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桐生トランピング情報

群馬県、特に桐生市周辺の山歩き情報をお届します。

城巡り3

2017-04-10 06:32:40 | 旅行
2017年4月5日、バスツアー「桜の名城9選」の最終日
は、まずは日本初の重伝建である妻籠宿を見学して、
それから国宝松本城に行きました。


国道256号線沿いの第1駐車場でバスを降り、家並の
細い路地を通り抜けて、妻籠宿の町並みへ出る処です。


町並みへ出た所で見た左側。


こちらは右側。まずは、こちらを歩いて行くことにしました。


歩き始めてすぐに出てきた梅の古木。苔に覆われて
いました。


少し先へ行くと右側に脇本陣奥谷(重文)がありました。


横に付けられたこの門が、どことなく趣がありました。


こちらは脇本陣の対面側にあった妻籠宿ふれあい館。
無料お休み処の札が下がっていました。


中に雛人形がいっぱい飾ってありました。いったい
何体あったのでしょう?


その並びの妻籠宿本陣。島崎藤村が務め、藤村の母の
生家だったようです。


敷地の中をちょっと覗いて撮りました。建物内には入り
ませんでした。


こちらは進行右側の郵便資料館。藤村の『夜明け前』にも
開局当時の様子が描かれているみたいです。


こちらはその斜向かいの観光案内所。明治・大正期らしさ
を感じさせる建物でした。


その観光案内所の所で道が分岐していました。左へ行く
と光徳寺、真ん中の道はやがて右の道と合流、右の道を
歩きました。


ちょっと坂を下るとシダレザクラが出てきました。


その先の町並み。宿屋が何軒か並んでいました。


松代屋という宿屋さん。表の戸が開いていたので、中を
撮らせてもらいました。今も営業しているみたいです。


道が合流する所にあった下嵯峨屋。裏で宿屋をやって
いるみたいです。


合流した道が少し高くなるので、下嵯峨屋の屋根を撮る
ことができました。昔懐かしい石を葺いた屋根でした。


これはちょっと先に行った所の石仏「寒山拾得」像。
双体像が珍しく、国内唯一のもの。


その隣の延命地蔵。江戸後期光徳寺住職が安置したと
いわれています。


上嵯峨屋。江戸半ばの木賃宿。


寺下の町並み。この先で町並みが終わるので、ここから
戻ることにしました。


戻りは上の道を行くことにしました。歩いて行くと
光徳寺に突き当たりました。


境内隅にあった地蔵堂。横に、光徳寺の鬼瓦が立て
かけてありました。


光徳寺の裏に何やら木造校舎のようなものが見えたので
行ってみました。旧妻籠小学校でした。


近くを通りかかった御婦人に尋ねたら、南木曽小に
合併されて、今は皆そちらにいっているみたいです。
子供がいなくなった、と嘆いておられました。


最初の地点まで戻り、こんどは反対側の町並みを歩き
ました。右に水車小屋、その前の熊谷家住宅、真ん中
に見えるのは高札場です。


いろいろな高札が掲げられていました。


その先を行った所に、口留番所跡という表示が立って
いました。関所の跡みたいですね。


さらにその先の鯉岩。余り鯉には見えないのですが、
地震で頭の部分が落ちてしまったそうです。ここ迄で
妻籠宿の見学を終了し、バスへ戻りました。


最後のお城、国宝松本城へ向かう処です。周囲一帯は
松本城公園になっています。


こちらは天守裏側になるのでしょうか、内堀に浮かぶ
ような形で堂々たる姿を見ることができました。この
後、時計と逆回りの方向に歩いて行きました。


斜めの方向から見る位置にきました。


これは横からの位置ですね。


本丸への入口近くまできました。


入口から入って、この黒門を抜ければ本丸です。


本丸にきて、正面から松本城天守を撮りました。


天守内に入って、使っている梁の太さに驚き、思わず
撮ってしまいました。


突上戸から下に見えた本丸を撮りました。


天守最上部中の様子。


鴨居に国宝指定書が掲げられていました。それによると、
天守五棟が昭和27年3月29日に国宝指定されました。


こちらは中層部(四階)の御座所。四方の格子から光が
入ってきます。


月見櫓の内部。ここから夜空に浮かぶ、あるいは内堀に
映す月を眺めたのでしょうか?


