きもブログ

 「いやどみ☆こ~せい」のブログ。
後悔と、
希望。
これまでも、これからも、今を刻むブログです。

佐賀市へ

2005年09月30日 22時37分47秒 | Weblog
出張ということもあり、実家にもどってきた。金が無い上にガソリンがエンプティー。ガスケツってどんな感じなんだろう。
自宅で大学時代に作ったジグソーパズルを見つけた。根性なしだったくせによく作ったもんだ。そういえば昔1ピースほどなくして、メーカーに送ってもらったことがあったな。家で無くしたんだろうか。


一つだけ願いが叶うとしたら……

2005年09月23日 12時51分58秒 | Weblog
 ……という「お題」が出されているようなので書いてみました。
 この場合「一つだけ」というのがミソなんだろう。叶えたいものが多ければ多いほど、「コレがあればそのほとんどが叶えられる」というものを一つ望むだろう。そうなれば、ベタだが恐らく「金」ということになるのか。ただその金の使い方次第では、健康になることもあれば不健康になることもあるだろう。結局は不幸を買うことになるかも知れない。残念だが、自分には上手く金を扱う自信がない。
 一つだけ願いが叶うなら、を真剣に考えれば、「今後どんな願いでも叶うようにして欲しい!」などとトンチを利かせてみたくもなる。まぁこれを思いついたところでイイコトは一つもない。そこから先の話題がなくなるだけである。やめよう……。
 最高の台本を書きたい……。リアルに答えるならそんなところなのだろうか。ところがこの「最高」が問題なのである。誰にとっての「最高」なのか……。「誰から見ても」というのは無理である。お客が笑って、泣いて、感動して、それで勝てるかといえば、そうではない。勝ち負けを抜きにして「お客さんの反応」が最高であればいい……といいたいところだが、じゃぁその「お客さん」とは、絶対的多数を指すのか、「あの人に感動してもらいたい」といった特定の人を指すのか。考えてみればきりがない。じゃぁ「自分にとって最高の台本」が「最高」なのか。それが一番近いのかも知れないが、いつも書いた後は(しょうもない台本でも)「コレ最高!」と思っている自分にとっては、あまり有り難味がない。
 ♪もしも~生まれ変わっても またわ~たしに生まれたい♪
という歌が一昔前に流行った。冷静に考えればすごい歌詞だ。『生まれ変わって「も」』なのである……。
 今の自分はとてもとても「最高」の状態だとはいえないが、だからこそその先を夢見るのが楽しい。めちゃめちゃ夢に向かって頑張っているときに、第三者から「その夢、叶えてしんぜよう」と言われても、「ハァ?」という気持ちになってしまうかもしれない。
 借金もある。独身だし、給料も少ない。だからこそ夢はできる。だからこそツマンナイ人生ではないとはっきり言える。……かもしれない。と考えれば、とりあえず、誰かに叶えてもらいたいような「願い」は無いのかな。
 あ、でもやっぱり金は……

欧州!応酬!?琴欧州!!

2005年09月22日 23時42分46秒 | Weblog
 秋場所、琴欧州の調子がいいらしい。新関脇で12連勝。優勝も間近である。
 強い外国人力士といえば、これまで三角体型の巨漢ばかりだった。ところが琴欧州はチョット違う。なんかカッコイイ。名前が「アレクセイ」であってもおかしくないような、そんな気風もある。まずもって素晴らしいのは、「ここに来るまで良く稽古に耐えたな」ということ。稽古の厳しさから相撲界を去っていった外国人力士は数知れずという。
 朝青龍に然り、外国人力士の強さが目立つ。だからといってそれが相撲人気の衰えに直接つながることはあるまい。この状況だからこそ、新たな国産の超新星が誕生するのを心待ちにしている人もいるだろう。力道山や猪木が、外国人レスラーを倒していくような、あの時代の快感を心待ちにしているのである。(プロレスと相撲は根本的に違うだろうが……。)
 一方、母国ブルガリアのみならず、欧州では彼の活躍が話題となっているらしい。日本の国技の頂点に立とうとしている一人の若者は、朝青龍と同じく国の英雄になろうとしている。
 サッカーの海外組や日本人大リーガーもまた、今までにない期待を持たせてくれることがある。本場の外国人たちが、彼らの能力に驚く姿を見ると、なんだか嬉しくなってしまう。普段は意識しない日本人の愛国心は、スポーツを通してたまに顔を出す。人間は、競うものがあれば身近なものを応援するように出来ているのだろうか。甲子園で自分の母校を応援する。負ければ県の出場校を応援する。それが負ければ同じ地区を応援する。それも「競うものがあれば」の話である。佐賀に住む私は、福岡と大分が決勝で闘ったとしても、九州勢の活躍は嬉しいかもしれないが、身の置き所に困るのである。「どっちもがんばれ」という立場しか取りようがない。そんな状態では愛着も生まれようがない。
 そう考えれば、愛国心が生まれるためには、諸外国にそれ相応の「ライバル」や「敵」が必要なのであろう。「愛国心」が生まれる条件……。微妙な条件である。ただ別の見方をすれば、愛国心の薄い日本は、まだまだ平和だと言っていいのだろう。しかしいつの日か、強烈に日本を愛する日が来てしまうのかもしれない。
 

