きもブログ

 「いやどみ☆こ~せい」のブログ。
後悔と、
希望。
これまでも、これからも、今を刻むブログです。

2009年08月29日 22時36分28秒 | Weblog
世の中にはうんざりするほどの人間がいるのに

自己完結の人生はあまりにも愚かしい。

しかし己の針路は、最も付き合いの長い己自身が舵をとるべきである。他人に言われるがままの人生を歩めば、いつのまにか後悔と憎悪に支配された毎日をおくることになる。

淋しさ。
疑念。
憎しみ。

人はどこに立っていても満足しない。我が儘だ。

贖罪だけの人生なら、いつも自分に指標を置けばいい。
誰にも邪魔されずに、過去を償えばよい。

ただ地面に映る影は、今の己を湛えるだけ。光の速度で瞬時に、己をなぞるだけ。


生きているだけで人は、学ぶ。
学んだことが真実とは限らないが、それ以外に信じうる真実もない。真実を知っている存在があるとすれば、それはタイムマシーンにでも乗ってきたバケモノだ。


何も知らぬ影も、今の醜聞だけは、確かに地面に刻んでいる。

所詮は葦に等しき命。
空に浮かび上がるたよりない月でも、この姿勢の悪い影に比べたら何と勇ましいことか。

カルネアデスの板

2009年08月28日 23時44分48秒 | Weblog
船が沈み、溺れそうになっていたところに、一枚の板に捕まって辛うじて浮かび上がることができた。
ところが、溺れかけた親友がその板につかまろうとしている。板は、二人が捕まると沈んでしまう。

さて、友を助けるか。
友を蹴落として、自分が助かるか……。

「カルネアデスの板」の話。

マンガ、『金田一少年の事件簿』で、金田一ハジメくんは同じ問題を出され、「二人とも助かる方法を考える」、と答える。
カッコイイな。
哲学者の出した問題を簡単に捩曲げちゃうんだもん。

俺ならたぶん、あれこれ考えて時間切れになり、「二人とも楽に沈む方法」を考えることになるだろうな。


「博愛」ということば。
博く愛する、という考え方。
つきつめたら正直、不可能な理想だ。


世の中に「カルネアデスの板」はいくらでも存在する。

四人しか乗れない車。
九人しか入れないエレベーター。
特定のクラスしかもらえないジュース。


「六人組つくったグループから、腰をおろしてー」的なゲーム。
一人余って、苦笑い。

「博愛」を唱えて、おっきな円を描いても、必ずその外側は存在する。

ことばや哲学なら可能。
だけど、社会を生きる生身の人間にとって、「博愛」はあまりにも理想でありすぎる。

「博愛」を訴えれば訴えるほど、愛は自分の心臓にのみ、強く働きかけているような気がしてならない。


昨日、またひとつ台本を書いた。
「みんなの夢を背負う」と誓う、少年の話。

ホントのようで、理想の話。

でも、それを追い求める人間がいなくなったとき、社会ははじめて死んでしまうのだろう。

ひとつずつの そして ひとつの

2009年08月24日 01時31分02秒 | Weblog
 時はすべてを連れてゆくものらしい
 なのにどうして寂しさを置き忘れてゆくの

中島みゆき - 二隻の舟


好きな歌を3つあげて、と言われたら、これがその一つかな。
詩の授業でも使わせていただきました。(受けた人、いる?)

この歌詞を授業で使うなんて、ね。
人生を歌にすることなんてできないけど、
僕はこの歌とともに生きてきた気がする。

彷徨いの先に

2009年08月22日 23時44分57秒 | Weblog
飽和状態になって、いつの間にか寝たんだな。
こんな時間に起きてしまった。


今、短い台本二つの制作に取り掛かっている。
二つの同時進行という状況も、あまりいいものではない。
いや、本当は、同時進行なんて関係ない。
数多く創れば、いづれ自分の過去の作品と衝突してしまう。
そんなことは目に見えていた。

あがいて、彷徨って、
行きつく先が、過去の自分だなんて、
笑えねえな。

でもきっと、
今過去を振り返るということに意味があるのだろう。

そう思うよ。
そう思う。

尾崎豊 シェリー



いのちの記憶

2009年08月16日 04時22分01秒 | Weblog
今日、祖父と祖母が眠るお墓に行った。
お寺から包みを渡された。
「あなたのお父さんのへその緒を今まで預かっていたから。今日からはあなたが……」と。
六十年も前に書かれたと思われる封筒の文字。中には、確かに父のへその緒が入っているようだった。

ポケットにねじこむ。

温かく、気持ち悪く、自分とおなじ体温をもったミミズみたいな物体。
父は今、生きているんだろうか。

お寺からは、もう一つのへその緒を見せられた。
「圭祐」という文字だったか。とにかく「ケイスケ」と書いてあった。


「一歳で亡くなった方なのよ。兄弟には知らせないでって言われてたけど。」

祖父と祖母の、本当の長男らしい。

祖父と祖母。今はなき二人だけの秘密を、僕は知ってしまったんだな。

つらかったよね。
秘密を抱えた二人。祖母に先立たれた祖父は、きっと、秘密を一人で抱えこんで、辛かっただろうな。

「これは私たちで保管します。」

お寺から、温かい言葉をいただいた。

ポケットには父の名残。刻まれたのは、祖父母の秘密。

じゃあ僕は、どれだけのものを背負えばいいんだろう。
いつになれば、許してもらえるのだろう。

34年間、わからなかったんだもの。今更答えなんか、わかるわけない。

ただ、そんなこんなの愛情がめぐりめぐって、今、自分が生きているんだなって思う。

バトンなのか、タスキなのか、よくわかんないけどさ。自分が生きた証を、いつか誰かに受け継がなくっちゃって、思ったんだよね。

明日もまた、今日と同じような太陽がのぼる。
僕もまた、酒の抜けきれないとぼけた顔で、空を見上げるのだろう。
どんなカタチでも僕は、ひそかな二つのいのちの記憶を、背負っていかなくちゃいけないんだよね。

サージカル・テープ

2009年08月15日 02時07分00秒 | Weblog
先週末は県の高校演劇の講習会だった。はじめて参加する一年生も多く、宿泊研修では、(残念ながら技術的なもので学べることは少なかったかも知れないけど、)新しい仲間、外部との仲間との出会いがそれぞれにあったようだ。
うん。今回の講習会の意味はソコにあったんだ、きっと……笑。

思えば三週間前が西部地区演劇祭。二週間前が全国大会。目まぐるしい一ヶ月だった。
東部、西部の「演劇祭」も含め、全国大会前後のこの季節は、演劇を通しての「出会い」と「別れ」が本当に多い。まさに「目まぐるしさ」に比例するようにね。

演劇が純粋に好きな人もいる。僕のように、ステージには一度も立ったことのない人間、役者としてそこに立つ楽しさを知らない人間が、妙に熱を入れてしまうことだってある。演劇はそこまで好きじゃないけれど、「好きな仲間と一緒にいれるから」という理由で演劇に関わる人もいる。仲間も演劇もそこまで好きではないけど、義理で参加してくれる人もいる。
そんな皆で、舞台はつくられる。裏方、役者、助っ人の「温度差」が露骨でも、舞台は見事に完成する。
不思議なもんだ。
僕がもし、高校や大学で演劇をやっていたら、どんな立場で関わっていたのかなあ。


とりあえず今、僕は演劇が好きだ。ただ、僕にとっての演劇は、痛みや苦しみを癒してくれるシップみたいなものかも知れない。何だか、いつも満身創痍みたいにしてるからね、俺。必要なんだよ。「これがあるから明日は乗り切れる!」みたいな何かが。
でも、痛みや苦しみを忘れたとき、演劇はいつも僕のもとから離れようとする。「演劇がなかったら楽だろうな」なんて身勝手に考えてみたくなることもある。汗をかけばかくほど、シップははがれやすくなるしね。


演劇で関わってきた人たちは、そんなとき、演劇と僕とを繋ぎ合わせてくれる。演劇がつくってくれた縁が、僕を演劇に関わりはじめたころの気持ちに戻してくれる。演劇との縁を、もう一度作り直してくれるんだな。

戦争をしらない世代が生まれて64年。
携帯の普及。
偽装の時代。
年金問題。
薬物の乱用。

時代とともに変遷する舞台。ここ七年ですら、高校演劇も、それを評価する視点も、徐々に形を変えてきているように思える。僕はどこまで見届けることができるんだろう。


30年後。
そのとき僕の生を繋ぎとめてくれるのが、一体何なのかはわからない。だけど演劇がつくってくれたこの縁は、いつでも僕を原点に回帰させてくれそうな気がする。

日常への帰還

2009年08月04日 04時21分32秒 | Weblog
第33回全国高総文祭三重大会演劇部門。
五泊六日。生徒講評委員会の引率から帰ってきました。
この長期間の、深夜にも及ぶ議論と講評文の作成。15名プラス1名の熱い活動が、やっと終わりました。
佐賀を出てから、佐賀に帰るまで、まさに異世界。疲れて帰って、地震にも気付かずに9時間ぐらい眠り込んで、今起きて……、やっと日常に戻ってきた気分です。

いろんな出会いがありました。その数だけの別れがありました。
ただ僕は幸運なことに、これからも演劇に関わることになるでしょうからね……、「別れ」なんてありません。

二年前。そして去年。
僕にとって人生を左右する出来事は、いつもこの一週間に訪れていました。ほんと、不思議な季節です。

さっき空に浮かんでた月は、雲のかかりが美しい、欠けた月でした。

「今夜はどうしてこんな月なんだろう。」
「神様はどうして今夜をこんな月で演出したのだろう。」

そんなことばかり考えてしまう僕には、まだまだ余熱が残っているのかもしれません。

でも、まあ、とりあえず、

ただいま。