外からその月見櫓を撮りました。


最後、埋橋を前に斜め方向から天守を撮り、今回の城巡り
を終了させました。

今回の9城巡り、移動距離が長く、中々一カ所で時間を
とれなく、見残した所がいっぱいあったと思います。
それでも少しは、日本の築城技術の粋を垣間見ることは
できたかな、とも思っています。こうした企画があれば、
また参加したいですねー!?
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城巡り2

2017-04-09 14:53:20 | 旅行
2017年4月4日、バスツアー「桜の名城9選」の二日目
は、墨俣一夜城、彦根城、長浜城、犬山城、岐阜城に行きま
した。


4日の朝まだき、大垣市のさい川さくら公園にきました。
豊臣秀吉(当時はまだ木下藤吉郎)出世の発端となった
墨俣一夜城に向かって堤を歩いて行きました。


墨俣一夜城です。この地は、長良川に合流する川が
集まる場所でした。


一夜城址公園内には、ひょうたんの形をした絵馬が
ぶら下がっていました。


天守閣を裏側から撮りました。


公園堤のサクラはこれからの処でした。あと2、3日も
すれば一斉に開花しそうでした。
この後、国宝彦根城に向かいました。


彦根城傍のいろはバス駐車場から城内に向かって
佐和口を歩いて行きました。両側は中堀です。


内堀に架かる表御門橋を渡って城内へ入りました。


道筋には歴史を感じさせてくれる石垣が出てきました。


太鼓切。左へぐるっと回って上って行きました。


廊下橋を渡り、天秤櫓(重文)を潜って太鼓丸に出ます。


太鼓丸を進み、この太鼓門(重文)を抜けると本丸でした。


本丸で前方の天守(国宝)を撮りました。


横では、ひこにゃんが観客に愛想を振る舞っていました。


天守から下の本丸を撮りました。人垣はひこにゃんの前を
囲んだもの。


反対方向(西)には琵琶湖が広がっていました。ここから
見えたサクラも開花までもう少しの処でした。


天守内部。もう、人がたくさん上ってきました。


天守を下りて、後ろ側の西の丸を行くと三重櫓および続櫓
(重文)に突き当たりました。


三重櫓から琵琶湖方面を撮りました。


三重櫓を出て、右(東)の黒門側へ下り、玄宮園に架かる
橋の上から内堀を撮りました。左が玄宮園側、右が城内。


玄宮園へは、まず下屋敷である楽々園に入りました。
玄宮園はこの楽々園の後園にあたります。


楽々園御書院棟。ここから前の庭を眺めたのでしょう。


枯山水の庭。その向こうが玄宮園。


玄宮園にきました。この後、時計回りに歩いて行きました。


目の前に見える建物は臨地閣。その後方に天守が見え
ました。


さらに左に進んで鶴鳴渚前にきました。やはり、後方に
天守が見えていました。


先に進んで臨地閣が横に見える所まできました。臨地閣の
後の建物は茶席の鳳翔台。


玄宮園を出た所の二季咲桜。水戸市から贈られたもので
冬と春に花を付けるみたいです。


これは、バス駐車場へ戻ってから、そのちょっと先へ
行き撮った中堀と佐和口多門櫓(重文)です。


彦根城の後は、長浜城に行きました。秀吉が築城した
お城ですね。琵琶湖畔の豊公園にありました。


天守閣入口の方へ回ってきました。


天守内には入らず横手裏の方へ行きました。そこにあった
天守閣跡。秀吉の像が立っていました。


琵琶湖内にあった太閤井戸跡。


天守の周りをぐるっと回る形で歩いて行くと長浜城石垣
出土地の碑が立っていました。ここから採れた石で城が
築かれ、その後廃城によって彦根城に再利用されたみたい
です。


