きもブログ

 「いやどみ☆こ~せい」のブログ。
後悔と、
希望。
これまでも、これからも、今を刻むブログです。

「幸せ」の過渡期

2009年10月31日 23時10分44秒 | Weblog
気付けば高速道路にのり、西へと車を走らせていた。


ある県の高校演劇を指導している先生が、僕におっしゃった言葉。こんな時よく思い出す。


「先生。あくまでも高校生がつくるんやから、『高校演劇』なんですわ。ココっちゅう時以外は、ほっといたほうがええんやないんですか。そうしないと、生徒、楽しくないんちゃいますか?」


成績としては、特に目立った成果もない学校らしい。だけど生徒たちは幸せに部活に励んでいると自慢されていた。


僕が全力で演劇の指導をできているかといえば、嘘になる。だけど、ほとんどの舞台の台本を僕が書き、配役を決め、あれこれ口を出してきたのは確か。

そして、そうやって、いくつかの可能性や、高校生しか持ち得ない自由な感受性を、僕の勝手な解釈で摘み取っている……。
高校演劇に関わり、八年。
そんな瞬間もあったんじゃないかって、こんなとき思う。


「なーんも指導してくれない先生」
思えば僕の学生時代も、そんな環境の中で「自分たちだけの思い出」をつくって来たんだ。


「あいつら下手やけど、幸せそうな顔するんですわ。」


そういうあの先生の顔も、幸せそうだった。


車の中、色々考えると、怖くなった。

怖い。


「幸せ」というコトバを昨日の夜中、台本に書いた。

書いておきながら、
ここにきて、
自分が、いくつかの、
コトバにできない何かを奪っているような気がして、
怖くなった。

RUNWAY

2009年10月30日 23時00分34秒 | Weblog
本番まであと一週間。

さて、今から
どれだけのことがやれるんだろう……。


とか言いつつ、
なんとこれから台本修正です。

問題発生……というわけではなく、
なんとなく閃いた部分がありまして……。

完成形をイメージしたときに
よりよい状態にすべく……

には、やはり台本修正、という決断です。


何よりも
役者たちが笑顔で
「どう変わるか、明日が楽しみ!」
と応えてくれたことが嬉しかった。

一週間前のセリフの変更……。
怖くないはずがない。

なのに、表情ひとつ曇らせないで……



期限。明日の13時30分。

今から、部屋を真っ暗にして、
メインの曲を聴いて……
パソコンに向かい、書きます。

僕も楽しみです。

第56回佐賀県高等学校演劇コンクール

2009年10月27日 18時20分32秒 | Weblog
 今年の佐賀県高校演劇コンクール(第21回佐賀県高等学校総合文化祭 演劇部門)の上演時間を紹介いたします。

 11月7日(土)
① 10:00~11:00 伊万里高校
② 11:10~12:10 武雄高校
③ 13:00~14:00 鳥栖高校
④ 14:10~15:10 鳥栖商業高校
⑤ 15:20~16:20 佐賀清和高校

 11月8日(日)
① 10:00~11:00 小城高校
② 11:10~12:10 唐津西高校
③ 13:00~14:00 佐賀東高校
④ 14:10~15:10 佐賀西高校

以上です。開会式は7日の9:30より。
場所は、「基山町民会館大ホール」(前回の日記の写真)
入場無料です。


うち(佐賀東)は二日目の午後です。
昼飯の食べすぎに注意したいところ。
食後の眠気を一発で覚ますような舞台をお見せできるかどうか。

う~ん。
盛り上げたいなぁ。

これからの稽古がカギです。

カラフル

2009年10月27日 01時30分25秒 | Weblog
そういえば一昨日になりますが、ブログ開設から1500日となりました。

わーいわーい。
すごーいすごーい。


四年以上経ったのかあ。


「ブログって何故書くの?」

と聞かれたことがあります。


何故だろう?


誰かへのメッセージ?
日記的な役割?

