きもブログ

 「いやどみ☆こ~せい」のブログ。
後悔と、
希望。
これまでも、これからも、今を刻むブログです。

ある日

2007年07月31日 23時31分09秒 | Weblog
今日は演劇の大会、一日目だった。めぼしい舞台がいくつかありました。それを今日は報告しようと思っていたのですが……

親しい人が今日亡くなったという連絡が先ほど入りました。
状況によっては帰らねばならないかもしれません。
ひょっとしたら自分の電話で防げたかもしれない死。
ここにいては状況がよく飲み込めない。
ちょっと頭の整理をしなくては。

全国理事会

2007年07月30日 21時51分59秒 | Weblog
会議が始まった。
写真で見たことのあるような顔の人々が集結していた。「こんな軽い声の人だったんだ…」と、拍子抜けすることも(笑)。

大きな議題を抱えていたが、その件については「報告」という形ですんだ。しかし……新たなる大問題が発覚!!これが本当に大問題。下手したら全国ニュースもんだぞ!?

意外と長引いた会議だった。それにしても、やはり第一線で働く人たちはチョット違う。この人たち本当に「本業(○師)」やってんの?という感じ。オーラが違う。マンガ『幽々白書』で言う「S級妖怪」だっ。あ、失礼。シブい声の人たちがとにかく多かった。

明日もまた会議。「佐賀県」が出る幕は、今のところなさそうだ…。「出る」ような事態になったら、それはそれでまずいけど。

松江到着

2007年07月29日 18時08分24秒 | Weblog
松江に着いた。今日から五日間ここでお仕事。ネットにつなげる環境でよかった。(とはいえブログは携帯からのアップですが。)

今テレビであっているニュースによると、現在の島根県の選挙率は全国で最も高いらしい。佐賀とはやはり異国。どちらかといえば雰囲気は長崎に近いかな。
心を研ぎ澄ます五日間。
ぼちぼちアップします。

報復の論理

2007年07月26日 22時59分09秒 | Weblog
 大阪府の21歳男性が、踏切付近でで「非常ボタンを押す」というイタズラを何度もやって逮捕された。どうしてそんなことをやったかというと、「以前、踏切のせいでバイトに遅れたから」だとか。
 まぁ俗にいう「腹いせ」ってやつか。バイト先で相当怒鳴られたのかなぁ。ともかく彼は、その「腹いせ」に見合わぬほどの「償い」をすることになってしまった。
 高速道路のパーキングエリアのトイレは落書きだらけだ。以前「こっちを見ろ→」「こっち→」「→馬鹿がみ~る」という落書きがあり、その下に、「誰が馬鹿じゃ、表出ろ!」と落書きに落書きで応戦しようとしているやつがいた。もちろん冗談だろうけど。でも、そんなしょうもないものまで含めたら、自尊心を傷つけられて憤慨する人間はたくさんいる。
 俺にとって、「腹いせ」っていう行為には格好悪さを感じる。見方を変えれば、「報復」、「敵討ち」になることもあるんだろうか。
 イラクで韓国人の人質23人が拘束された事件。背景をたどればこれも「報復」。見方を変えれば「腹いせ」にもなるのだろうか。平和を訴えないといけない。でも、漠然と、博愛的に平和を「訴える」ことができる人間は、限られている。それは平和な立場にある人間だ。自分の家族、友人、もしくは自分自身が酷い目にあえば、「報復」という行動を人はとりたがる。精神的な、具体的に言えば宗教的なつながりを持つ人々にとって、同じ民族、「同胞」は家族同然かもしれない。そうなれば、同族が傷ついただけでも「報復」を訴える人間は次第に広がっていく。「どうでもいいじゃん」と思えるのは、無関係であればこそ。でも、無関係な人間こそ「冷静」になることができて、しかも「平和」を知っている。だから「平和」を訴える権利と義務があるかもしれない。でも平和だからこそ、「飛び火」をおそれてしまい、手も足も出ない。
 「報復」「仕返し」…。あんまり好きではない。平和主義者というより、恐がりなのか。「闘う」のも「戦う」のも、どちらかというと苦手。自分の短所でもあるんだろうけど。でも、「仕返しの連鎖」が面倒なのはよく理解しているつもりだ。面倒はきらい。だから闘わない。まだ自分が軽く痛めつけられたうちに物事が終了した方が、楽なんだ。
 逃げて逃げて、自分の居場所を見つけて、自分の好きなことをやって、自分の好きな人間ばかりを周りにあつめたがる自分。
平和的で社交的で、独善的で内向的だ。