公園内から長浜城を撮りました。前の花はサクラではなく
ウメでした。


バスに戻るとき雪を残した山を撮りました。ここへ来るまでも
ずうっと見えていたのですが、後で調べたら伊吹山でした。


次に、やはり国宝の犬山城へ行きました。写真は犬山城
へ向かって歩いている処で、右側には猿田彦神社、
三光稲荷神社、針綱神社などが並んでいました。


犬山城本丸門前まできました。


国宝犬山城です。天守内に入る人が列を作っていました。


天守入口の横から見えた石垣とつけ櫓を撮りました。石垣は
そんなに大きくなく、また加工もされていない自然石を使って
いました。


さきほどのつけ櫓の内部です。天守へ突入する敵を、横
から攻撃するためのものなのでしょうか?


天守上部から下の本丸を眺めました。


こちらは西方向の木曽川です。


城から戻って、道路を挟んで反対側に位置した犬山神社へ
寄りました。


拝殿が賽銭箱を置いてあるだけで、まるで神楽殿の
舞台のようでした。針綱神社も同様の作りをしていて、
この地ではこれが普通のことなのでしょうか?


犬山神社を出た所にきれいなシダレザクラが咲いていました。


最後に、道路まで出て犬山城を撮りました。


続いて、この日最後の見学先岐阜城のある金華山です。
麓の岐阜公園内を歩いてロープウェー乗り場に向かいま
した。山の上の小さな天守閣が分かりますか?


ロープウェーのゴンドラの中から山腹にあった三重塔を
撮りました。


ロープウェーを降りて、天守閣へ向かうと出てきた天下
第一の門。この後、どんどん上って行きました。


これは第二の二の丸門。


やがて岐阜城天守閣が見えてきました。斎藤道三、
織田信長の居城ですね。


天守閣入口脇にあった時計。文字盤の時刻表示が干支に
なっていました。


天守から下に見えた長良川を撮りました。


天守閣を出た所から上を見上げて撮りました。ここの石垣も
加工なしの自然石が使われていました。

4日の見学はここ迄で終わりました。この後、ここから下呂
温泉まで移動しました。この日は、5城を見学。道中が長く
時間がかかりました。でも国宝2城は見応えがあり、特に
彦根城はまだまだ見るべき所を残し、もう一度訪れたいとの
思いが強くしています。
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城巡り

2017-04-09 09:38:55 | 旅行
2017年4月3、4、5日の三日間、「桜の名城9選」と題した
バスツアーに参加して城巡りをしてきました。初日の3日は、
掛川城、岡崎城、名古屋城を見学しました。


掛川市に着き大手門駐車場でバスを降り、掛川城へ
向かって歩き始めました。


まず最初に大手門を通り抜けました。


大手門を潜るとすぐ目の前に大きな平屋がありました。
大手門の門番所でした。


逆川の川沿いに、「カケガワザクラ」と名付けられた
サクラが咲いていました。


掛川城です。山内一豊で知られていますね


石段を上り(これが結構きつい!)、天守閣へ入って
最上階から下を眺めました。左寄りの大きな建物は
二の丸御殿です。


これは石落とし。天守内所々に設けられていました。


天守閣を下りてから御殿に行きました。藩主の公邸だった
り、藩内の公務などをつかさどった所ですね。


御殿内の様子。幾つもの部屋がありました。


御殿を出た所にツツジが咲いていました。早いですね!!


もう一度天守閣を撮ってから、バスに戻り、岡崎城に
向かいました。


岡崎城の大手門。岡崎城跡は岡崎公園になっていました。


公園内に入ってすぐ、城を模した電話ボックスがありました。
面白いので即撮ってしまいました!


天守閣に向かって歩いて行く途中にあったサクラ。
オオシマザクラでしょうか?