誰かがテレビで「おお、それがブログを書く理由だよ!」と思えるような説明をしてくれていましたが、悲しいことに内容を忘れてしまいました。
やっぱ、自分の中から生まれ出たキモチじゃないと、頭に残らないのね。


『本人の熱い要望により、いよいよブログ開設です。日々のネタはあたらしいうちに。目標、寝る前の投稿!ひょっとしたら不眠時の投稿になるかも。なったらなったで、ね。』

1500日前は、こんな始まりでした。

本人の熱い要望だということだったのね。
寝る前……というのを守ってきたのはいいけど、そのためか変な夢見てうなされてしまうことも。

飲み会の場所から投稿、というのもありました。でも、皆が盛り上がってる最中にヒトリ携帯いじくってる姿を客観的に想像すると……、うわ、寂しいな。


振り返れば、「その日の出来事」よりも、「その時思ったこと」を書いてきたような気がします。

でも、僕だけに与えられた何ともつまらない特権ですが、「その時思ったこと」を読み返して、「その頃の出来事」を何となく思い出せます。


1500日の間。
色々ありました。


色々ですから、このブログで書いてきた意見も矛盾だらけ。ちぐはぐで一貫性がありません。

だから、成長も停滞もよくわかります。色分けされた年表みたいなもんです。

これからも、「色々」が僕を襲い、年表をカラフルに染めるでしょう。

なんてことを書いてる僕を、笑っている僕が未来にはいるのでしょう。

また明日から、
呼吸に数パーセントのため息を交えて、
頑張っていきます。

赤い髪

2009年10月25日 01時05分56秒 | Weblog
大学時代のほんの少しだけ、
髪を赤く染めていたことがある。

たぶん、相川七瀬の影響だった。
いや、間違いなかろう。

相川七瀬は、同じ年(学年)らしい。


高校時代のほんの一時期、バンドを組んでいた。
部活後、ライブハウスで練習してから帰宅をした。
新築のコンクリートのにおい。耳を劈く音。
同じ匂いを嗅いだ時、今でも思い出す。

しかし、三回目のライブで失敗してから、もうライブハウスには立ち寄らなくなった。

ハズレたことをして、周囲から疎まれることのほうが苦手だった。
だから、派手にも大人しくも生きていた。
「八方美人」がいつも悲惨な結末を送ってしまうってこと
知っていたけどね。


『トラブルメイカー』

同世代が歌うこの歌に影響されて、
髪を赤く染め、
変なあだなをつけられたりしたな。

懐かしいな。




いつかの僕のために

2009年10月23日 02時55分23秒 | Weblog
ずいぶんと今日も遅い帰宅になってしまった。
まだ少し残っている仕事。

「明日に残すな」
なんていわれても、やってるうちに明日になってしまう。

どうするかね。


台本を書き終えた。
まぁ、あとはどう馴染んでいくか、だ。
簡単な台本ではない。
簡単な台本だ、なんて理屈で、言葉のひとつひとつを素通りしてほしくない。
役者たちへの願いを、失いたくない。



今年の7月に、久々書いた新作を上演した。
若年性痴ほう症の話。

家族の顔もわからない、母親。
話の一つではあったが、親愛なるその人に接する家族の苦悩を、彼女たちなりに演じてくれたように思う。今の17、18歳が演じる、素直な気持ちを観ることができた。


南田洋子が亡くなった。

その現実を、夫の長門さんは「洋子は生きている。永遠のものだから。」と語った。


「心の中に生きている」
思い込みや観念なんかで発せられる言葉ではないだろう。

3年間。その介護の生活こそ、妻を知り、妻と対話する時間だったんじゃないかな、と、本当に勝手ながら、想う。

仕事に追われ、今日がいつの日かわからない僕たちにも、
きちんと同じリズムで毎日は過ぎていき、
そして昨日と違う太陽が昇る。

太陽が昇るたび、僕らは未来に近づいている。

日常的に誰かを支える日がやってきて、
その疲れた体を、誰かが支えてくれる。


ふつうに、
ふつうにいきてたら、
そんな日がきちゃうんだろう。

僕たちは
これまでのしあわせや、
不幸なできごとを、
いつまで覚えていられるんだろう。


南田さんの人生を、
幸か、不幸かのわくぐみのなかに
閉じ込めることは難しい。
やりたければ、
マスコミが勝手にやればいい。

ただ、
だれかの心の中で生きていられるってこと。

ことばがわかっても
わからなくても、

生きていても
生きていなくても、


それはとても幸せなことなんだよな。


復路

2009年10月19日 20時50分32秒 | Weblog
長崎県中地区の発表会。
講師のお仕事が終わりました。

自分の講評に誤りがあったら……。自分の観点が客観性に乏しかったら……などと不安にもなりました。
しかし、審査は三人で行うもの。むしろ完全に同じ観点の人間が三人いても意味はない。

じゃあ自分の役割はなんだ?