タイム・トラベル

2007年07月25日 00時30分59秒 | Weblog
 父は相変わらず行方不明だ。警察からの連絡がないかぎり、彼は「生きて」いる。そう思わないと、日常生活がうまく送れない。というより、いつ「喪中」になるかわからないような不安な日々を、毎日全力で受け止めるほどの精神力が、俺にはない。だから頭の片隅に…そうだなぁ、消費税ぐらいの割合で、頭の隅っこに置きながらなんとなく生きている。だから残念なことに、100%のスッキリ具合で生きることができない。それは、生まれたときからできていないのかもしれない。まぁ、人生、誰だってそんな感じで生きているかな。
 「後日談」として、母が言ってきたことがある。五年ほど前、父が佐賀にひょっこりとやってきて、会いに来たらしい。別れた母にこっそりと。俺と会うのはさすがに怖かったんだろうか。最初そのことを聴いたときは、「へぇ、寂しくなって別れた妻に会いに来たのか」と思っていたが、考えが甘かった。用件は、「健康器具一つを買ってくれ」…と、「まとまった金を貸してくれ」の二つ。まぁ、冷静に考えたらそんなところだろう。もちろん母は「そんな金はない」とつっぱねた。まぁノコノコ会いに行った母もお人好しというかなんというか…。
 母曰く、数年ぶりに見た元夫はかなり太っていて、顔色が悪かったらしい。人の顔を見ずに延々と自分の話をするあたりは、全く変わっていなかったとか。でも、別れ際には、「コウセイに、大学合格おめでとう、と伝えといて」と話していたらしい。当時俺は27歳。「大学合格おめでとう」とは何事だ(笑)。もう卒業して就職もしていたというのに。…と、最初その話を聴いたときは笑ってしまったが、しばらくして母も俺も黙ってしまった。
 止まった時間。動いていなかった歯車。父はそれを戻す術を知らず、だからこそ、27歳になる息子に対するメッセージがそれだったのだ。彼が身勝手に選んだ道だから、情けをかけるつもりはない。ただ、父の気持ちがわからないでもなかった。
 彼ともし、再会する日が来たとしたら、その時の俺の感情は、「驚き」だろう。再会することに「切望」も「嫌悪」もない。だって「消費税率程度」にしなくちゃいけないから。だからこそ、会ったときは「驚き」だろう。俺も、父も、互いに十数年前の顔しか知らない。十数年前の出来事のみが真実である。それ以外の、市役所や警察や元友人の「うわさ話」によって形成された「父」は、リアリティに欠けた存在である。もし俺が会えば、まさしく浦島太郎か、タイム・トラベルの世界。その日がどんな形で訪れるかわからない。訪れないかもしれない。訪れなくてもいい。
 でも、「切望」も「嫌悪」もないけど、父が潜んでいる「頭の片隅」が、ちょっとだけ重くて、切ない。

ビッグマン

2007年07月23日 19時58分07秒 | Weblog
久々の「明るい時間」の帰宅。でも「19時半」ってこんなに明るいのか!?

昨日、鳥栖からの帰り道にコンビニに寄った。なんだか妙に腹が減って、レジにおいてあった「ビッグアメリカンドッグ」を食べたくなった。レジには若い男の店員。

俺「すみません。ビッグアメリカンドッグ一つください。」
店員「え、アメリカンドッグのことですか?」
俺「はい、そうです。」
店員「あのぉ、『ビッグ』は『フランクフルト』のほうで、アメリカンドッグの商品名は『アメリカンドッグ』なんですけど…」
俺「え?」
店員「ですから、『ビッグアメリカンドッグ』じゃなくて、『アメリカンドッグ』です。『ビッグフランクフルト』ならあるんですけれどもぉ…。アメリカンドッグで間違いないんですよね?」

とのこと。
え?でもケースの外側にはきちんと「ビッグアメリカンドッグ」って書いてある。ははぁん…。レジ側か、もしくは機械の方には「アメリカンドッグ」って書いてあるんだろう。それにしても、俺は別にこんなコトで腹を立てるようなおショボさんではないが、このお兄さんの今後の人生が不安になった。例え俺の「ビッグアメリカンドッグ」が間違いだったとしても、店員としてはその誤りを訂正せずに、「アメリカンドッグですね?ソースはつけますか。」と切り返せば、客も恥をかかずにすむのになぁ。でも、間違いを正さないと気が済まなかったのか。

俺「あ、はい。アメリカンドッグ一つです。」

相変わらず優しいなぁ。俺。きっと俺の半ぶんは「優しさ」でできている。

いや、でもまてよ。この店員さんに「『ビッグアメリカンドッグ』一つ!」と頼む人はマダマダいるだろう。(だってそう書いてあるし…。)で、もし相手が怖いおじさんだったら、彼はとんでもない目に遭うかもしれない!!伊万里湾か、玄界灘か、有明海か…、彼が海に浮かぶ姿を俺は見たくないっ!
ここで俺が、いつもの甘ったるい口調で「あ、でもここには『ビッグアメリカンドッグ』って書いてありますよ、ほら。」と指摘していれば、彼は被害に遭わずに済んだかもしれない。しかし時遅し。僕はもうイエローサブマリン号の中。さようなら店員さん。世の中には「正しいこと」と「正しくないこと」と、「正しいことにしたほうがいいこと」が存在するんだよ…。