岡崎城。帰ってから気づいたのですが、松が二本じゃまして
全容がしっかり撮れていませんでした。


天守内から撮った景観。


天守閣を出て、元来た道を戻る途中で撮った濠跡。何か
一番城跡らしさを感じさせてくれました。


濠沿いに歩いて行った所にあった井戸。家康産湯の井戸
だそうです。


戻ってきた所で何か奏でる音が~。二の丸能楽堂で雅楽の
演奏をしていました。皆な普段着なので、公式な演奏会で
はなかったみたいです。勿論無料でした。


広場中央で丁度からくり時計台が動いていました。この後、
パーフォーマンス終了で三方に開いた扉が全部閉じられて
しまいました。


その時計台近くの人だかりの向こうで、武将隊による演武
が行われていました。後の建物は家康館です。


次に、この日最後の名古屋城に行きました。写真はバスを
下りて、前方の城内へ向かう処です。


正門に着ました。


正門を潜って西の丸を歩き始めました。


直ぐ左手に見えてきた天守閣(奥)と西南隅櫓(手前)です。


西の丸をかなり歩き、左へ曲がった所の表二之門です。
その先が本丸ですね。


本丸に巡ぐらされた濠。見えている櫓は東南隅櫓。


二之門を抜けるとすぐに御殿。まだ真新しく、周りでは
復元工事中の所も。内部へはこの玄関からは入れず、右横
中央部から入ることになっていました。


御殿には入らずそのまま進み、本丸から天守閣を見上げ
ました。金の鯱も見えました。


天守閣への入口です。


入った所のエレベータ前にあった鯱。


エレベータで上がって、下を眺めました。中央が歩いて
きた本丸部。右に小さく見えているのが御殿の一部。


天守閣内部を見て歩くと、石垣運びを再現した展示が
ありました。実際に前後に動くのでした。


名古屋城に使われている石垣の石の表面には、このような
記号が刻まれているのが多く見られるみたいです。誰が
築造担当か分かるようにするためみたいでした。


天守閣を出て、不明門を抜けて裏手の御深井丸へ行く
とあった天守礎石。旧天守閣に使われた石をここへ
移設したみたいです。


その先にあった石棺式石室。松江にあった古墳のもの。
何故ここに?


本丸へ戻って御殿へ回る途中、枡形の石垣先にあった
旧二之丸東二之門。


本丸御殿に入って、内部を見始めました。


表書院。各部屋には襖や床の間にいっぱい絵がありました。


藩主の私的な対面所。二重の天井が珍しいみたいです。


最後、西之丸を戻る途中でシダレザクラを撮りました。往き
のときは、人がいっぱいたかっていて撮れませんでした。

城巡りの初日、時間の制約もあってなかなか全部は見切れ
ませんでした。それと天守閣は上り下りが忙しく、勾配も
あって大変で、周りを見る余裕に欠けてしまった気がしま
す。果たして、この後どう転回するやら…!?
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金沢・白川郷・高山その2

2016-12-01 10:21:07 | 旅行
2016年11月23日、24日、金沢・白川郷・高山へ
バス旅行し、今回はその2です。宿泊した金沢を朝出発し
目的地へ向かいました。


出発の前、宿泊した香林坊近くの柿木畠を少し歩きま
した。写真は、その地を表す石の標識。


その標識をちょっと行った所にあったオブジェ。何を
表しているのでしょう?後の建物は教会。


川があって、下流側で二股に分かれていました。何か
意味があってそうしたのでしょうね!


