きもブログ

 「いやどみ☆こ~せい」のブログ。
後悔と、
希望。
これまでも、これからも、今を刻むブログです。

七月三十一日。

2010年07月31日 23時57分27秒 | Weblog
今日は、命日でした。
あれから三年がたったわけです。

そのとき私は演劇の全国大会。島根大会に行っていました。バスの中でお父様から電話、訃報を聞き、佐賀に駆けつけたものでした。

先日、ご家族が、本人の日記を編集され、出版されました。
私も寄稿させていただいています。


明日から、全国大会。(宮崎大会です。)生徒講評委員引率。そして全国理事会。他にもいろいろとつまった大会です。


先日は、茨城県立並木高等学校の生徒さんから、御礼の手紙をいただきました。実は『しんがくじゅく』を30日の茨城県高校演劇祭県南A地区大会にて上演していただくということで、生徒さんの直筆のものでした。とてもご丁寧な対応をしていただき、非常に嬉しく感じました。ありがとうございました。

大会の情報を早く掲載すべきでしたが、更新が滞ってしまい、叶いませんでした。大変申し訳ございません。

並木高校さんの他にも、作品を使っていただいた中学、高校の演劇部さんがあります。近いうちにブログで紹介させてください。遅くなって申し訳ございません。


これから書かなくてはいけない台本も、長短合わせで3つ。ビデオドラマが2つです。

一番急がねばならないのが、県高校演劇祭開会式のオープニング。30人くらいは出演するのかな、、、。
これは宮崎の宿舎で完成させます。


いつもの夏です。
そして、またこの日を、思うのです。

目を見開こうが、閉じようが、
上を向こうが、肩を落とそうが、


ため息を
呼吸に変えて、

眉間のしわを
おもいっきり伸ばして、

前に向かって歩まなくてはなりません。

明日からも、きっと笑顔です。

星まわり

2010年07月12日 23時15分07秒 | Weblog
いろいろなことに「潮時」を考えるようになった。

「慣れれば楽になる」

それはすなわち、慣れれば「手抜きの加減」が分かるようになるということを暗示している。


無駄なことを懸命にやっていた時代が確かにあって、

有用なところだけを都合よく汲み取ろうとする今が、確かにある。


世に溢れる無駄に気付かないうちは、その無駄を消化しうるだけのエネルギーを持ち、

取捨選択のできる利口な人間は、限られたエネルギーを有効に使う術を知っている。

老獪な人間は、無駄の中に有用な何かが潜んでいることを知る。
しかし、そんな仕組みを知らぬ者が、我武者羅に追い求める無駄こそが、本当に価値あるものなのかも知らない。


またか。
やっぱり。
だろうな。

最近、そう思うことが多くなった。

思春期に巡り合う奇跡。
さまざまな星まわり。
いくつもの、はじめて。
かけがえのない一瞬。

それもこれも、「またか」で済ませてしまいそうな自分がいて、怖い。

脳細胞に余計な情報が刻まれている今が嫌になり、
一晩で一万の細胞が消えゆくのを信じて、酒を口にする。

何かがほしい。
何かはわからない。
でも、何かがほしい。
何か分からないものが、足りないから。


もうすぐ、父親の誕生日だ。

どこで何をしているのか。
生きているのか死んでいるのかすらわからない、実の肉親の誕生日を、
今更、意識している。

先日、母の実家で、彼が生まれたばかりの私を危なかしい手で抱いている写真を見つけた。
大事なものを壊してはいけないと怯え、でも、息子に出会ったという「星まわり」を、精一杯うけとめようとする25歳の顔だった。


彼と生き別れて、十年以上経つ。
もはや、大人びてしまった頭の中で、彼のことを整理しようとする自分がいる。

もちろん、未来は、明日死ぬ運命の人間にも存在する。
すべては「未だ来ぬ」出来事だから、人はそれを思い浮かべ、勝手に幸せにも不幸にもなる。

いろいろなことに「潮時」を考えるようになった、今、

都合よくエネルギーを消費できるはずなのに、
どんどん、疲れている。