今日は部員たちと「感情が先か、言葉が先か。」みたいなことを議論した。
台本を貰う。一通り読む。稽古に臨む。
初の読み合わせは当然、「台本にあるから読む」となる。
「3-4で負けるとわかってる日本代表の試合」を録画で観るように。
だからどうしても、感情は「後付け」となる。
そこが「リアル」と圧倒的に違うということ。
でも、そもそも芝居を「リアル」に近付ける必要があるのか、という素朴な疑問もある。芝居を凌駕する面白さが「リアル」にあるのなら、芝居なんて誰もやらない。
大事なのは、「読みを深める」という当然のこと。
互いの深い認識をぶつけあい、その場に立ってもう一度演じてみて、はじめて出会う「感情」というものもある。「感情が先に立つ」という擬似体験を繰り返せば、芝居が「リアル」を凌駕する瞬間に出会えるかも知れないのだ。
台本を貰う。一通り読む。稽古に臨む。
初の読み合わせは当然、「台本にあるから読む」となる。
「3-4で負けるとわかってる日本代表の試合」を録画で観るように。
だからどうしても、感情は「後付け」となる。
そこが「リアル」と圧倒的に違うということ。
でも、そもそも芝居を「リアル」に近付ける必要があるのか、という素朴な疑問もある。芝居を凌駕する面白さが「リアル」にあるのなら、芝居なんて誰もやらない。
大事なのは、「読みを深める」という当然のこと。
互いの深い認識をぶつけあい、その場に立ってもう一度演じてみて、はじめて出会う「感情」というものもある。「感情が先に立つ」という擬似体験を繰り返せば、芝居が「リアル」を凌駕する瞬間に出会えるかも知れないのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます