KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

パンドラの箱

2008-02-15 13:36:44 | わたし自身のこと
ある国で戦争が起こったとして、
その戦争の最中に、AとBという二人の人間が出会い、友情が芽生え、彼らは「戦友」となる。
ところが不幸なことに、Aはその後、恐ろしく酷い拷問にあってしまう。
Bは近くにいながら、何もすることはできず、
しかし、ただAが拷問にあったというその事実だけを知ることとなる。

そして、戦争が終わる。
戦争が終わって数年した頃、突然、AはBに連絡する。
しかしどうもAは戦争のときのことをすっかり忘れているらしい。
おそらく拷問を受けた記憶は、彼が生きていくためにはあまりにも残酷な記憶で、そのためにAは戦争があったあの時期の記憶をすべて失ってしまったらしい。

さて、このとき、Aを友人として慕うBのとるべき行動とは何か。

わたしの回答はこうだ。

「Bは、どんなにAに不信がられようと、とにかくAの前から姿を消すべき」

だって、そうだろう。
AとBとの友人関係というのは、戦争が起こったその時期、戦争という「出来事」を抜いて成立しない。
AがBとの友人関係をたどればたどるほど、トラウマと化している、拷問という「出来事」を思い出さざるを得なくなる。
記憶を抹消するほどつらい、その過去に出会わざるを得なくなる。
一度閉じたはずの「パンドラの箱」を開かざるを得なくなる。
そのことが容易に予想されるのであれば、BはAの前から姿を消さざるを得ないだろう。
もし、Aにとっての幸せを長い目で見ようとするのであれば。

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たとえ話はこのくらいにして、
そのような次第で、わたしは長年の友人に縁を切られることとなった。
・・・この言い方は正しくないかな。
正しくは、「縁を切らざるを得なかった」。

今となっては、
長い期間を経て、彼女からもらった連絡と、それによって続いた友人関係は、「亡霊」のようなものだったのかもしれないと思う。
あたかも「ある」ように見えるけれども、その実体は「ない」。
いつかは消えてしまう、はかない記憶の「亡霊」。

ただ、わたしの方が少し早く、それが「亡霊」であることに気づいてしまったというそれだけの話なのかもしれない。

「パンドラの箱」が、一旦、開いてしまえば、
それはもう元に戻ることはない。

わたしはそのことを何も後悔していないし、
むしろ、ようやく物事があるように収まっただけだと思っている。
わたしとの縁を切ることによって、
きっと、彼女にとってわたしは「つらいときに何もしてくれなかった卑怯な奴」になるのだろうが、わたしはそれでかまわない。

現実は、常に両義的だ。

わたしが現実でなくなれば、彼女が語る「過去の物語」の一登場人物になってしまえば、彼女の物語は、とてもキレイなかたちで完成するだろう、そうあってほしいと、わたしは願う。
だって、わたしが彼女にしてあげられることは、今や、そのくらいしかないから。


ただひとつ気になるのは、
その「亡霊」のように友人関係が成立してしまった期間に、
彼女を「友人」だと、パートナーの友人に紹介してしまったことである。
その後、彼女たちがどういう関係に展開しているのかはわからないが、
もし、あまりに上手くいきすぎていたらどうしよう、というのが唯一気がかりなことで、
そうすると、きっと、わたしは余計に、パートナーの友人に嫌われてしまうのだろうなぁ・・・ということをグダグダと考えているとキリがない。
・・・いや、だって。わたしきっとこの先、「つらいときに何もしてくれなかった卑怯な奴」になるんですよ。
パートナーはわたしを信じてくれるだろうけど、
そんなわたしと付き合っているパートナーのことをその友人が悪く評価するようになったら・・・と思うと、あまりに、つらくて悲しくて耐えられない。

この先、どんなに頑張って、その方と良好な関係を築こうと思っても、不可能だろうということがハッキリ見えてしまったことも、わたしを暗澹たる気持ちにさせる。
親しくなりたい、と思っていても、これだけうまくいかない要因が連続すると、
もはやこれも運命か、とあきらめたくもなる。
これはもはや、わたしがいくら努力しても、頑張ってもどうしようもないことなのかもしれない。


とはいえ、まあ、そんなことを考えていても、しかたないのも事実で、
とりあえず、今は、「あるべき姿になったこと」に感謝したいと思う。
少なくとも、何かを始めるとしても、「あるべき姿になった」、この地点からしか始まらないのだから。


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