九州男児というレッテル

2005年09月19日 16時30分57秒 | Weblog
 TV東京で番組収録中に事故が発生。「九州男児の度胸を試す」ということで素人が高さ10mから飛び込む……というシーンを収録中、鹿児島市の男性飲食店従業員(25)が骨折した。3カ月の重傷だとか。
 つっこみどころはたくさんあるが、まずもって思ったのが、何故そんなシーンを撮る必要があったのか。地域密着でもなし、視聴率獲得のためでもなし、バラエティーとも言えず……。ほんの数分使うつもりで撮ったのか、そこは定かではないが、発想がお粗末としか言いようがない。
 あと一つ。九州男児とは何ぞや……。内村がバラエティー番組で「九州男児」というキャラクターを演じていたことがあったが、その名残だろうか……。少なくとも九州男児の肝が据わっていると感じたことはない。度胸があろうがなかろうが、危険なものは危険。折れるものは折れる。度胸と骨密度は関係ない。
 テレビカメラが回っていて、「さあ飛び込め」といえば、飛び込む人は何人もいるだろう。怪我した男性には気の毒な話である。
 レッテルが貼られると、それを面白がるという風潮は確かにある。高校卒業後他県に出て、「佐賀県民」というだけで「ヤンキーがモテるの?」とからかわれた奴が何人いただろうか。はなわの批判をするつもりはない。ただ、レッテルを貼る前に確認しときたいことが山ほどある。レッテルを読み取る前に、見て欲しいものが山ほどある。
 

模倣犯は誰が生む

2005年09月17日 23時50分37秒 | Weblog

 JR北海道で、置石ならぬ置き材木(?)が見つかったらしい。幸い事故にはつながらなかった。 尼崎の脱線事故以来、児童からオジサンまで……模倣犯たちが、線路にモノを置くといういたずらが多発している。「電車が転ぶところを見たかった」と素直なコメントを残す小学生。「物事の分別がつかないのだからしょうがない」と言いたいところだが、コトが起こってしまえばそれでは済まされない。
 近所で置石の事件などが起こると、先生達は教室や体育館では口うるさく言ったはずだ。「線路にモノを置いたら電車が転びます。危ないからぜったいしてはいけません」と。でも、情報を中途半端に受け取った小学生(低学年)ならば、「へぇ~、電車は石で転ぶのか。」と感動してしまう。子どもを動かす好奇心の大きさは、大人の想像をはるかに超えるのだ。
 「インターネットに犯行予告なんか書いてはいけませんよ。」→「へぇ~インターネットでそんな面白いことやってるんだ。」
 「オレオレ詐欺で○千万円稼いでいた詐欺集団がつかまりました。」→「オレオレ詐欺ってそんなに儲かるのか……」
 「自殺サイトを見て集まった仲間が集団自殺を図りました。」→「そんなサイトがあるの?ちょっとだけ見てみようかな」
 大人だって同じことだ。教訓であれ忠告であれ事件であれ、一度テレビの画面を通せば全て宣伝になり得てしまう。「情報は、受け手の正しい判断も大事だ」とはよく言われることだが、児童には無理である。一部の大人たちにも「正しい判断」は難しいだろう。そんな危ない現実を、すべて「おり込み済み」で踏まえつつ、ニュースはどんどんと飛び交う。もう後戻りはできないだろう。「せめて自分だけは……」気をつけよう。それしかない。
 今日もまた、長崎の学生が自らの命を絶った。いたずらや犯罪だけではない。悲しみの連鎖はいつまでも続いてしまう。


さっそく今日のニュースから。

2005年09月16日 23時03分33秒 | Weblog
 「ジャニーズ事務所」は、早稲田大と提携し、大学生と共同で舞台を制作したり、公演していくという計画を立てているらしい。 学生演劇から優れた才能を発掘し、実践を通じて育てるのが狙いだとか……。  学生演劇か……。未開拓分野だからこそ手を広げたのだろう……。ありがたいことですね。
 このまえデッカイ本屋さんで「演劇関係の本ありますか?」と尋ねて演劇コーナーを紹介されたが、あったのはたったの3冊。「園芸」関係は近くにあり、100冊以上置いてあった。 演劇に関することであれば、今は全て応援したいですね。