歴史を感じさせる重みのある家がありました。傍で落葉
掃除をしていた人に尋ねたら、(現任の)県知事公舎だ
そうです。どうりで、門脇に警察官立寄所が設けられて
いる、と納得しました。
この後、白川郷へ向かいました。


観光駐車場へ着いて、この「であい橋」を渡って合掌集落
へ向かいました。後方の山には、うっすらと雪が残っている
のが見えました。



以外と揺れたであい橋上から庄川を撮りました。


これが集落中央を貫く本通り。展望台行きのバスに乗る
べく、ここを急いで、最後は走って行ったのですが、バス停
に着いたら長蛇の列。あきらめて、歩いて行くことにしました。


バス停から展望台へ向かう途中にあった柿の木。実が
いっぱい残っているのにちょっとびっくり! 思わず撮って
しまいました。


展望台への上りが始まる所にあった小屋風の建物。後で
出てくる大きな合掌造りの建物も勿論いいですが、こういう
素朴な感じがするのもいいな、と思い撮りました。


展望台から撮った白川郷の景観です。本通りを挟んで
集落が並んでいる様子がよく分かります。


展望台の柵伝いの細道を少し行くと、この標識がありました。
史蹟萩町城跡、と表示されていました。


奥へ進むとあった弘法堂。


展望台から下りてきて、和田家へ向かう途中でまだ残って
いたアジサイを見て、パチッ!と一枚。


こちらは田んぼの中の一軒をちょっと遠かったのですが
一枚! これもいいですね。


こちらが和田家。重文指定です。白川郷を代表する
茅葺き合掌造り住宅ですね。


和田家の裏の方へ廻り込んで歩いて行くと、ちょうど
葺き替え工事中の家がありました。でも、よく見る村
総出で葺き替えているのではなく、専門の工務店で
工事しているように見えました。


所々にこの三角形の構築物がありました。後で気が付いた
のですが、放水銃が納めてあるものですね。防火訓練で
一斉放水している写真を見たことがあります。


こちらは田中家。食事処です。


民芸館の神田家。


五階建ての長瀬家。最大級との説明板が立っていました。


道脇の堀にはニジマスが泳いでいました。珍しいですね!


合掌造りの家をバックに、案山子を前に大勢の人が写真
を撮っていました。殆どが中国からの観光客みたいでし
たが…


こちらは明善寺というお寺の庫裡です。庫裡も茅葺なの
ですね!


鐘楼、本堂も茅葺でした。


こちらはかなり外れになった所にあった白川八幡社です。


その八幡社の横には「どぶろく祭りの館」という建物が
ありました。どんな祭りなのでしょうか?
この後、高山へ向かいました。


高山は、高山別院という駐車場に着きました。浄土真宗
大谷派の照蓮寺別院で、その山門の左横が駐車場に
なっていました。ここから歩き始めました。


大通りに出て、鍛冶橋方面へ少し行った所を左に曲がって
歩いて行くと出てきた飛騨高山まちの博物館です。無料で
入れるみたいです。


そのまま進んで高山市政記念館にきました。旧高山町役場
ですね。


ここを右に真直ぐ進むと宮川に架かる赤い中橋があって、
その橋の上から撮りました。


さらにその先を行った所の高山陣屋。国史跡で、江戸時代
から唯一残っている陣屋ですね。


その陣屋前の交差点脇に銅像が立っていました。若き日の
山岡鉄舟で「青雲」の文字が表示されていました。父親が
郡代だった関係で若いときここに住んでいたそうです。


また戻って、中橋をすぐ曲がった所から上三之町の古い
町並みを歩いて行きました。


舩坂酒造という酒屋さん。店の奥にレストランを併設していて、
こちらで飛騨牛の昼食を摂りました。ちょっとぜいたく!!


また通りを歩くと木彫りのまねき猫が…


こちらは水車を利用したからくり人形です。


飛騨民族考古館の前を通りました。忍者屋敷ですかね?


真っ直ぐ進んで下三之町へきた所に、仙人臺という山車の
蔵がありました。同様に所々であるのを見ました。


下三之町の町並みです。


その先の大新町の日下部民芸館。日下部家は幕府(代官所)
の御用商人として栄えた商家で、その町屋建築が重文に
指定されました。


さらに並んで吉島家。造り酒屋で、こちらも重文。


吉島家の火垣。防火のための壁みたいなものですね。


大新町・二之町の古い町並みです。


桜橋の袂にあった秋葉様。防火や家内安全を願って所々に
設けられているみたいです。


表札の上のカエルが面白いので、撮らせてもらいました。


こちらは下一之町の金鳳臺。


古めかしい理髪店がありました。隣の民宿は稼働して
いるのでしょうか?