面倒なことになるのが嫌だからという理由で、「あぁ、はいはい、いいよもう。」で対応すると、いずれ相手が困ってしまうかもしれない。自分が「温厚」な性格であるならば、その自分にこそ間違いを指摘してやる「役割」があるのかもしれない。かな。なんだか学校の先生が言うようなことを書いてしまった。あはは…。

さて、散歩でも行くかね。いつもは暗い道を、明るいうちに歩いてみるか。
でもさ、6年以上住んでるというのに、たぶんここいらの人、まともに俺の姿見たこと無いだろうな。

Read My Mind

2007年07月21日 00時23分34秒 | Weblog
TSUTAYAに行った。何かのヒントを探しに、洋楽コーナーへ。頭文字「s」の歌手の場所で、懐かしいCDを見つけ、ふと立ち止まった。

洋楽を劇の中で用いたのは、これまでに二度しかない。たぶん。覚えてる限りでは。
そのうちの一つが、sweetboxの『Read My Mind』。

舞台は「学習塾の中」。昔の幼なじみ同士が、同じ大学の同じ学科の後期試験を受験することに…。その試験科目は、「討論」…。

意見を的確に論理立てて述べるのが討論。でも、本当に思っていることを言うと、そこですべてが崩れてしまう。大学進学の夢と、友情。

お互いが思っていることを簡単に理解できたなら、的確に論理立てて物事を述べる必要もない。「友情」を訴える、稚拙で言葉にならない叫びは、むなしく意味もなく消えていく。


この舞台が終わってから約二年が過ぎた。でも、その後も、何度も車の中でこの曲を聴いた。聴くたびに、感じること、思うこと…、とても多い。

今日、幾人かの役者が引退した。私生活では自分の思いをやたらとぶつけることはないけれど、舞台上では自分の思いを、時には「役」という存在に頼りながら、精一杯発散していた。味のある役者だった。みんな。

思いを言葉にすることは難しい。心を読める人間になり、ものを言わずとも人に「悟らせる」ような策を考える人間になったとしても、最終的にはそんな人は「不器用な人間」に属してしまうんだろう。でも。頭でっかちでクヨクヨする人間が不器用なら、「器用」って何なんだろうと考えてしまう。

さて、そろそろ次の台本を考えなくてはいけない。八月中に2つ。
寝ようにも緊張で眠れそうにない。
こういうのを不器用っていうんだな。

リハーサル

2007年07月18日 22時13分51秒 | Weblog
リハのとき、何気なく客席を眺めていた。評価はともかく、六年チョイで二十数本のお話を書いてきたが、自分自身は一度も「ホールの舞台」に立ったことはない。いつも客席から、ハラハラして観ている自分。そんな自分が座る場所を、ちょっとだけ高い舞台から見下ろしてみる。

役者は役を割り当てられた瞬間、二つの人生を生きる。自分と、役と。大袈裟に言えば。
時には自分にできないことを、割り当てられた「役」は簡単にこなしてしまう。大人しいやつが「騒がしい人間」をやり、いつもはふざけた人間が「人を泣かせる役」をやり…。時には、自分と役が戦うこともある。でも最後に、舞台でスポットライトを浴びているのは、自分に瞬間的に打ち勝った、もうひとつの人生なんだ。完璧、無敵な、もうひとつの「自分」。

雁首そろえて並んでいる客席。客体。光る憧憬を目の前に、揺れ動く客体。戦っているのは舞台ではなく客席かもしれない。その中に、もやもやと歯切れの悪い自分がひとり座っているのだ。どうしようもないほどの心配顔が。

リハーサル。台詞のないのっぺらぼうが、ぼうっと舞台上に立っている。光で溶けてしまいそうだ。
気持ちいい。
少しだけ、自分から離れた一瞬が、気持ちよかった。

明かりの灯るところへ

2007年07月17日 00時51分36秒 | Weblog
いい舞台だった。
少なくとも、そう言ってくれる人が、比較的多かった。
たまに、舞台が作者のイメージの膨らみを越えそうになることがある。今日はそんな舞台だった。でも、あくまでも作者のイメージを越えたというだけ。作者のイメージがこんなに乏しくなかったら、もっともっといい作品に巡り逢えたかもしれない。作者こそ、甘えてはいけない。頑張らなくては。
明かりの灯るところへ、新しく歩み出した「新入り」たち。そして、明かりの灯るところから、ちょっとだけ離れてしまう仲間たち。
スポットライトはどこにでもある。それぞれで決めた光の下に潜り込む。でも、こちらから見えない場所、「客席」からは見えない光の下に行ってしまう仲間を思えば、少しだけ寂しい。
今日はとてもいい日で、寂しい一日。

玉置浩二の『明かりの灯るところへ』。
久しぶり聴いて、センチメンタルな気分になってしまいました。

明日天気に

2007年07月16日 00時02分19秒 | Weblog
明日、舞台本番です。
初舞台と引退の舞台が混ざり合った舞台。
一緒に夢を追いかけた仲間と、これから夢を追いかける仲間。何気ないひとつひとつの言葉が、自分の感情をゆさぶって仕方がない。
明日の舞台。放たれる強い光を、しっかりと観ておきたい。