思い
ました。


木戸孝允旧宅です。誕生地の石碑が立っていました。道の
奥から歩いてきました。


萩では、家計の足しにしたのでしょう、明治時代から夏みかん
がよく栽培されるようになったそうです。あちこちの塀の上に
見られました。今が食べ頃だそうです。


これは最初に道を左に曲がり、次の道の角にある菊屋という
藩の御用商人を務めた大富豪の家です。道をずうっと行った
先の横道に突き当たる所までがこの家の敷地です。びっくり
しますね。


道を曲がらず、そのまま行った反対側の角。この道には、
菊屋横丁という名が付けられていました。


菊屋横丁に面した菊屋の一画に窪地がありました。ここに
田中義一(昭和初めの第26代首相)を住まわせたそうです。


反対側の近くにあった高杉晋作誕生地。


菊屋横丁の終わりの所は晋作広場になっていて、そこに
高杉晋作立志像が立っていました。


萩から下関に向かったのですが、途中で日本最大級の
カルスト台地秋吉台に寄りました。随分広いのに驚き
ました。大勢の修学旅行生が訪れていました。残念な
がら秋芳洞は見ていません。


アキヨシアザミ。展望台近くにいっぱい咲いていました。


下関では、最初に唐戸市場・カモンワーフ(レストラン街)
に行きました。そこには、鯉のぼりならぬふぐのぼりが
風になびいていました。なお当地では、フグではなくフク
というそうです。


市場の建物の中に入ったら、大きなフクの張りぼてが目に
入ってきました。


2階の通路から下の市場を撮りました。中央の人が集まって
いる所で、寿司を並べて売っていました。客は自分の好きな
だけ取って料金を払う仕組みになっていました。


2階のベランダから関門海峡を撮りました。関門橋の行った
先(右端)が門司です。


下へ下りた海岸沿いの道路脇には、フクのせりを模した像
が設えてありました。


唐戸市場の海岸とは反対側にあった亀山八幡宮。予定に
は入ってなかったのですが、時間があったので見学して
きました。関の氏神です。


境内には大きなふくの像がありました。世界一のふくの像
だそうです。


唐戸市場の次に、すぐ近くにある赤間神宮に行ったのです
が、手前に日清戦争の講和条約締結会場の史蹟春帆楼
(中央)と日清講和記念館(右)がありました。ここで伊藤博文
がフク解禁令を出したそうです。