その反対側にあった高山昭和館。


昭和の時代にタイムスリップしそうですね。


上二之町へ戻って、平田記念館を見ました。大きな
造り酒屋です。


古い町並みを殆ど見終ったので、上一之町から
飛騨高山まちの博物館横を東の方へ歩いて行き
ました。こちらはその博物館の裏手になります。


何やら武家屋敷の雰囲気を醸す家がありました。角正と
いって長く続いている精進料理の店みたいです。


屋根に面白いものが見えたので撮りました。古風な
ランタンに防災の神様らしきものが…


これは煥章館といって、明治時代飛騨国で初めての
近代的学校が建てられたことを著す碑。


その煥章小学校の往時のフランス風校舎を再現した
図書館。こういう図書館が町にあるのはいいですね。
ここまでで見て廻るのは終わりにして、駐車場へ戻り
ました。

白川郷・高山とも過去に何回か訪れているのですが、実際
に現地へ着くと、あれもこれもと見て廻ることになってしま
います。特に高山は、時間に余裕を持ってじっくり見て
みたいと思うほど、いろんなものがありますね。実現でき
るようにしたいです。
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金沢・白川郷・高山その1

2016-11-30 15:12:26 | 旅行
2016年11月23日、24日に、金沢~白川郷~高山へ
バス旅行に行ってきました。
その1日目の23日は、金沢のひがし茶屋街、兼六園、金沢城
を見て歩きました。


金沢の東山観光駐車場に着いて、これからひがし茶屋街に
向かう処です。通りの向こう中央の道へ歩いて行きました。


ひがし茶屋街の入口まできました。突き当たって右へ
曲がると、昔の茶屋の町並みになります。


両側に茶屋がずらっと並んでいました。左右を見ながら
歩いて行きました。


国の重文指定になっている「志摩」。お茶屋文化館でも
あります。


その志摩の斜め向かいの「懐華樓」の入口。中をちょっと
覗いて雰囲気を味わってきました。懐華樓はここで一番
大きなお茶屋さんみたいです。


行きついた所を右に曲がり、一本南側の町並みへきました。
周辺はこのような通りが幾つもある所でした。因みに、
写真左手前の「あいおい」は人形や陶器などの店でした。


軒先にこのようなトウモロコシがぶら下がっているのを
幾つもみました。後で調べてみたら、東山に位置する
観音院の年中行事「四万六千日」で、参列者は祈祷を
受けたトウモロコシを手に入れ、古いものと交換して
自宅の軒先にぶら下げるようにしている。トウモロコシ
の実は家族の繁栄を、たくさんの毛は「儲け」「魔除け」
に通じる、とのことでした。


一方で、このような長い柄のついたスコップも見ました。
どのようにして使うのでしょうか?


もう一本南側の通り角にあった大きなお店。小間物を
扱っているみたいで、中に入ったら三味線の音が流れて
いました。


その反対側の家で、屋根に何やらガラス張りの小屋みたい
なのが載っていました。何に使うのでしょうか?


