きもブログ

 「いやどみ☆こ~せい」のブログ。
後悔と、
希望。
これまでも、これからも、今を刻むブログです。

カラータイマー

2007年08月31日 02時26分16秒 | Weblog
散歩すると目の前に迫ってくるT字路。
夕食でも買いに行こうという時間にはもう、点滅信号になってしまう。新しい道路ができてからは、さらに交通量が少なくなった。車もなく暇なのに、いやそんな時こそ、チカチカとせわしく働かなくちゃいけない。行きは赤の点滅信号。帰りは黄色だ。タクシーで帰宅するときは、「黄色の点滅信号から左です」という決まり文句。赤を正面に構えるのは、散歩してる時がほとんどだ。

「ウルトラマン」は、一人っ子に欠かせない番組だった。ピンチになると光る、赤のカラータイマー。点滅すると俄然強くなるウルトラマンに憧れ、時には「負ける」日を期待した。背水の陣だの、火事場の馬鹿力だの、そんな力が働いてか、ピンチになると都合よく強くなるヒーローの姿に励まされながらも、転校先の学校でいつまでもうまく行かない自分の姿をそこに投影させることができず、どっかで残酷な結末を期待する自分がいた。きっと、寂しかったんだと思う。強いヒーローを見るたびに、置いてかれた気分になっていた。

鍵をかけ、川沿いを歩き、車道に出る。遠くに見える、赤いカラータイマー。近付けば、誰もいない車道。耳をすませば、微かに「チカチカ」と音がしているような気がする。蛾の止まった自販機に、赤が反射する。僕の頬にも、赤が反射する。ちょっとだけ、歩みを止める。赤いカラータイマーの前で、いつもの深呼吸。
さて、ピンチの時間だ。どちらに曲がるかね。ヒーローでも何でもないんだけど、ここからが勝負なんだよな。

わかっているよ。泣きたいくらいにさ。

勝ったよ。

2007年08月22日 21時01分05秒 | Weblog
13年前の夏、母方の祖父が死去した。
スポーツが好きな祖父だった。
「ワールドカップが観たい」と言って
衛星放送を取り付けた。
決勝戦はたしか、イタリアがPKで負けた。
バッジョが外した。
祖父は興奮して観ていたんだろう。

翌朝、祖父は「頭が痛い」と言って倒れた。
しばらくして、病院で亡くなった。
祖母は、衛星放送の機器を取り外した。

祖父が毎年楽しみにしていたのは、衛星放送じゃなくても観ることができる、高校野球。

その年の夏、神懸かり的な強さで、佐賀商業が優勝した。9回表、主将の西原選手の満塁ホームランが勝負を決した。
感動した。でも隣に祖父がいないことが寂しかった。
「おじいちゃんが観てたらね」と、母もぽつりと言う。
ヒーローインタビューの最中、仏壇の前に座った。「勝ったよ」と口から出る前に、涙が出た。


その頃は大学時代。
彼女もいい歳してピョンピョン跳びはねながら、佐賀商業の活躍に目を輝かせていた。
「満塁ホームランだよ!すごいすごい!」


今年の夏、野球の神様は、佐賀北に微笑んだ。
僕の実家からも、当時の彼女の実家からも、一番近い学校。
文化系の部活が強い学校。
まさか、の勝利。白球は、あのときの満塁ホームランと同じ軌道を描いて、スタンドに吸い込まれていった。

もし彼女が観ていたら、大人げなくピョンピョン飛び跳ねていただろう。いや、観ていたのかな。もし観ていたんだったら、無意味な報告だけど、一応報告しとく。

「佐賀北、勝ったよ。また満塁ホームランだったよ。」

『遠く 遠く』

2007年08月19日 00時36分29秒 | Weblog
 今年の卒業生からメールが届いた。「元気ですか?」って。
 メールをくれた彼女は、「就職」をした。「今の職場に入ってよかった。」とのこと。
 卒業生からメールや電話をもらうことがたまにあり、多くは「もう辞めたい」っていう内容。学校にしろ、就職にしろ……。かといって、「もう辞めます」って決心して電話してくることはない。なんだかんだ言って、頑張って翌朝出陣していくのだ。偉い。当たり前なんだけど、偉いと思う。メールをくれた彼女は、決して楽な職場ではないはず。就職して「よかった。」というメールが来たのは初めて。嬉しかった。

 昨晩、久しぶりに槇原敬之の『遠く遠く』を聴いた。槇原が歌ったものではないけど、やっぱりいい。歌う人の「想い」を引き出してくれる歌だなって思う。好きな歌の一つ。今年卒業したクラスの生徒には、この歌を一人一人に贈った。

   いつでも帰ってくればいいと
   真夜中の公衆電話で
   言われたときに笑顔になって
   今までやってこれたよ

 メールには、「みんなそれぞれの場所で寂しい思いをしていたらしい」というようなことが書いてあった。「(卒業後も皆に)メールしておけばよかった」って。
 実際は忙しくて難しかっただろう。相手も相手で新しい生活を始めていることだし。でも、帰ってくることはできなくても、「帰ってこいよ」と言ってくれる存在がいれば、やっぱり心強いのかな。

 『遠く遠く』の歌詞で好きな一節がある。

   大事なのは「変わってくこと」
   「変わらずにいること」


 
 自分の人生の中で、予想外の出来事がここに来てたくさんふりかかってきた。「大」きく「変」わった。「大変」だ。
 辛さから逃れるためには、自分を変えることも必要。考え方や物事に対する捉え方を変えなくては、とてもじゃないけど前進できない。生きた心地がしない。でも、きっと「変わらずに」いなくちゃいけない部分も、あるんだろう。なくしちゃいけない部分が。辛くても、心に留めておかなくちゃいけない部分が。

 そんな気がする。

やせっぽちの星

2007年08月15日 02時12分18秒 | Weblog
 何万光年も先にある星。今、生きてるかどうかもわかんない星。すでに息絶えているかも知れない星。そんな星を、僕たちは観ている。ある小説に同じことが書いてあった。理科を習った僕たちにとっては当たり前のこと。でも、最近その何万光年も先にある星を眺めながら、色々なことを考える。
 友達、後輩、そして逝ってしまった故人たちに、僕が放つ光はどんなふうに届いているのだろう。衛星だろうか。それとも恒星だろうか。
 今、養父が空から観ている僕は、まだ無職のままなんだろうか。逝ってしまった人たちは、僕にとっては「その時」のまま、ずっと変わらずに輝く。これ以上、おじいちゃんにも、おばあちゃんにも、パパにもママにもならない。もし僕がおじいちゃんになったら、彼女らが放つ光をまともに受け止められるんだろうか。

 昔はよく星を観ていた。星は、小学校時代から始まった不眠症の友達。朝日が出て、星が消えて、朝食の仕度をする祖母の物音を聞いて安心して眠りについていた。不眠は今も変わらない。ただ一つ変わったのは、安心して眠りにつけるタイミングが、わかんなくなってしまったということ。

 最近、また星を観ようとする自分がいる。きっとあの星からみたら、地球なんてちっぽけな存在だ。空が包みこんだら、自分の今なんてどうってことない。こんなとき、そう思う。そうやって、このちょっとだけ特異な運命を、いっつも乗り越えてきた。空からみたら、たかが一人の人生。特異ですらない。そう。たかが人生なのにね。なんでかなぁ。


 でも今日はいい風が吹いていた。やさしい風だった。背中を押してくれる風だった。「いい日」で一日が終わった。

 また、乗り越えてやる。
 だれに、どの世界に、どう届いていくかわからないけど、ここで光を失うわけにはいかない。
 そう思えるようになってきた。
 眼鏡を傾けないと観測できないような、まだ頼りない光だけど。

真価

2007年08月12日 22時29分07秒 | Weblog
東国原がテレビで言ってた。「人間は追い詰められたときに真価が問われる」と。

真価とはなんなんだろう。極限をどう生きるかってことか。今、何がわかるんだろ。この部屋の電気をつけたら、何かわかるのかな。

10日たった。法事に呼ばれたが行かなかった。行くにはもっとエネルギーがいる。高校時代の友人から電話が10件ぐらいかかってた。ごめんなさい。いつかかけ直すね。

油断したら時間が止まる。動かなくちゃ。今部屋から出なくちゃ。


最期

2007年08月04日 23時00分35秒 | Weblog
4日前。島根でのバスの中。一本の電話が、彼女の死を告げた。
彼女のお父さんからだった。
「ごめんね。あなたには本当にお世話になりました。今までありがとう。」
僕はバスの中。何がなんだかわからなかった。

翌日。舞台を見た。仕事だったから、ちゃんと観た。
なぜか素直な気持ちで観ることができた。
励ましてくれる人がいた。
一生懸命、観ることができた。

みんなが笑うところで笑えた。
でも、みんなが涙を我慢するところで泣いたかもしれない。

「悲しいときは、泣いてもいいんだよ。」

最後の舞台には、そんなセリフが出てきた。
我慢した。

佐賀に帰った。電車を乗り継いで、夜中に帰った。

翌朝、箱の中に入った彼女に、会いに行った。
お父さんと、お母さんと、妹さんと、泣いた。
人形劇の仲間も来ていた。
みんなで泣いた。
みんなで後悔した。
みんな同じ気持ちだった。
「もっと自分が、何かしてあげられてたら。」
そういう思いで、みんなでお花をつめた。
みんな思い出の品を、箱に入れていた。
僕は、何も入れなかった。
自分勝手な発想。
燃えてしまうのが嫌だったから。

5月、会いに行ったことがあった。
彼女から頼まれて、ある物を持っていった。
久々の再会。
お父さんとお母さんと、本人と話した。
初めて「発作」を見た。驚いた僕は、背中をさすることすらできなかった。
「びっくりした?こんなになっちゃった」って笑ってた。

昔、よく看病した。
熱がひいたら、たくさんしゃべってくれた。
そしてまた熱を出していた。

そんな人だった。
「時間がもったいない」って感じで、生きていた。

自分で身体を傷つけることもあった。
やめなよ、っていったら。
もうやめたよってこたえてくれてた。

四日前のこと、お父さんから聞いた。
「冷蔵庫の前で、自分の目の前で、ばったり倒れた」って。
彼女はやっぱり、生きようとしてたんだ。
そんな彼女の未来が、残酷に奪われた。
きっと神様なんて存在しないんだ。

親族と一緒に火葬場に連れて行ってもらった。
人形劇の仲間、三人と。
お骨を拾った。
軽かった。


「娘はね。あなたのこと頼りにしてたんだよ。最後まで。」

お父さんの言葉が辛かった。
あのとき、離れようとしたのは彼女の方からだった。
理由もわかっていた。
だから離れた。
でも、こんな未来が来るなんて、知らなかった。
ずっと置き去りにしてた自分が、
一番責められるべき存在だと気づいた。

「みなさんのお陰で、33年も生きることができたんです。」
そのお父さんの言葉が、一番暖かかった。


「こうちゃん!」
あの声はもう聴けない。

さようなら。
こんな僕を支えに生きてくれた人。
いつか会いに行くからね。
そんときまで。バイバイ。

またね。