すぐ隣の赤間神宮の水天門です。赤間神社は、壇ノ浦の
戦いで入水した安徳天皇を祀った神社です。


本殿の脇には、耳なし芳一の芳一堂がありました。


さらにその脇の七盛塚。平家一門が眠っています。芳一堂
も、この七盛塚も霊感スポットの雰囲気を醸し出していま
した。なお、左側の塀の下が安徳天皇の墓所だそうです。


赤間神宮を抜けて隣の日清講和記念館へ行く途中にも、
フクの像がありました。ふくの碑と表示されていました。


これは講和の清側代表の李鴻章が通った道で、そのまま
李鴻章道と名付けられていました。


下関の三番目の訪問地は、城下町長府でした。写真はその
城下町見学の道沿いに流れる壇具川で見かけたカモたち。


道端に咲いていた卯の花。うの花の匂う垣根に~♪の
卯の花です。


菅原道真御影の井戸。道真が大宰府に流される途中に
寄って自分の顔を映した井戸といわれています。右の
穴みたいな所が井戸です。


通りで見かけた竹矢来の生垣。めずらしいと思いました。


これは、功山寺へ向かう道筋の土塀。中に埋め込まれた
のか、自然に伸びたのか、根が張っていました。


功山寺仏殿。国宝です。二重櫓造りの山門は工事中で
見られませんでした。残念!! なお、功山寺は高杉晋作
が挙兵した寺です。


高杉晋作回天義挙の像。勇ましいですね。


これは功山寺裏側に当たる所の長府毛利邸。大きな屋敷で
した。


さらに城下町を歩きました。これは、古江小路。土壁の塀
がなんともいえない雰囲気を感じさせます。


古江小路沿いの菅家長屋門。


古江小路を曲がって、さらに曲がって行った先の乃木神社。


乃木神社から曲がり角に戻る途中にあった横道。横枕小路
というらしいです。これも雰囲気がありますねー。


曲がり角を反対側に曲がって行った所の忌宮神社。


本殿手前に石鬼と書かれた囲いがありました。昔戦った
敵方の頭目の首を葬った跡らしいです。
二日目はここで終わりでした。


三日目の最終日は、最初に壇ノ浦を見下ろす火の山公園
に行きました。火の山は、狼煙台が置かれた場所を意味
します。門司側のタンクが並んでいる所に、平家軍が陣を
敷いたそうです。源平の最終戦が目の前の海域で行われ
ました。軍鼓の響きが、いまにも聞こえてきそうですね。


下関を後にし、岩国にきました。写真は、岩国で最初に
見学をした「うまもん」という漬物屋さんの建物。木造三階
建てで、江戸末期の築造だそうです。以前は醤油屋さんが
入っていました。


うまもんの次は錦帯橋でした。岩国で、すぐ頭に浮かぶ
のはこの錦帯橋ですね。


錦帯橋は、有料(往復300円)で渡ることができます。アーチ
のトップを過ぎると少しずつ段差がついてきて、歩くのに
気を付けないと躓いてしまいます。


右手の上流側の景色。丁度、橋の中央辺りで撮りました。
川の真ん中に浮かぶのは、遊覧船。左の岸辺に繋がれて
いるのは、鵜飼をする船みたいです。


錦帯橋の橋げたは舟形になっています。川の流れに対し
て船の舳先状に尖っていました。


渡り切った先は、公園や史跡になっていました。橋を渡って
真直ぐにきた所の銅像は吉川広重(元春三男)、山の上には
岩国城が見えます。


銅像右の道沿いには、香川家長屋門がありました。


そのまま真直ぐきた所は、吉香公園になっていました。
城の城壁を模したような大噴水が、高く水を噴き上げ、
周りで子供たちが遊んでいました。


これは噴水右の旧目加田家住宅。国の重文に指定されて
います。


公園が尽きた所を右に曲がると、岩国美術館が目に入って
きました。岩国らしく歴史を感じさせる建物に仕上がって
いました。時間がなかったので、中は観ていません。


これは、さきほどの目加田家を裏側から見たもの。中々
風情がありますね。


目加田家を過ぎると、白蛇観覧所があって、100円払って
中へ入りました。中央の木の上にとまっているのは置き物、
右のガラスケースに入っているのは、小さいですけど本物で
した。岩国は、白蛇が生息する特異な土地みたいです。


これは、白蛇の抜け殻で寿の字をあしらったもの。館内に
掲げられていました。


さらに進むと、吉川家を祀る吉香神社に突き当たりました。


吉香神社を戻り、その前の濠を左に曲がって歩くと、
錦雲閣が周りに溶け込み、味わい深く佇んでいました。
錦雲閣とは、吉香神社の絵馬堂です。


濠の先は、吉香菖蒲園になっていました。


濠が行き着いた所に、佐々木小次郎の像がありました。他
の人が写真を撮るちょっとの合間を縫って、撮ってきました。


錦帯橋を戻ってきて、下流側に少し下りた所から撮りまし
た。下流の川原が駐車場になっていました。


岩国を出て、広島へやってきました。これから向かう最後の
訪問地・宮島を、フェリーの上から撮りました。フェリーが
盛んに行き交っていました。中央辺りに、赤い大鳥居が写っ
ているのですが、分かりますか?


宮島に渡り、大鳥居が見える所まできました。引き潮で陸地
が現れ、傍まで歩いて行くことができました。潮干狩り会場
みたいですね。


大鳥居を行き過ぎ、見上げて順光で撮りました。


戻る途中で厳島神社を正面から撮りました。本来は、海面に
船を浮かべなくては撮れないシーンですね。


これも斜めから全体撮影しました。


厳島神社社殿の入口を入ったすぐの所。左は客殿。回廊が
真直ぐ延び、ここを歩いて行きました。


回廊を右回りに巡って本殿前まできました。本殿及びその
前の高舞台は国宝指定です。写真を撮っている所の平舞台
も国宝ですね。


身体を左に向け、歩いてきた回廊を撮りました。真ん中が
客神社(客殿)、その後に五重塔が見えます。


本殿です。撮っていいのか迷いましたが、撮ってしまいま
した。


本殿を右に進むと能舞台(重文)が見えました。


回廊を曲がって進み、出口へ直進する所で、見学者が何か
騒いでいました。何かと思ったらヘビがいたのです。神の
化身かと思いましたが、アオダイショウみたいです。この後、
傍の石垣のすき間に入って行ってしまいました。


厳島神社出口です。


最後は、岩国へ戻って岩国錦帯橋空港から飛び立ちました。
同空港は米軍と共用していて、そのためか、乗り込んでから、
滑走路まで随分と長い距離を移動しました。

今回の旅行、振り返ってみれば、随分たくさんの所を見学
しています。見どころはいっぱいあって、ほんのさわり程度
になってしまったかもしれませんが、いつの日か一カ所毎
に細かく観て回れたらいいなと思っています。
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四国一周旅行

2014-04-30 15:33:20 | 旅行
2014年4月23日から27日の5日間、徳島を起点に
時計と反対回りで四国を旅行してきました。


四国への入り口徳島、その空港前には阿波踊りの銅像が
ありました。ここからバスで高松へ向かいました。


高松港からはフェリーで小豆島へ渡りました。フェリーの艫
から高松港を撮りました。


小豆島の池田港に着いた後、オリープ公園に行きました。
説明用に残してあったのか、実のついた木の下で話を聞き
ました。黒い実が分かりますか?


同じ所から内海湾の対岸に位置する田ノ浦半島方面を
撮りました。丁度半島が切れる辺りに二十四の瞳映画村
があります。この後、そこへ向かいました。


二十四の瞳映画村の入り口です。


内部には、映画のシーンを切り取ったような銅像が設えて
ありました。


分教場が残っていました。中には映画関係の資料が飾ら
れていました。


映画村の中や、海岸縁にたくさん咲いていた花です。


この日(23日)に泊まったホテルから夕日が見えました。
海なし県に住む身にとっては、この情景に弱いですね。


翌24日、土庄港からこのフェリーに乗って高松港へ戻り
ました。


高松港から善通寺に行きました。行先が金刀比羅宮か
善通寺、どちらかを選択することになっていたので、
未だ行ったことのない四国霊場第75番札所善通寺を
選びました。弘法大師の生誕地ですね。


善通寺は西院と東院に分かれていて、西院の御影堂
(大師堂)から訪れました。この前で般若心経を唱えました。
旅行中至る所で見かけたお遍路さんは大抵唱えています。


東院へ来ました。五重塔がすぐ目に入ってきました。


本堂です。


境内には大きなクスノキがありました。胴回りは10mを
きかないと思います。


琴平に戻って、昼食時間の合間に金刀比羅宮の参道を
少し歩いてみました。


ここが、1,368段もある石段が始まる所でした。


参道の両側はお店が並んでいて、歴史を感じさせる店も
ありました。これは、とらやという名前が示すように、二階
の手すりに虎が彫られていました。


琴平から松山へ向かいました。松山では、最初に松山城へ
行きました。松山城へは、ロープウェーかリフトで上ります。
写真は、ロープウェーを下りて城へ向かって歩いている所。


本丸にきました。この後、中に入って天守閣まで登りました。


天守閣最上部から松山市内を撮りました。遠く向こうは
瀬戸内海です。


松山城の後には、51番札所の石手寺を訪れました。写真
の仁王門は国宝だそうです。


これが本堂になります。


この日の泊は道後温泉。ホテルに着いた後、有名な道後温泉
の建物を見にいきました。ホテル客や観光客がいっぱいきて
いました。相当混雑が予想されたので、後で入浴することに
しました。写真は建物斜め後ろから撮ったものです。


前へ回って撮りました。皆ホテルの浴衣を着て、手には
タオルと石鹸の入った篭を持って入浴しにきていました。
道後温泉は三階建てになっていて、一階のお風呂は400円
で入れます。