さらに南側へ行くと浅野川に出ました。駐車場の前の道を
ずうっとくると見えている橋につながっています。


ひがし茶屋街入口へ戻って、こんどは北側の道にきました。


こんな狭い道もありました。


これは何でしょう?針の山で、生け花の剣山か忍び返しか、
またまた猫が歩かないように置いてるいるのか、不明です。


かなりはずれの、北東部に行った所にあった宇多須神社。
藩祖前田利家を祀った神社です。手前には菅原神社という
神社もありました。


その社殿の床下には忍者が潜んでいました。


駐車場前まで戻ってきました。見えているお店は、昆布や
漬物などを商う「しら井」。駐車場はこの右横でした。


しら井並びのお店。右端の「米沢茶店」などみな歴史を
感じさせる建物ばかりが並んでいました。


これは通りを挟んだ反対側の家並み。ここでもガラス張り
の小屋を見ました。


ひがし茶屋街を後にして兼六園入口にきました。幾つも
ある入口のうち、桜ケ岡という所でした。


入口を入るとすぐに霞ケ池に出ました。


これが徽軫(ことじ)灯籠。金沢を象徴する景観ですね。


冬の風物詩、雪吊りの綱がはりめぐらされた唐崎松。
裏側から見ています。


ちょっと敷地左側に寄って、眺望台から金沢の中心街の
方向を撮りました。


戻って、池の中の蓬莱島を撮りました。亀の形をしていま
した。


左先を進んで雁行橋を見ました。


その先にあった明治記念之標。立っているのは倭建命
ですね。


その傍の松の中を撮りました。枝が縦横に伸びています。


そこから右側へ回って、これは根上松といいます。根が
地表に出ていることからの名でしょうか。


園の東南側に位置する重文成巽閣(せいそんかく)への門。
中へ入ってきませんでした。


ずうっと右へ回り込んで栄螺山の傍を通りました。


蓬莱島を先ほどとは反対側から撮りました。亀の尻尾が
分かりますか?


噴水。霞ケ池の水を噴き上げているみたいです。日本最古
の噴水といわれています。ここまでで、だいたい霞ケ池を
一周してきたことになります。


宿泊地の香林坊近くまできてから、まだ時間があったので
金沢城(兼六園隣)を見に行くことにしました。写真は旧四高
の建物で、現石川四高記念文化交流館。


その石川四高記念文化交流館前を通った先にあった
石川県政記念館・しいのき迎賓館。ここで左に折れて、
金沢城へ向かいました。


金沢城のある金沢公園が見えてきました。写真左辺りに
ある玉泉院丸口から公園内に入って行くことにしました。


玉泉院丸庭園の傍へきました。段上に三十間長屋が見え
ています。


玉泉院丸庭園です。ここを左に巻いて、段上部へ上って
行きました。


これはその途中にあった色紙短冊積石垣です。


二の丸広場に上がってきました。真向かいに見えている
のは五十間長屋。


三十間長屋前へつながる極楽橋の上から撮りました。
石垣と紅葉がきれいでした。


重文指定の三十間長屋です。


その三十間長屋前の紅葉もきれいでした。


三十間長屋前を真直ぐ進んで行くと、途中で木の陰に
隠れたトンネルがありました。戦中、軍部(第六旅団?)
の手によってつけられたものでしょうか?


さらに進んだ所の鶴丸倉庫。やはり重文です。


三の丸広場手前まできました。先ほどとは反対側の
五十間長屋が見えています。


三の丸広場を平行に進み右へ曲がった所の石川門。これも
重文ですね。


反対の左側(後側)へ行った所の河北門。


河北門の横に櫓が組まれていて、そこから見えた
五十間長屋を撮りました。


三の丸広場にきました。


右端の菱櫓を近くに寄って撮りました。


こちらは左端の橋爪橋、橋爪門、橋爪門続櫓です。


橋爪門、二の丸を通ってずうっと大きく回り込み、最初の
玉泉院丸口とは正反対に位置する大手門跡にきました。
実際の大手門はありませんでした。


さすが大手門口。石垣の石は大きかったです。


大手門を出た所の大手堀です。


大手堀に沿って戻る形でやってきた所の黒門口です。


その黒門口すぐ傍に、何やら歴史を感じさせるお屋敷が
あって中に入ることができたので、撮ってきました。


黒門口前を真直ぐ進んで左に折れると近江町市場の
鮮魚通り口へ着きました。時間が遅くなってしまった
ためか、閉まっている店も多かったのですが、カニなど
の鮮魚を売る店や食べさせる店が多くありました。

この日、また、盛りだくさんに見てしまいました。ここに
掲載した以外にも写真はいっぱいあって、選ぶのが大変
でした。それにしても金沢は見所がいっぱいあっていい
ですねー!!
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