そんなことを考えながら臨んだような気がします。


しかし、熱意のこもった生徒たちの舞台と、先生がたの揺るぎない思いに触れ、気付いたらあれこれ思い悩む間もなく、熱を帯びて舞台に魅入っている自分がいました。

僕もふくめ、舞台に関わった皆さんがこれからの課題、そしてその先の展望を垣間見たはずです。みんなで共に成長した二日間だったと思います。
本当にありがとうございました。

さて、佐賀県も、待ったナシです。予定表は赤だらけ。

前に、前に、
歩みを進めなくちゃ。

行ってきます。

2009年10月17日 01時14分18秒 | Weblog
日付がかわり、17日。

今日から二日間。
長崎の中地区高校演劇発表会。

その審査員として呼ばれました。


「期待と不安。」
ありきたりの言葉ですが、僕にとっての「不安」は佐賀に帰ってからの仕事のこと……。
だから、明日は「期待」だらけです。

審査員が「観客」として舞台を観ることは不可能でしょう。
だけど、まるで観客のように、瞬間瞬間に感じた感動を心に残しながら審査ができればな、なんて思っています。
というより、心に響く舞台を観ておきながら「なるほどね」なんて冷静に分析したり、言葉で詳しく解説したり……、そんなことはやりたくてもできるもんじゃないですから。
「しよう」と思って得られる感動も、「してはいけない」と思って抑制できる感動も、きっと本物じゃありません。


例えば、はじめて高校演劇に触れた七年前の感動。
そんな感動と出会えることを期待しています。

行ってきます。

はじまりの詩

2009年10月09日 00時53分08秒 | Weblog
明日は高総文祭開会式。
今年もオープニングを担当しました。

『はじまりの詩』

これが今回のオープニングのテーマです。

誰にだって
どんなことにだって、
「はじまり」は存在します。

「はじまり」が存在しないものなんて、きっとありません。

生をうけるということも。
死を迎えるということも。


僕たちの仕事は、ともすれば、「同じことの繰り返し」のような感覚になりがちです。「また入学式か。」「去年より早く終わった卒業式だった。」なんて言いながらね。

だけどあの子たちにとっては、「これがはじめて」「これが最後」という体験だらけ。

「掛け替えのなさ」で満ちています。僕らとは、きっと、一瞬の重みが違うのです。


オープニング。
21年目。
はじまりです。

たった一度しかない、最初で最後の「はじまり」です。


はじまりの舞台に立ち、さて、明日は何を見せてくれるのだろう。
そして彼女たちは、何を見ることができるのだろう。

物語の終焉は、いつも少しだけ無念を遺して

2009年10月06日 02時56分11秒 | Weblog
今日の仕事が終わった。
ずいぶん晩くなっちゃったな。
やりたいことが全て後回しになってしまった。
今、風呂を入れているところ。以前と違って、このマンションは10分足らずでお風呂が沸く。こういう時に、「金で時間を買ってしまったな」なんて思ったりする。
前の住まいは風呂の準備中にブログを更新したりして、それはそれでよかった。一日の終焉が間延びして、振り返る時間が与えられたぶん、それまでの24時間に重みが増す。
どんな物事にも始まりと終わりがあり、終焉は何よりも大事だ。自身にとっても。他者に向きあうときも。

終焉から先は、人は歳をとることも成長することもできないからだ。挽回も、抱擁も、失敗する機会もなく、ゆえに終焉のイメージのまま、人の記憶に組み込まれてしまうからだ。


中川昭一氏が亡くなった。
北海道の振興。拉致被害者への支援。派閥や党を超えて笑顔を交換していた議会の映像。
人間味のある政治家だったようだ。

不器用ゆえに酒に身を委ね、招いてしまった失態。
「日本全体が恥をかいた」となじられた、あの姿。

多くの人にとっては、「あの会見をやった人」。
身近な人たちにとっては許しがたい世間の反応だったろう。
「中川さんを誤解してほしくない。」だからこそ、あの姿は許せなかったに違いない。

つまり、許してもらえない失態だった。

疲れたろう。
悔しかったろう。

疲れ果て、ベットの上に俯せになる夫。
起こしちゃいけないと、見守って部屋を離れた妻。

その終焉が、すごく切なく思い浮かべられてしまう。
世間の評価のために、人は生をうけたのか。
終焉のために、人は歩みを進めるのか。


そうじゃない。
そうじゃないような気がする。

大物議員と呼ばれている、いい歳をしたオッサンたちが、訃報を知り恥じらいもなく見せた涙。

「死因」だの「転落」だのにこだわるマスコミとはかけ離れた次元で、その流れていた議員たちの涙が、いつもと違ってとても美しく感じられたからだ。