三日目の25日は、最初に内子町の町並み(重要伝統的
建物群保存地区)を見に行きました。時間が早かったので
まだ観光客がそんなにきていませんでした。内子は木蝋
(ろうそく)が名産です。


漆喰の土蔵造りの家が多かったです。


こちらは庭も立派でした。


町並みはずうっと続きます。


道が枡形になっていました。昔の城下町によく見られます
ね。内子町からは、宇和島を過ぎ、足摺岬手前の竜串に
向かいました。


竜串では、船底にガラスを貼って海中が見えるようにした
グラスボートに乗りました。写真はテーブルサンゴです。


こちらは、シコロサンゴとその上で泳ぐソラスズメダイです。
その他にも、クマノミやウツボなどいろいろ眺めることが
できました。


時間があったので、グラスボート出航港に戻る途中で海岸
散歩をすることにしました。写真は船を降りた所の景色です。
左の湾が出航してきた所になります。


この海岸は、砂岩が浸食されて奇妙な形になっているのが
特徴です。


足摺岬では、ジョン万次郎の銅像を見ました。


岬の先端を撮りました。


灯台まで歩いて行っての帰りに咲いていました。


近くに第38番札所金剛福寺がありました。


広大な境内に入ると本堂手前にカメがいました。大師亀の
札が立っていました。弘法大師が呼んだのでしょうか?


大師堂脇の仏塔基壇には、足摺らしくクジラとマグロが
刻まれていました。
この日(25日)は四万十に泊まりました。


26日は、最初に四万十川の遊覧船に乗りました。この日の
四万十川は広く穏やかでした。台風の時などは水嵩も増し、
大きく変容するそうです。道中、船長の説明が大変面白かっ
たです。


柴漬漁をしている船が見えたので傍へ寄りました。漁を
されている方は八十過ぎだそうです。元気でしたよ。


獲れたウナギを見せてもらいました。天然ウナギですね。
四万十川には、シラスウナギも上がってきて、船長は一晩
で3,000匹も獲ったそうです。


投網漁の船も見えました。残念ながらこの日は、魚は網に
かかりませんでした。スズキやヒラメなど海の魚が獲れる
とのことでした。


戻る途中で、岸辺に遍路宿があるのが見えました。左の
木の陰にあるのが分かりますか?誰でも泊まることが
できるそうです。


次の予定地大歩危峡へ行く途中で寄った道の駅では、
カツオのわら焼きをしていました。試食させてもらい
ましたが、大変おいしかったですよ。


大歩危峡は両側に奇岩が並ぶ渓谷です。ここも遊覧船が
出ています。


船着き場の近くで咲いていた花。


もう少し川縁に寄ってみました。


断崖の所々に咲いていたツツジ。葉が細長いのが特徴
です。


乗船場から少し遡った所を、上の道路脇から撮りました。


何やらゴォーと音がしてきて、よく見たら対岸の中腹に
電車が走って行きました。後で調べたら、JR土讃線で
した。


大歩危を出発し、山を越えた先は祖谷(いや)という所で
かずら橋という吊り橋を有料で渡らせてくれていました。
こんな山の中に、これ程というほど人が集まっていまし
たよ。足元の踏板にすき間があって下が見え、皆こわごわ
渡っていました。


この日(26日)の最後の訪問地は桂浜でした。浜辺に出る
手前には、坂本龍馬が海を見ていました。右の幕が張って
ある櫓みたいなものは、そこへ上って頭の位置から龍馬が
見られるというもの。有料でした。


この浜辺を少し歩きました。


傍らには、ハマナスみたいな花が咲いていました。


これは、高知市内のビル1階にある「ひろめ市場」。簡単に
いうと屋台村です。地元の若者、観光客など大勢が集まり、
お酒を飲んだり、食事をしたり、話し込んでいたり大賑わい
でした。因みに私は、塩カツオがお奨めと聞いたので、それ
をつまみにして飲んできました。
この日は、高知市から車で45分位離れた所に泊まりました。


最終日(27日)は、室戸岬に行きました。最初に中岡慎太郎
像をみました。


岬の先端部。ここら一帯は室戸ジオパークといって、世界
ジオパークに認定されているそうです。インフォーメーション
センターが近くにあり、寄って話しを聞いてきました。


遊歩道を歩いている途中で見かけた花です。いい香りが
しました。


風が強く、この花も撮るのが難しかったです。


これは、アコウの木といって岩にガッシリと根を張って成長
していました。まだ葉が出ていませんでしたが、出たらどんな
様子になるのでしょうか。


次に御厨人窟(みくろど)へ行きました。御厨人窟(写真)・
神明窟(その右にある)と二つ洞窟があります。弘法大師が
修行をした洞窟で、ここから見た空と海に感銘を受け空海
と称したといわれています。


室戸岬から徳島へ戻る途中に、第23番札所薬王寺が
ありました。


境内へ向かって歩いていると、脇に芳川英治の鳴門秘帖
舞台寺の碑が立っているのに気が付きました。


厄除けのこのお寺は階段に名前がついていて、これは
女厄坂で33段あります。


本堂です。ここでも般若心経を唱えました。


大師堂です。


これは61段の還暦厄坂です。この他、当然男厄坂42段
もありました。奥は瑜祇塔。


最後の訪問地大鳴門橋。対面は淡路島。橋の上部は
自動車道、下は「渦の道」という遊歩道になっています。
すごい風に吹かれながら、ここを歩いてきました(有料)。


400m位歩いた所の下が渦潮の見られる場所らしいので
すが、まだ時間が早く、少し渦になりかかったような状態
しか見ることができませんでした。


反対側に回って撮りました。見えている島は飛島、鳴門市
は右手になります。ちょびっと左に先端が見えるのが淡路島、
右は阿南市の蒲生田岬です。

ここで四国周遊の旅は終わりです。まだまだいっぱい撮って
きているのですが、紹介しきれないのが残念です。でも、
四国っていい所ですね。うどんは安くてうまいし、特に
お遍路さんがたくさん歩いているのには感銘を受けました。
いつの日か自分も…、となるでしょうか??

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潮来あやめ祭り

2013-06-19 09:55:42 | 旅行
2013年6月16日、旅行社のバスツアーに参加して、
水戸市の保和苑あじさいまつり、潮来市のあやめ祭りを見に
行ってきました。


最初は保和苑に向かいました。保和苑は桂岸寺というお寺
から入っていきます。その山門、雨が降っていました。


境内に、水戸黄門一行の像が立っていました。


本堂を回って保和苑に続く道の脇には、ピンコロ地蔵が立っ
ていて、皆が頭をなでてお参りしていました。いま流行の
ピンピンコロリの意味でしょうか?


保和苑にはあじさいがいっぱいあります。丁度この日から
あじさいまつりが始まり、入り口近くの広場ではイベントを
開催していて、その挨拶が聞こえる中、見てまわる歩みを
始めました。


これはよく見かけるあじさいですね。


これは珍しいと思い、一旦は通り過ぎてから、もう一度
戻って撮りました。


これもよく見かけます。きれいですね。


外周部の小高い所を回って下りてくると池の端に出ます。
正面からも撮ったのですが、こちらの方が雰囲気が出て
いそうなので使いました。


池の反対方向の鳥舎の脇を過ぎると、谷へ下りて行く道に
なります。その斜面にたくさんのあじさいがありまし。


きれいながくあじさいと思って撮りました。


こちらは、色が鮮やかでした。


変わった雰囲気を持っています。


これは最近町中でもよく見かけます。細長い円錐形をして
います。


イベント広場に出たら、黄門の寸劇をしていました。


帰りがけに本堂の脇を通ったら、延命地蔵が立っているのに
気がつきました。宝暦とありますので、江戸中期からのもの
ですね。
この後、鉾田市のJA茨城旭村へ寄って、メロンの食べ放題
を体験してから、潮来市へと向かいました。
二つに割ったメロンをスプーンで食べるのですが、よく冷えて
いておいしかったですよ!!


潮来に着いて、前川が利根川に交わるところに架かっている
前川水門橋の上から撮りました。右側の川沿いが「水郷潮来
あやめ園」です。


あやめ園の利根川に接する端(ここから歩き始めた)から撮り
ました。植え替えたためか、今年の異常気象のせいか、花が
ちよっと少ないような感じを受けました。


あやめを見ながら撮っていくことにしました。


少し進んだ所で、まとまって咲いているのを撮りました。


大きく咲いていました。


あやめらしさがよく出ているでしょう。


先へ進みました。見えている橋の先が中心部になります。


変わった感じがしました。


ここが一方の端で終点になります。ここから戻りました。


潮来花嫁の出船があるとの放送を聞き、見ていくことに
しました。花嫁さんは一般の人で、潮来の男性と結婚する
ことになった、と説明がありました。


船乗り場に向かうところです。


右側の船乗り場から出たところです。


だんだん近づいてきました。


目の前を大きく通って行きます。


利根川方面へ下っていくところを撮りました。


帰りの集合時間にまだ時間があったので、近くの長勝寺を
見ていくことにしました。歩いて10分足らずの所にあり
ました。


長勝寺は、臨済宗のお寺で、山門まで、またその先も静かな
道が続いていました。


やがて、本堂が見えてきました。茅葺で趣のある佇まいで、
歴史が感じられる建物でした。


傍には、重文に指定されている銅鐘の鐘撞堂がありました。


こちらは、水戸光圀にが訪れた書院だそうです。


帰りの途中、本堂の前で大きく繁っているボダイジュを撮り
ました。本堂からは、法事でしょうか、読経の声が聞こえて
きました。


そのボダイジュの反対側にあったお堂です。勢至堂の額が
架かっていました。

今回一日中雨に降られたあじさいとあやめ、それもまた一興と
思いながら帰ってきました。
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九州旅行

2013-04-30 21:26:12 | 旅行
2013年4月15日から19日の日程で、九州を旅行
してきました。

1日目は、福岡から別府へ行き、別府温泉に泊まりま
した。


2日目は、最初に別府温泉の近くにある明礬温泉の
湯の里に行きました。三角の小屋は、湯の花を作る
小屋です。


小屋の内部を見学しました。下から温泉成分が出て
きて、湯の花の結晶ができるような構造になっている
そうです。


続いて、天孫降臨の地にある、宮崎県の高千穂神社
に向かいました。阿蘇の山並を通り過ぎて、着いたら、
丁度春の例祭に出会いました。幸運に恵まれた、と感じ
ました。


奥の高台にある高千穂神社から、何やら繰り出して
きました。


きれいな弓矢を担いだ人が、先頭を踊りながらやって
きました。


続いて、お面を被った人の列があって、その後に神輿が
続きました。


行列が過ぎ去った後、高千穂神社に登りました。境内に
大きな杉の木がたくさんありました。
この後、高千穂峡に向かいました。


高千穂峡に下りていく入口付近から撮りました。深い
峡谷です。


一段下りた所の見晴らし台から振り返って撮りました。
橋がいくつも見えます。


中ごろへ歩いてきたところから撮りました。左側に道が
ずうっと続いています。


また、しばらく行ってから振り返って撮りました。


終点近くの所です。奥に見えるのは、真名井の滝といい
ます。神秘的な感じがします。


行き着いた所の池には、なぜかチョウザメが泳いでいま
した。


3日目は、鹿児島へ行きました。朝から雨がパラついて、
桜島を撮るころには本格的な雨になってしまいました。
これは、仙巌園という島津久光が造った別邸の前から
撮りました。


その仙巌園の入口辺りを撮りました。薩英戦争に使われ
たかもしれない大砲が残っていました。


これは知覧へ向かう途中に寄った民芸店の店先にあった
屋久杉。テーブルとか人形などに加工する前の、材料に
なります。なお、樹齢千年を過ぎたものでないと、屋久杉
とは言わないそうです。


薩摩半島を鹿児島市から南に下った所の知覧にある、
特攻平和会館に向かって歩いているところです。会館
内部には、特攻兵士の手紙など、胸が詰まらせられる
史料がたくさん展示されていました。


敷地内にあった特攻機の"隼"。以前映画を作るために
再現されたものだそうです。


知覧の後、薩摩半島最南端近くの池田湖に行きました。
写真は、池田湖に住むといわれているイッシーです。
この傍の土産店では、池田湖の巨大ウナギを見ることが
できました。大きいものは2m近くにもなります。


天気がよくなく、池田湖は霞の中にありました。残念なが
ら本物のイッシーには、出会えませんでした。


4日目は、最初に福岡県の柳川市に行きました。写真は
旧柳川藩主立花家の別邸で、"御花(おはな)"といわれて
いるものです。


柳川といえば、舟下りが有名ですね。


これは醤油などの土産を売っていた店の前にありました。
ムツゴロウではないでしょうか。


その通りを挟んだ前には、北原白秋の生家がありました。


少し街中を歩くと、戸島邸という屋敷がありました。
きれいな庭を持った古民家といったところです。


家と家の間には、水路が通っていました。それと、
立派な庭を持った家がたくさん見られました。庭が
ステータスになっているのでしょうか?
柳川の後は、佐賀を通って長崎に向かいました。


これは、長崎新地中華街。長崎駅前から築町まで、
路面電車に乗ってやってきました。本にも載っている
蘇州林という店で、名物のちゃぽんと皿うどんを食べ
ました。うまかったですよー。


中華街から歩いて、オランダ通りを過ぎてオランダ坂へ
行きました。


オランダ坂を上ったところにあった十二番館という洋館。
何かの資料館だったと思います。


十二番館を下った先にあったオランダ坂。近くには
孔子廟も見えました。


さらにグラバー園に向かうことにしました。これは、
一気にグラバー園最上部に行ける、斜めのエレベータで、
グラバースカイロードといいます。


もう一つエレベータに乗って、グラバー園第2ゲートに
行きました。


エレベータを降りたところから撮った遠景。


これは第2ゲート近くにある、旧三菱第2ドックハウス。
通常とは逆に見て行くことになります。実は、それの
方が下りになるため、楽な思いをしました。


グラバー園には、幾つもの洋風住宅が残っています。


これもその内の一つ。


グラバー邸には、裏から入っていきました。


グラバー邸前。たくさんの人が、ここで写真を撮って
いました。


グラバー邸から撮った、長崎の遠景。


グラバー邸の入口。


グラバー園には、たくさんの花が咲いていました。
これは、ミヤマキリシマではないかと思っているの
ですが…


出口の前には長崎伝統芸能館を通るようになっていて、
その中には、長崎くんちに使う山車などが展示されて
いました。


グラバー園の後には、大浦天主堂に行きました。中にも
入れるのですが、当然撮影禁止でした。


駅へ戻る途中で、出島を見て行くことにしました。実は、
ここまで来るのに道に迷ってしまいました。


いまは、周りとすっかり繋がってしまっています。


駅から乗ってきたバスに拾ってもらい、平和公園に向か
いました。平和記念像は大きかったですよ。


公園内には、世界各国より贈られた平和を願った像が、
幾つも立っていました。


平和の泉の横手に、浦上天主堂の尖塔が見えたので撮りま
した。


長崎は新世界三大夜景の一つに数えられているそうです。
泊まったホテルのバルコニーから撮りました。


翌朝、九州の旅最終日になりますが、めがね橋を見て行き
ました。


続いて福岡の大宰府に行きました。天満宮に向かう参道に
は、両側に土産店が並んでいました。


過去、現在、未来を表す橋を渡って向かいます。


楼門が見えてきました。外国からの観光客も訪れています。


大宰府天満宮御本殿です。さすがに、歴史を感じさせます。


戻る途中で心字池を撮りました。傍には、天満宮につきもの
の牛が控えていました。
この後、福岡空港へ向かい、5日間の九州の旅を終わらせま
した。

5日間で九州全県を回る、という慌しい旅行でしたが、楽し
めました。まだまだ、見る所はたくさん残っていて、いつの
日かまた、訪れてみたいと思いながら、帰ってきました。












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